The Art of Spending Money_Morgan Housel はじめに  私が「サイコロジー・オブーマネー」を書いた目的は、富や投資についての人々の考え や、私たちがまったく合理的だと思い込んでいる意思決定には、感情や社会的圧力が大き く影響しているという事実を解き明かすことだった。  その意味で、本書「アートーオブースペンディングマネー」は、『サイコロジー・オブ・ マネー』の必然的な続編だと言える。  『サイコロジー・オブ・了不I』ではお金の増やし方に注目したが、『アートーオブース ペンディングマネー』ではお金の使い方に焦点を当てている。  どちらの本も、お金との関わり方についての「正解」を読者に教えるものではない。な ぜなら、それは人それぞれ違うからだ。  この2冊は両方とも、お金と関わるときに私たちの頭の中で何が起きているのかを探ろ うとしている。  どちらの本にも、「お金は数字ではなく、ストーリーである」という考え方が当てはまる。 私たちはお金を通じて、「人生で大切なものは何か」「どうすれば幸せになれるのか」「成 功をどう測るのか」というストーリーを、自分自身に語りかけているのだ。  お金を使うことは、サイエンス(科学)というより、アート(芸術)である。お金の使 い方に、普遍的な公式やルールはない。誰かに喜びをもたらすものが、別の誰かには空し さをもたらすこともある。  だからこそ私たちは、お金を増やすときと同じように、お金を使うときにも、偏見や希 望、恐れといった自分の感情に目を向けるべきだ。そうすることで、賢い選択ができるよ うになるIそれは、私たちが誰であるか、何を大切にしているか、どう生きたいかを反 映する選択になるのだ。  『サイコロジー・オブーマネー』がお金とうまく付き合うことで自由を獲得する方法を教 えてくれるものなのだとしたら、本書『アートーオブースペンディングマネー』は、その 自由を最大限に活かす方法を学ぶためのものになる。  では、さっそく始めよう。 序章  医師のダンーグッドマンはあるとき、「眼鏡のない生活がしたい」という女性にレーシ ック手術を施した。数週間後の検診に現れたその患者は、ひどく落胆していた。  「この手術で、私の人生は台無しになりました」  そう彼女は言った。  手術には何の問題もなかったI彼女は数十年ぶりに、眼鏡をかけずに周りの世界が肉 眼ではっきりと見えるようになっていた。  グッドマンは尋ねた。  「何が問題なのですか?」  彼女は、眼鏡をかけなくなったら、夫から魅力的だと思われ、同僚からは知的に見られ るはずだと期待していたのだという。ところが、実際は何も変わらなかった。愛情や尊敬 は、眼鏡のような外見上のものから生まれるものではないと気づき、打ちひしがれていた のだ。  「残念ながら、それは私にはどうしようもない問題です」  グッドマンは彼女に言った。 「あなたが抱える本当の問題が何かを、もっと早く気づければよかったのですが」  長いあいだ望んできたものをようやく手に入れた人が、思っていたほど幸せになれない ことに気づく。私たちはそうした事例を目の当たりにして、驚きを感じる。  「お金」についてもまったく同じことが起きる。  「欲しいものは手に入るのに、必要なものが手に入らないことほど最悪な事態はない」と いう古いことわざがある。これは、「お金」と「成功」との関係を端的に表している。  運よく欲しいもの(お金)を手に入れたとしても、それは本当に必要なもの(家族や友 人との絆、健康、生きがいなど)ではないかもしれない。  そのことに気づけば、人は落胆するだろう。  これ以上に悪いことがあるだろうか? 答えは「アート」だ  本書では、お金を使うことは、数字や計算とはほとんど関係がなく、むしろ人間心理や 嫉妬、見栄、アイデンティティ、不安など、ファイナンスの世界では無視されがちなテー マと大きく関係していることについて説明する。  幸せはお金で買えるのか? −イエス。  人はお金を使うことで幸せになれるのか? −イエス。  しかし、その実態は多くの人が思っているよりも複雑だ。  数字やグラフ、データのあいだには、人間の心の迷いや不条理が潜んでいる。  お金は、適切な使い方を知っていれば、人生をより良いものにする優れた道具になる。 しかし、お金の使い方を知ることは、お金を得る方法を知るのとはまったく違う。  酒好きで知られたイギリスの政治家ウィンストンーチャーチルの有名な言葉に、「アル コールが奪ったものよりも、アルコールから得たもののほうが多い」というものがある。  この表現を借りれば、お金から得たものよりも、お金から奪われたもののほうが多い金 持ちを、私は何人も見てきた。彼らは人生をかけて必死にお金を追いかけていたが、お金 を使って幸せになる方法はよく知らなかった。  一方で、低所得者がわずかなお金から大きな価値を引き出し、それをテコにして、多く の幸せを手に入れる姿も見てきた。  重要なのは、どれだけお金を持っているかではない。お金と幸せの関係を私たちが思っ ている以上に複雑にしている人間心理や行動を理解し、コントロールできるかどうかなの だ。  この視点を持つことは、様々な形であなたの人生に影響を与え得る。  仲間からの尊敬や称賛を得られると思って、身分不相応な車を買う金欠の若者。  生涯をかけて貯蓄に励んだ結果、節約家のマインドがいつまでも抜けず、老後を迎えて もお金をうまく使えない高齢者。  2LDKの家を買うためにゴツゴツと頭金を貯めてきたが、3LDKの家を買った友人 夫婦を見て、急に広い家が欲しくなる若い夫婦。  どれだけ稼いでも十分だと感じたことがない金持ちの起業家。  いつも満ち足りた気分で過ごしている低賃金の労働者―。  人とお金の関わり方は、表計算シートや数字を見ているだけではわからない。それは、 単なる数字よりもはるかに複雑だ。  人間とお金との関わりを理解するには、心理学や社会学、そして「人間は一人ひとり違 う」という事実を理解しなければならない。さらに、誰もがその人なりに最善を尽くして 人生を乗り切ろうとしていること、自らの経験を通して世の中を解釈していること、なり たい人間になろうとしていること、周りの目を気にしていることなども理解しなければな らない。  学校では、ファイナンスは美しい公式や論理的な結論がある「サイエンス」として教え られている。しかし現実の世界ではそうではない。  お金の使い方とは、「アート」なのだ。 最低最悪なお金の使い方  学生時代、私はロサンゼルスの五つ星ホテルでボーイのアルバイトをしていた。ある日 そのホテルで、地域の富裕層向けに高級家具の展示会が催された。  招待客の男性が、預けていた車を受け取るためにサービスカウンターに向かって歩いて きた。彼は一緒にいた友人に言った。  「2万1000ドルのアームチェアを買ったよ」  その言葉を立ち聞きした私たちボーイは驚いた。椅子ひとつにそれだけの大金を払うな んて、考えられなかった。  男性は私たちの困惑した表情に気づいて、こう言った。 「君たちが何を思っているかはわかるよ。そう、たしかに私はイカれてる。でも、お金を 持った人間というのは、こういう買い物をすることになっているんだ」  彼は、「こういう買い物をすることになっている」と言った。私はそれが、興味深い言 葉の選択だと思った。  彼は本当にその椅子を気に入ったのだろうか? それとも、世の中でこうすべきだと言 われていることや、こんなふうにお金を使うべきだと言われていることにただ従っている だけなのだろうか?  いつか金持ちになりたいと夢見ていた19歳の私は、その時こう考えた。  (自分も将来、彼と同じようなことをすべきなのだろうか? 大学で必死に勉強し、何十 年も働くのは、平均年収の半分もする悪趣味な椅子を買ったことを友達に自慢できるよう になるためなのか? それで、本当に幸せになれるのだろうか?)  そんなことを考えているうちに、驚きはおかしさに変わっていった。最後には、その男 を気の毒にすら思っていた。  その後も、彼のような人間を大勢見てきた。彼らは、もっと多くを求めようとする原始 的な衝動に突き動かされ、なぜ自分がそれを求めているのかをよく知らないまま、ひたす らに高級品を追い求めていた。彼らはお金を稼ぐのがとても上手だった。しかし、そのお 金を意味のある、より良い生活に変える能力に欠けていた。  もちろん、別の道もある。幸せな人生を送るための道具としてお金を使う方法を見つけ 出した人はたくさんいる。  あの椅子を買った金持ちの男性は、「お金を持った人間というのは、こういう買い物を することになっている」と言った。ある意味で、彼は直観的に理解していたのだろう。お 金の使い方について世の中からこうすべきだと言われていることに従うのは、必ずしもお 金を最大限に活かす使い方にはならないということを。  彼のような考えを持つ人がいるのも無理はない。人類が進化の過程で身につけた本能的 な欲望や、現代の社会的な圧力によって、私たちは、自分が何を望むべきかを、ときに叫 び声のように大きな世間の声によって指示されている。  他人が持っているより多くのお金、大きな家、高級な贅沢品―。それが、私たちが望 むべきものであり、追い求めるべきものであるとされているのだ。  しかし、自分の豊かさを他人に見せつけるために無駄遣いをしていれば、あっという間 にお金は無くなってしまう。高価な物を身につけているだけでは、尊敬は得られない。そ んなふうにお金を使っても、たいていは失望するだけだ。  私は、どんな人でもお金を賢く使うことでより良い人生を築けると考えている。価値の ある物を買うことで、喜びが得られると考えている。私はお金によって育まれる向上心や 勤勉さ、そして何よりも自立が大好きだ。  だが、20年間、お金をテーマに文章を書いてきて驚かされるのは、自分がお金を通じて 何を求めているのかをよくわかっておらず、お金をステータスや成功の尺度以外で使う方 法を知らない人があまりにも多いことだ。  私自身、これまでの人生でお金と幸せに関する答えを見つけようとしてきた。本書の大 部分は、そのことに関する考察である。  「自分の子どもに何を望みますか?」と尋ねると、たいていの親は「幸せになってほしい」 と答える。  「子どもが将来、成功し、裕福になることを望みますか?」と尋ねれば、「ええ、できれば。 でも、それよりも、本当にただ幸せになってほしいのです」という答えが返ってくるはずだ。  もちろん、これは素晴らしい考え方だ。  しかし、そういう親たちの多くも、自らの人生では、幸せを犠牲にしてお金や地位を追 い求めている。親が子どもの成功よりも幸せを願うのは、お金や成功ばかりを追い求める ことのデメリットを知っているからかもしれない。  偉大な心理学者であるカールーユングは、「人間を幸福にする基本的な要素は何か?」 という質問に次のように答えている。 1.心身ともに健康であること 2.結婚、家族、友人関係など、個人的で親密な人間関係が良好であること 3.芸術や自然の美しさを感じられること 4.妥当な生活水準で暮らし、満足のいく仕事をしていること 5.人生の浮き沈みにうまく対処できる哲学的・宗教的な視点があること  お金を持っていれば、これらの要素に良い影響は与えられるだろう。  しかしユングは、お金(特に、たくさんのお金)を持っていることを幸せの要素として 挙げていないのである。 本書を貫く6つのメッセージ  本書は、万人に当てはまる正しいお金の使い方を指南する本ではない。もし私(あるい は誰か)がそれをできるとしたら、本書のタイトルは『サイェンスーオブースペンディン グマネー(お金の使い方の科学)」にすべきだろう。  しかし、私はそれよりも「お金の使い方のアート」に興味がある。アートは、万人に当 てはまる公式には落とし込めない。アートは複雑で、しばしば矛盾をはらみ、人の個性を 垣間見せる窓にもなる。  お金の使い方を、個性や貪欲さ、嫉妬、ステータス、後悔といった複雑な要素から紐解 くI。それが、本書のテーマだ。  これからお金の使い方について、様々な角度から考察をしていく。ただし、すべてに通 じる共通項もある。それは次の6つだ。 1.お金の使い方は2つある  1つは、「より良い生活を送るための道具」としての側面、もう1つは「他人との比較 で自分のステータスを測るための物差し」としての側面だ。本当は前者を望んでいるのに、 後者を追い求めることに人生を費やしている大は多い。 2。お金は有効な道具だが、注意しないと簡単に支配されてしまう  あなたは容赦なく(たいていの場合は無自覚のうちに)、お金に支配されることになる。 お金は金融資産であると同時に、精神的負担にもなる。  ひたすらにもっと多くのお金を求めようとする強欲さに駆られると、あなたのアイデン ティティは乗っ取られ、人格は支配され、大きな幸福を得る機会の多くが人生から失われ てしまう。 3.お金を使って幸せになることはできるIただし、それは間接的な形を取る場合が多い  お金は、幸せそのものを買うというよりも、自立したり、人生の目的を見つけたりする ために役立つ道具になる。これらは、幸せな人生を送るために欠かせない要素だ。  大きくて素敵な家を買えば幸せになれるかもしれないが、それは主に家族との生活の場 が充実し、友人を招きやすくなるからだ。実際にあなたを幸せにしているのは、家族や友 人なのである。 4。お金について考えすぎない人ほど幸せになれる  お金を大切にし、ありがたく思うのはいいことだ。私たちはときに、お金の持つ力に驚 嘆することもある。しかし、常にお金のことが頭から離れないのなら、それはお金に取り 憑かれ、支配されていることになる。  最良のお金の使い方は、より自由に、自分らしい人生を送るための道具として生かすこ とである。自分が何者であるかを定義するためにお金を使うべきではない。 5.もっとお金があれば幸せになれるわけではない  良い人生がどんなものかわからず悩んでいると、「金持ちになること」という安易な答 えに行き着きやすい。しかしそれは、もっと深いところにある大切な問題を隠してしまう ことがある。  お金ははっきりと目に見えるものであり、目標にしやすい。そのため、自分の心を本当 に満たすものを見つけていない人にとっては、お金を追い求めることが最も容易な道にな ってしまう場合がある。 6。お金の使い方に普遍的な公式はない  私が幸せになれるお金の使い方が、あなたにとってはバカバカしく思えるかもしれない。 その逆もある。  どのようなライフスタイルを送るべきかという議論も、往々にして、価値観の違う大た ちがただ自分の意見を主張しているにすぎない。作家のルークーバーギスは、こう語って いる。  「私たちは、生物としての基本的な欲求を満たしたあと、欲望という人間的な世界に足を 踏み入れる。何が欲しいのかを知ることは、ただ生きるために何が必要なのかを知ること よりもはるかに難しい」 シンプルな人生−お金に使われず、使いこなすIを目指す  聖職者のウィリアムードーソンは1907年の著書「The Quest of the Siヨpie 」ife(簡 素な生活の探求)」(未邦訳)の中でこう記している。  「ロンドンに住む都会人の多くが金や成功ばかりを追い求めながら惨めな暮らしをしてい る一方で、田舎で簡素な暮らしをしている人たちの人生には喜びが多い」  ドーソンの目には、もっと多くのお金を手に入れようとしている人たちは、実際にはお 金にとらわれていると映った。  彼らは富に執着するあまり、正気さを失い、人間関係も生活の質もお金に支配されてい た。「より良い生活を送るため」だったものが、いつのまにかやみくもに従うべきイデオ ロギーに変わっていた。いわば目に見えない独裁者の言いなりになっていた。幸せになる ためにはお金が必要だと思い込み、もっと豊かになりたがった。  お金はたしかに様々なものを与えてくれる。ただし、「お金にとらわれない心」を買う ことはできない。  彼らは絶え間ない不安に襲われていた。その不安は不幸につながった。悪循環だった。 にもかかわらず、彼らはそれに気づいていなかった。  お金を使って手に入れた物が、自分の行動にあまりにも大きく影響することがある。そ の結果、自分が物を所有しているのか、それとも物に支配されているのかがわからなくな る。政治家・著述家のペンジャミンーフランクリンはこの現象を見事に表現している。  「金で楽しみを買っていると思っている人は多い。だが実際には、彼らは楽しみの奴隷と して自分を売り渡している」  ドーソンは、理想的な人生とはシンプルな人生だと書いている。それは、お金に使われ る人生ではなく、お金を使いこなす人生だ。  豪邸に住み、贅沢品や豪華な装飾品に囲まれていても、お金に使われているのではなく、 お金を使いこなしているのであれば、それはシンプルな人生と呼び得るものになる。  どんなライフスタイルを選ぶかは、たいして重要ではない。重要なのは、自分でそのラ イフスタイルを選んでいることだ。理想のライフスタイルを送ることにとらわれているの なら、それはシンプルな人生ではない。  ドーソンは、自分の目標は裕福になることではなく、人生を築くことであると書いてい る。現実の人生を犠牲にしてまで頭で思い描いた理想的な生活を果てしなく追い求めるの は愚か者のやることだ、と。  どのような生き方であれ、自分に合ったシンプルライフの探求は、まず自分自身をよく 理解することから始まる。  さっそく次章から、その探求を始めていこう。  「あなたの考えを形づくった経験は何ですか? もし私がその経験をしたら、あなたと同 じような考えになりますか?」  これは、人の人生を紐解く重要な問いだ。そして、お金の使い方にも当てはまる。  お金の使い方に関して最も重要なテーマであり、かつ不満や失望の原因になっているの は、お金の使い方には「正しい方法」がないという残酷な事実だ。誰もが幸せになり充実 感を味わえる、普遍的な法則など存在しない。  私の好きなお金の使い方は、あなたにとっては意味をなさないかもしれない。私が恐れ ていることは、あなたにとっては喜びかもしれない。あなたの目標は、私が何よりも避け たいことかもしれない。  「単語の発音を間違えた大をからかうべきではない。それは、その大が読書を通してその 単語の読み方を学んだことの証だからだ」という警句がある。同じことは、お金の使い方 についても言える。  「人のお金の使い方をからかうべきではない。それは、その大が人生を通してお金の使い 方を学んだことの証だからだ」  大は誰もが、自らの過去によってつくられた産物である。ある人のお金の使い方を理解 するには、その人の人生経験を深く掘り下げなければならない。  私には、ソーシャルワーカーをしている義弟がいる。彼の仕事は、貧困家庭や崩壊した 家庭で育ち、里親家庭にも馴染めなかったような子どもたちを支援することだ。  こうした子どもたちは学校生活で苦労しているケースが多い。素行が悪く、授業をサポ り、集中力に欠け、運動場で喧嘩をする。そして、自分の将来がうまく描けない。  彼らの言動を批判し、困惑して首を振るのは簡単だ。  「なぜそんな態度を取るの?」  「もっと行儀よくすれば良い未来が待っているのに、どうしてそれが理解できない?」  「そんな行動をしてもいいと思う理由は?」  けれども里親制度に関わる人たちのあいだには、こんな考え方もある。  「十分な情報があれば、あらゆる行動は意味をなす」  つまり、こうした子どもたちがどんな環境で育ってきたかを知れば、その行動を理解で きるという意味だ。  彼らは不安定な家庭で、身の危険や愛情不足を感じながら生きてきた。常に、生き延び るために必死なサバイバルモードにあるため、他の子どもたちにとっては当たり前である 基本的な社会的能力を身につけていないのだ。  もちろん、だからといってこうした子どもたちの行動を奨励したり、正当化したりすべ きだというわけではない。しかし、子どもたちの目を通して世界を見れば、なぜ彼らが傍 目には理解しがたいような行動を取るのかを簡単に理解できるようになる。  十分な情報があれば、あらゆる行動は意味をなすI。それは、お金の使い方を含む様々 な人間の行動にも当てはまる。 「バカげた浪費」や「度を越えた節約」はなぜ起きるのか  1920年代後半、アメリカは社会・経済的なサイクルの終盤を迎えていた。第一次世 界大戦後の苦難の時期を乗り越えたこの国は、「狂騒の20年代」と呼ばれるほどの好景気 を謳歌していた。  それは、「狂騒」という言葉では言い表せないほどの大盛況だった。1920年代半ば の5年間には、低金利を背景にした株式市場のバブルが起こった。禁酒法下で密造酒の製 造や流通も盛んになった。  1928年6月、コラムニストのロバートーキレンが書いた新聞記事の見出しには、重 要なことがたった14単語で簡潔に表現されていた。  The M〇『e You Were Snubbed While Poor「 the M〇『e You Enj〇y  Displaying Your Wealth.〇∽m刀祠 口c一[[mz  (貧しかったときに惨めな思いをしていれぱいるほど、裕福になったときに富を見せ  びらかすようになる)  まさにその通りだった。1920年代後半、新しい車や服、贅沢品を見せびらかして富 を誇示したいという人々の欲求は、それ以前の貧しさや不安定さに対する反発から生まれ たものだった。  何かに縛りつけられているような状態から、突然解放されたと感じたとき、人は失われ た時間を取り戻すために全力で走り出そうとうする。歴史家のフレデリックールイスーア レンは、この時代についてこう書いている。    旅先で日常から解放されて大きな自由を味わうのと同じように、この国の人々は、   この好景気の中で、人生をもっと楽しむべきだと感じるようになった。「人生は儚く、   重要な意味などない。だが生きているあいだは、せめて遊んでみるのもいいだろう。   周りの人だちと同じように、新しい遊び道具を手に取ってみればいい」と。  人々は、それまでの陰気な時代に冷遇され、抑圧されたことを埋め合わせるかのように して、後先のことを考えず、湯水のようにお金を使った。過去の過ちを正し、何かに復讐 しているかのように。  その浪費は、冷静な計算に基づいたものではなかった。人々は、心の傷を癒そうとして いたのだ。  こうした行動は時代を超えて見られるものであり、その背後にある人々の心理も物語っ ている。  崩壊した貧しい家庭で辛酸を舐めながら育ち、大人になって実業家として成功した男性 がいるとしよう。  彼は大学進学を控えた自分の娘に、「入学できる中で、一番学費の高い学校を選びなさい」 と言う。彼にとって、娘を学費の高い大学に通わせることは、自分が人生の苦難を乗り越 えたことの象徴なのだ。  男性は、できる限り高額な学費を払いたいと思っている。その高額な学費は、彼が自ら の人生の勝利を祝うトロフィーのようなものになるからだ。  貧しさのために辛酸を舐めた経験がない大には、理解できない考えかもしれない。  しかし、そこがポイントなのだ。  誰かの人格を玉ねぎの皮のように剥き、その大が本当に何を求めているのか、何を埋め 合わせようとしているのかを探らない限り、高額な出費の背後にあるその人の真意は理解 できない。  過去の経験がお金の使い方にどう影響するかは大によって様々であるがゆえに、これと は正反対の結果が生じることもある。  元幼稚園教諭で、現在は金融教育者として大成功を収めているティファニー・アリチェ は、「心的外傷後ストレス症候群(PTSD)」ならぬ「貧困後ストレス症候群」とでも呼 ぶべき症状に苦しんでいると語ったことがある。この症状のために、成功によって手にし たお金を使い切るのが難しくなっていたのだという。  「長いあいだ貧しさに苦しみ、本当に辛い思いを経験してきたので、また同じ状況に戻る のが怖いのです」と彼女は言った。 「真にお金を使う価値があるもの」とは?  自分であれ他人であれ、誰かの消費行動を理解したいのなら、まずは「大は単に楽しい ことや役に立つと思うものにだけお金を使うわけではない」という事実を覚えておこう。 人の消費に関する決定は、それまでの人生での社会的・心理的な経験を反映していること が多い。人生経験は大によって様々なので、ある大にとって理にかなっていることが、別 の大にとっては非常識に思えることもある。  大学の学位を得るために大金を費やすことは、ある大にとっては無駄であり、ある大に とっては絶対に必要なものであり、ある大にとっては自らの社会的地位が上がったことの 何よりの証である。同じものでも、大によってそれが意味するものはまったく違うのだ。  富裕層の家庭で育った大にとっては、ランボルギーニのスポーツカーは自らの豊かさを 派手に見せぴらかすことの象徴かもしれない。一方、貧しい家庭で育った大にとって、同 じ車は成功の究極の象徴になるかもしれない。  「真にお金を使う価値があるものとは何か」という問いに、唯一の正しい答えがあると考 えるべきではない。大によって、お金を使うことで満たされる心理的な欲求は異なるから だ。  週に100時間も働いているが、自分の仕事に誇りを持てない弁護士は、意に沿わない 仕事をして大金を稼いだという事実を埋め合わせようとして、無駄遣いをしたい衝動にか られるかもしれない。  私は、ボーナスを受け取った直後の投資銀行員ほど、あっという間にお金を使う人たち を見たことがない。1年間、毎日午前3時までパソコンの画面を睨んで数字を分析するよ うな働き方をしてきた彼らは、仕事によって犠牲にしたものを帳消しにし、猛烈に働いた 甲斐があったと自らに証明したい衝動にかられている。1分間、水中に体を沈められてい たようなものだ。水面に顔を出したとき、落ち着いて呼吸することなどできない。必死に なって喘ぐだけだ。彼らの極端な浪費は、その喘ぎなのだ。  私には、満足を先延ばしにできる人は、仕事を楽しんでいる人が多いように思える。彼 らは概して良い給料を得ているが、懸命に働いたことを浪費で埋め合わせようという衝動 はない。  このように、「真に価値のあるお金の使い方とは?」についての議論のほとんどは、実 際には人生経験が違う人たちがそれぞれの考えを述べているにすぎないのだ。  「人によって人生経験は違うし、それゆえに求めているものも違う」という事実を受け入 れれば、自分がどんなものにどれくらいお金を使うべきか、なぜ人によってお金の使い方 が違うのかが理解できるようになる。  自分があるお金の使い方を好むからといって、他人もそうすべきだと考えるのは、人と しての未熟さの表れだ。自分が何かに価値を見出していないからといって、他人もそうす べきだと考えるのも同様である。  世の中は、そのような仕組みでは動いていない。あなたにとって合理的で満足のいくお 金の使い方が、私には無意味に思えるかもしれない。私にとってはどうしても必要なお金 の使い方が、あなたには無駄に思えるかもしれない。  ソフトウェアエンジニアのビリー・マーカスはこう述べている。  「人間は合理的な生き物ではない。自らの都合のいいように物事を合理化しているだけだ。 この単純な事実を理解すれば、どんなに不可解な人間の行動も、突如としてはるかに納得 しやすいものになる」  だからこそ、お金の使い方はサイエンスではなくアートとしてとらえるぺきなのだ。  お金の使い方やその価値について、万人に当てはまる答えは存在しない。私たちにでき る最善策は、人間の考えは多様であり、お金の使い方に対する好みも極めて幅広いもので あると理解することだ。 あなたの常識は、誰かの非常識  心理学者のリサーフェルドマンーバレットは、人間の感情がどこから生じるのかを研究 している。  従来の心理学における見解は、「感情は人間が生まれたときから備わっている」という ものだった。膨大な時間をかけた人類の進化の結果として、誰もが同じような感情を生ま れつき備えている。自分にとって怖いものや面白いもの、侮辱的なものは、他人にとって も同じである、ということだ。  バレットは30年間かけて、感情の仕組みはもっと複雑であると主張してきた。  「感情は生まれたときから私たちの脳に組み込まれているわけではない。必要に応じて、 脳によってつくられる」と。  私たちは生まれた瞬間から、「これは怖い」「あれは面白い」「こんなときは怒るべきだ」 と学び始める。さらには、それに対してどう反応するかまで教えられる。「怒ったときは、 自分の感情を相手に伝えるために、こんなふうに顔をゆがめるといい」といった具合に。  つまり、感情は学習によって形成されるのだ。感情は、私たちが育った文化や環境の産 物である。バレットはこう述べている。    「怒り」や「嫌悪」といった概念は、遺伝的にあらかじめ決まっているわけではない。   あなたにとって慣れ親しんだこれらの感情概念は、それらが有用な社会で育ったこと   で脳の中に形成されたものである。脳は、こうした感情をあなたの気づかないところ   で働かせ、あなたの経験を構築しているのである。  人によって、人生で経験することは千差万別である。その違いは、実に驚くべきものだ。  アフリカの貧しい家庭の子どもは、カリフォルニアの裕福な家庭の子どもとは異なる物 事に対する恐怖を学びながら育つ。マン(ツタンのような都会の子どもは、アイオワのよ うな田舎の子どもとは違う物事に対する喜びを学びながら育つ。喜びや恐れ、恥、誇りと いった基本的な感情ですら、生まれ育った文化や家庭によって人それぞれ異なるのだ。  あなたが恥ずかしいと思うような行動を、私は誇りに思うかもしれない。私が恐れてい ることに、あなたはワクワクするかもしれない。あなたの目標は、私の悪夢かもしれない。  こうした違いがあるのは感情だけではない。ある文化では常識とされることが、別の文 化では不条理で、時代遅れに見えることもある。  心理学者のジョナサンー(イトは、アメリカでは25歳の息子が父親をファーストネーム で呼ぷことはまったく問題ないが、他の文化では道徳的に間違ったことだとされると指摘 している。同じような違いは、料理の方法や衛生管理、子育て、配偶者への接し方といっ た基本的な生活習慣にも見られる。  常識を「誰もが同意する真実」と定義するなら、それが当てはまるものは稀にしかなく、 「2+2=4」のような科学的に客観的な事柄にほぼ限定されると気づくはずだ。作家の デイヴィッドーマクレイニーは、「共通の合意に基づく現実のほとんどは、その地域の文 化的、社会的、地理的な要因によって築かれたものにすぎない」と述べている。  だからこそ、「リスクを取る価値のある行動」「遊び心のあるちょつとした実験的試み」 「後ろめたさのある楽しみ」「欲求を満たすこと」などがどんなものかについて、人によっ て考え方に極端な違いが生じるのだ。  幼少期に里親の家を10軒も転々とし、ケンブリッジ大学で心理学の博士号を取得した作 家、ロブーヘンダーソンは、次のように極端な例を挙げている。    エり’1卜大学に通う裕福な家庭出身の学生がコカインを試しても、おそらく特に問   題はないだろう。しかし、両親が不在がちな、貧しくすさんだ家庭で育った子どもは。   試した瞬間に道を踏み外す可能性が高い。    ケイトー研究所が2019年に実施した調査で、アメ日’カで薬物の合法化に賛成し   ているのは学歴が大卒以上の人の場合は6割以上なのに対し、高卒以下の場合は半数   にも満たなかったのは、このためかもしれない。    薬物は富裕層にとっては娯楽かもしれないが、貧困層にとってはさらなる人生の苦   しみへの入り口になることが多いのである。  ソーシャルワーカーとして働いている私の義弟の話に戻ろう。  彼は、ある貧しい夫婦に、「家賃を滞納してアパートから追い出されたりしないように、 たとえ少額でもいいから貯金の習慣を身につけたほうがいい」と勧めたことがある。  すると、その夫婦に笑われたのだという。  「あなたは未来のことを考えられる人だ」と、夫は言った。  「何だって?」義弟は尋ねた。  「未来を考えられる人。あなたには、未来を考える余裕がある。でも、私たち夫婦にはそ んな余裕はない。私たちの未来は、せいぜい24時間先まで。時には、次の食べ物をどこで 手に入れるかといった5分先のことしか考えられない。私たちが考えられるのは、それく らい先のことだけだ」  その夫婦は、給料が入るとすぐに使い果たしていた。  その大きな理由は、彼らにとっての「未来」という概念が、他の人たちとは根本的に異 なっていたからだ。そこには「常識」と呼べるものに、共通点がなかった。  保険会社マーケルーグループのCEO、トムーゲイナーは、公選弁護人として働いてい る娘と昼食を共にしたときのエピソードを語っている。  ゲイナーが最近どんな事件を担当したのかと質問すると、娘は「レストランで食事した 後、モノポリーで使うおもちやのお札で料金を払おうとした男性の弁護をした」と言った。  「その男は、頭がおかしかったのか? それとも、単に嫌な奴だったのか? あるいは、 冗談でそんなことをしたのか?」とゲイナーは尋ねた。  「違うわ。彼は本当にお金がなくて、お腹を空かせていたの」と娘は言った。「彼は今こ の瞬間のことしか考えられなかった。言ってみれば、禅の達人みたいなものよ。過去も、 未来もない。今だけ。とにかく今、お腹を空かせていた」  これは極端な例だが、誰もが、こうした視点で物事を選択し、現実を生きているIあ なたも、私もだ。金持ちであれ貧しい人であれ、それは同じだ。  あなたの価値観や選択の基準は、「現在の欲求」と「過去の経験から学んだ教訓」を調 和させようとする試みから生まれてくるのである。 「私は、何にお金を使うべきか?」を思考するための2つのポイント  これまでの考察をふまえ、「お金の使い方のアート」を理解するうえでとても重要なア ドバイスを2つ紹介しよう。 1.何にお金を使うべきか、使うべきでないかを、誰かに指図されてはいけない。唯一の   「正しい方法」などない。どうすれば幸せになり、充実感が得られるかは、自分自身   で見つけ出す必要がある(これについては後ほど詳しく説明する)  「パーソナルファイナンスでは、”ファイナンス”の側面よりも”パーソナル”の側面の ほうが強い」とファイナンシャルーアドバイザーのティムーマウラーは語っている。私が これまでに聞いたお金に関する名言の中でも、とりわけ秀逸なものだと思う。  お金の問題の多くは、世間で「こうあるべきだ」と言われている方法でお金を使ったり 貯めたりしているのに、それが自分の価値観に合わないことから生じている。人々は、本 来はとても個別的であるはずの問題に対して、万能薬を求めている。まるで、本当の自分 ではない誰かとして人生を歩もうとしているかのように。  「イタリア料理が好きな人もいれば、メキシコ料理が好きな人もいる」という考えは、誰 もが理解しているだろう。これはどちらが正しいとか間違っているとかではなく、単に好 みの問題だ。  しかし、「どんな家に住むか」「どんな服を着るか」「いつリタイアすべきか」「どれくら いの頻度で旅行に行くべきか」「どんなレストランで食事をすべきか」といった問題にな ると、同じ考え方ができなくなる人が多い。友人や家族、同僚、ネット上の見知らぬ他人 たちからも、「そのライフスタイルは間違っている」と指摘される。  お金との関係がいかに個人的かつ感情的なものかを理解して初めて、この道のりは周り の声に惑わされずに自らの判断で進むべきものであると気づけるようになる。  たしかに配偶者や子どもも、一緒にこの道のりを歩んでいるかもしれない。だが基本的 に、あなたは他人の意見に振り回されることなく、自らの決断で自分の道を見つけるべき なのだ。 2.他人のお金の使い方を尊重する   コメディアンのジョージーカーリンはこう言った。  「あなたより遅く運転する人はみんなバカで、あなたより速く運転する人はみんな狂人 だI・」  私たちは、自分と違う選択をする人たちのことを間違っていると見なしがちだ。  本書の中で、私が他人のお金の使い方を批判する箇所もある。ただしそれは、明らかに 幸福を損なうようなお金の使い方をしていると思われる場合に隕るようにしている。  どんなネガティブな結果を招くかをまったく理解しないままお金を使っている人がいる としたら、それは問題かもしれない。その場合は、誰かの助けやアドバイスが必要だと言 えるだろう。しかし、自分と違うお金の使い方をしているという理由だけで、誰かを批判 するのはまったく別の話だ。  他人のお金の使い方を理解するのが、とても難しく感じる場合もあるだろう。その理由 もよくわかる。  もし私があなたと違うライフスタイルを選ぼうと決めたら、あなたはそれを自分の選択 を否定する行為ととらえるかもしれない。特に、自分の選択に疑問や不安が残っている場 合はなおさらだ。そして、誰もが自分の選択に疑問や不安を持っているものだ。  危険なのは、誰かのお金の使い方を批判するとき、「正しいお金の使い方は1つしかない」 と思い込んでしまうことだ。  その正しいお金の使い方とは、つまりは自分のお金の使い方である。  だがそうなると、自分の選択について振り返ってみたり、もっと良い方法はないかと考 えてみたり、自分の感情を理解しようとしたりすることが難しくなってしまう。他人のお 金の使い方を批判するには、頑固なまでの自信が必要になる。それは、私たちの成長を妨 げてしまいかねない。  健全なファイナンスの哲学とは、他人の経験を尊重し、自らの経験を理解し、「十分な 情報があれば、あらゆる行動は意味をなす」という考えを忘れないようにすることなのだ。  大はどうすれば良い人生を送れるのかI。この問いは、哲学者たちが何千年も議論し てきた極めて複雑な問題だ。  そして、良い人生とはどんなものかを考えるとき、大は「金持ちになれば、良い人生が 送れるはず」と単純に考えてしまいがちだ。  「金持ちになること」は、追い求めるのが実に簡単で、数字でも表しやすいからだ。  だが、お金や物に対する欲望は、あなたが実際に望んでいるもの、つまり他人からの尊 敬や称賛を覆い隠してしまうことが多い。  大は、「お金があれば、いい車や大きな家を買える。いい車や大きな家があれば、他人 から尊敬され、称賛されるだろう」と考える。  たしかに、その通りになることもあるだろう。だが、ここでは私の個人的な意見を述べ させてほしい。  私はこれまでの人生で学んだお金に関する教訓を、2人の子どもたちに少しでも伝えた いと思い、こんな内容の手紙を書いたことがある。  「君たちは大人になったら、いい車や大きな家が欲しいと思っているかもしれない。  でも、本当に求めているものは違う。  君たちが本当に求めているのは、他人からの尊敬や称賛だ。  君たちは、良い物を持つことで、それが手に入ると思っているだけだ。  実際には、それで尊敬や称賛が手に入ることはほとんどないI少なくとも、君たちが 期待しているほどには」 「逆死亡記事」を書いてみる  私は、「逆死亡記事を書く」というアイデアが気に入っている。  これは、自分自身の理想的な死亡記事を書き、それに沿って生きる方法を考えてみると いうものだ。自分が人生で本当に何を望んでいて、何を大切だと思っているのかについて 考えてみるための、明確で簡単な方法になる。  死亡記事の内容は人によって様々だろう。しかし、たいていの人は次のようなものを望 むのではないだろうか。   ○○は周りから愛され、尊敬され、称賛されていた。誰かの役に立つことをした。  良き親であり、良き配偶者であり、思いやりのある友人だった。地域社会にとって頼  りになる存在だった。仕事でも業界に貢献した。賢く、面白く、聡明だった。  では次に、こう考えてみよう。  「この死亡記事に書かれていないのは、どんなことだろうか?」  自分の死亡記事に、所有していた車やブランド品、家の広さが記されることを考える人 などいないだろう。年収も、結婚指輪のカラット数も、キッチンをイタリア産の大理石で リフォームしたことも、記されたりはしない。  私も、良い品物を買うのは好きだ。洒落た物もいくつか持っている。それでも、人々が 欲しがっているものと、実際に求めているものの違いにはいつも驚かされる。  理想的な死亡記事に物質的な豊かさに関する記述がほぼ皆無なのは、それらが実際には たいして重要ではないことを私たちが心の底で知っているからだ。  アランードーボトンは著書『Status Anxiety J〔邦題「もうひとつの愛を哲学する‥ステ イタスの不安」集英社〕の中で、こう書いている。  「社会的階層を上げたいという欲求の背後にある主な衝動は、高い地位を得ることで獲得 できる物質的な富や権力よりも、その結果として受け取ることができる愛の量に根ざして いるのかもしれない」  私たちは、良い物を手に入れることを、本当に望んでいるもの、つまり「他人からの注 目」を得るためのチケットだと考えている。  これは現代に隕った考え方ではない。SNSや物質主義的な時代の風潮ともほとんど関 係がない。これはもっと人間の深いところに根差した考えなのだ。  経済学者のアダムースミスは1759年にこう書いている。  「この世のすべての労苦や喧騒は何のためにあるのか? 貪欲さや野心、富、権力や優位 性を追い求める目的とは何か? それは生きていくために必要なものを得るためだろう か?」  もちろんそうではない、とスミスは考えた。当時はすでに、低賃金労働者でも、働くこ とで食料や住居を手に入れ、家族を養えた。  スミスは、こう書いている。  「注目されること。周りから共感や称賛を得ること。我々は物質的な豊かさから、こうし た利点を求めているのである。我々が実際に興味を持っているのは、快適さや喜びではな く虚栄心なのだ」  これは私たちに大きな気づきを促す視点である。  人は、お金で買える物の快適さや便利さよりも、それによって得られる他人からの注目 を重視している。  この考えにどれくらい納得するかは、人によって違う。「良い物を求めるのは、本当は 周りから注目を集めたいから」という考えを認めたとしても、「だからどうした? 私が 本心では尊敬や注目を求めていたとして、良い車を買うことでそれが得られるなら、何が 問題なのか?」と考える人もいるだろう。  たしかに問題はないのかもしれない。  それでも、次の点は覚えておいてほしい。  人が派手な物を他人に誇示したいのは、それが尊敬や称賛を得るための「残された最後 の」、あるいは「唯一の」手段だから、というケースがあるということだ。  知性やユーモア、共感、愛情深さで尊敬や称賛を得るのに苦労している人は、残された 唯一の(そして最も効果の低い)手段に頼ってしまう。  つまり、高価な物を買うことだ。そして高級車に乗り、心の中でこう囁く。  「私はすごい車に乗っている。さあ、注目して¶・」 高級品は「称賛のジャンクフード」  周りから尊敬され、称賛されようとして、人の注目を引く方法を模索する際に重要視さ れるのは「どれくらい効果があるか?」「どれくらい持続するか?」「誰から注目される か?」の3つだ。  それぞれを詳しく見ていこう。  「どれくらい効果があるか?」−高価な物にお金を使うのは、他人の注意を引くための  一番手っ取り早い方法かもしれない。それは目に見えるものであり、自分から相手に説明 する必要もないからだ。  「どれくらい持続するか?」―今日、あなたの車に感銘を受けた大は、少しはあなたに 注目するかもしれない。でも明日になれば、その印象も薄れてしまう。その大は、1か月 後にはあなたの車を見てあくびをするかもしれないし、1年後にはまったく気にしなくな っているかもしれない。  「誰から注目されるか?」−ほとんどは見知らぬ人だ。しかも、じろじろと見ているの はあなたではなく、車のほう。あなたの配偶者はあなたの車のすごさに気づいているだろ うか? 親は? 友人は? 子どもは? もちろん、気づいているだろう。でも、彼らが あなたをどれだけ尊敬し、称賛しているかを測る物差しとしては、良い車に乗っているこ とはおそらく最後の要素になるだろう。あなたの大切な人たちは、あなたがどれだけ親切 で、面白く、知的で、親切で、愛情深いか、といったことのほうがずっと重要だと考えて いる。  つまり、派手にお金を使うことは注目を集める最も手軽な方法かもしれないが、その注 目には持続性がなく、なおかつあなたが本当に尊敬や称賛を求めている人たちにとっては、 おそらく最も効果が低いということだ。  それはジャンクフードのようなものだ。とても魅力的で、簡単に満足感を得られるが、 長期的にはデメリットが生じる。  もちろん、車や家、服などを買うことで注目を集めようとするのが悪いというわけでは ない。他人に向けて自分の存在をアピールすることは、世の中をうまく生きていくために 重要なことだ。  しかし、「他人の注目を集めるためだけにお金を使うのは、尊敬や称賛を手軽に得るた めのジャンクフードのようなものだ」と気づけば、自分の成功を誇示するためだけにお金 を使い続けることに疑問を抱くようになるはずだ。  もし、あなたの好きなコメディアンや俳優、スポーツ選手が破産しても、あなたの彼ら に対する評価はたいして変わらないだろう。お金では買えない才能を持っているからこそ、 あなたは彼らを尊敬しているはずだからだ。  元フットボール選手のチャドージョンソンは、一部の人からケチだと言われることにつ いて、すでに有名で、その能力によって人々から尊敬され、称賛されているのなら、物質 的な豊かさをひけらかす必要はないと説明した。    キャリアの中で、自分の名前が、カネで買えるものよりt’y大きくなったら、そこに   本当の自分の価値がある。    私は、自分の名前以上に価値あるものは買えない。だから、宝石を買うのは意味が   ない。私は私だ。どれだけ贅沢品を身につけても。それ以上の存在にはなれない。  ジェフーベソスはアマゾンが大成功を収め、巨大企業に成長した後も、ホンダの大衆車 「アコード」に乗っていた。一方で現在、彼は5億ドルのヨットを所有している。  ペソスはこのヨットのおかげで、さらに尊敬され、称賛されるようになったのだろうか? そんなことはない。彼が安物の自転車に乗っていたとしても、現代最高の起業家として称 賛されるだろう。なぜなら、彼は実際にそのような人物だからだ。  スティーブージョブズは家具のない家に住んでいた。だが、そんなことはまったく問 題ではなかった。どんな生活をしていようとも、彼が時代の寵児であることに変わりはな かった。  たしかに彼らは有名人であり、これは極端な例だ。しかし、私たち一般人がそこから学 べることはたくさんある。  所有物ではなく、あなた自身がどんな人間であるかについて尊敬や称賛を得られるよう になろう。そうすれば、派手な物にお金を使いたいという欲求は大幅に減る。  あなたが最も尊敬する人たちにも、同じことが当てはまる。私は両親を愛し、尊敬して いるが、それは彼らの服装のせいではない。  この事実は、大きな学びを与えてくれる。  目標にすべきは、所有物を見せびらかすことではなく、行動を通して尊敬や称賛を得る ことではないだろうか? 外発的な誇り、内発的な誇り  ジャーナリストのジェニファー・ブレーニー・ウォレスは著書[Never Enough]〔邦題 『「ほどほど」にできない子どもたち]達成中毒』早川書房〕の中で、こう書いている。    誇りを感じる方法は2つある。    ―つは内発的に、つまり心から自分に誇りを感じているとき。    t)う1つは外発的に、つまり他人の意見に基づいて自分がどれくらい誇りを感じて   いるかを判断しているときI心理学では後者を”傲慢な誇り”と呼ぶ。  現代人のお金の使い方はたいてい、外発的な誇りを育もうとする試みである。  だが、私たちが本来求めている、深い充足感が得られる誇りは、内発的なものだろう。 つまり、どんな服を着て、どんな車に乗っているかよりも、自分が何者であるか、何を成 し遂げてきたかに対して誇りを持つことだ。  おそらく何よりも重要なのは、心理学者のティムーカッサーが指摘したように、「外発 的な誇りを重視する人は、内発的な誇りを求める余裕がなくなる」ことだ。シャンタブー ド(物質的な地位)を追い求めると、栄養のある食べ物(家族、友人、知性、ユーモア、 愛情)への欲求が減るのと同じだ。研究によって、外発的な誇りを特に重視する人は、不 安や抑うつ、アルコール乱用といった問題に陥りやすいこともわかっている。  もちろん、見栄を張りたいという気持ちはごく自然なものだ。特に若い頃は、そうなり がちだ。派手なスポーツカーを所有することに憧れるのも、たいてい若者(特に男性)で ある。  人生経験が少ない若い頃は、知恵や知性、愛情を通して尊敬を得る能力が、年配の世代 に比べて低い。そのため、最後に残された選択肢、つまり物質的な豊かさに惹かれてしま うのかもしれない。  私自身も、このことをはっきりと実感してきた。若く、未熟で、社交性も職能もまった くなかった頃は、「いつかフェラーリのスポーツカーを所有したい」という大きな夢を抱 いていた。  今では、そこそこの価格の車で十分に満足している。そして、良き父親、良き夫、良き 作家として尊敬や称賛を得ることを目指しているIどれも、20歳の頃の自分にはできな かったことだ。  外発的な誇りを重視してしまうときに危険なのは、他人から実際に評価されているもの を、軽視してしまうことだ。  私には数十年来の親友がいる。私は彼のことが好きだ。彼はそれなりの収入を得ている が、申し分ないというほどではない。彼はそのことが気に入らず、同世代の人間よりも自 分が劣っているように感じるとよく愚痴をこぼしている。  ある日、私は彼にこう言った。  「僕は君に対して98パーセントの尊敬や称賛を抱いている。それは、君が良い父親で、良 い夫で、正直で、働き者で、親切な友人で、面白いジョークを言う人間だからだ。  もし君がたまたま裕福で成功していたら、僕は君に対して99パーセントの尊敬や称賛を 抱くかもしれない。でも、そこにたいした違いなんてない。僕は君がどれだけ稼いでいる かや、どんな車に乗っているかではなく、君という人間そのものが好きなんだ」  物質的な所有物とは一切関係のない理由で誰かが尊敬され、称賛されているのを見れば、 なぜ自分がそうした所有物を強く求めようとしているのか、疑問を持つようになるだろう。  もちろん、大はそれぞれ違うI十分な情報があれば、あらゆる行動は意味をなす。だ から、何に価値を見出すかは、その人の自由だ。それでも私は、物質的な欲求が高まれば、 その分、大切なものが減ると考えている。派手な物を欲しくなるほど、自分を本当に幸せ にしてくれるものが見えなくなってしまう。  このシンプルな考え方こそが、私にとって優先順位を見失わないための指針になってい る。  私は、誰の尊敬や称賛を望んでいるのか?  −家族や親しい友人から。  彼らが私を尊敬し、称賛するための基準として最も重要なことは?  −私と一緒にいることでどんな気持ちになるか、私がどんな接し方をしているか、私 にどれだけよくしてもらっているか。  彼らは、私が高級な物を持っていることに興味を持っているだろうか?  −たいして興味はない。  こんなふうに、答えはシンプルなのだ。  私が心がけているのは、以下の2つだ。 1。本当に幸せな気分になれることを見極め、それにお金を費やす  多くの人と同じく、私もこれまでのキャリアの中で様々な収入の変化を経験してきた。  だが意外にも、高収入になった自分が幸せな気分を感じるものは、それよりもはるかに 低収入のときと同じだった。家族と過ごす時間、アウトドアのレジャー、友人とゆっくり 会話を楽しむことなどだ。  ファーストクラスの飛行機でリゾート地に飛び、五つ星のホテルに泊まり、ビーチで子 どもたちと砂の城をつくることの幸福度が10点だとしたら、狹いアパートのリビングの床 で子どもたちとレゴで遊んでいたときにも、8点か9点の幸せな気分を味わっていた。  私は旅行が大好きで、それを楽しみにしながら生きている。10年前よりも収入が増えた 今、旅行にかけられるお金も増えた。  けれども、旅行のどんなところが自分を幸せにするのかをよく理解すれば、一番大切な ことを重視したうえで、どんなことに時間を使いたいかを考えられるようになるかもしれ ない。たとえば、「旅行にもっとお金をかけること」から「家族ともっと充実した時間を 過ごすこと」に意識を向けられるようになるだろう。 2。家の外観ではなく、内側にお金をかける  家の外側の見映えを良くすることより、内側を華やかにすることを重視するIこの考 え(作家のロバートーグリーンから拝借したものだ)は、文字通りに受け取る必要はない。 つまり、実際に家の外側をみすぼらしくして、内側を飾り立てる必要はない。大切なのは、 次のような考え方をすることだ。  自分の成功を誇りに思い、それを物質的なもので示したいのなら、自分が最も尊敬や称 賛を求めている人たち(家の内側にいる人たち)の目に一番触れるようにしよう。  私にとって、自分が買った素敵な品々が友人や家族の目に触れるというのは、とても嬉 しいことだ。見ず知らずの人たち(家の外側にいる人たち)がたまたまそれを見てどう思 うかは、あまり気にならない。  ここでもう1つ重要なポイントがある。  私たちは、自分の成功の証を他人に示せば、注目や称賛を得られるかもしれないと考え る。しかし実際には、他人が抱く感情は嫉妬であることが多い。  アメリカ合衆国建国の父と呼ばれるベンジャミンーフランクリンは、「人生の秘訣のひ とつは、”人は、周りから嫉妬されていないときに尊敬されやすくなる”という事実に気 づくことだ」と語った。  尊敬と嫉妬の境目を見分けるのは難しい。派手な物で自分を飾り立てる大は、実際には 羨ましがられているだけなのに、尊敬されていると思い込んでしまいがちだ。  これは特に、他人からの称賛や支援を集めることで裕福になった大によく当てはまる。 称賛が羨望に変わると、人々の支援は減り、失敗に対しても厳しい目で見られるようにな る。  人の注目を求めながら社会の階段を上ろうとしているのなら、次のことを心に留めてお こ’つO  その過程で、他人を羨ましがらせていないか?  それはやみくもに高みを求める中で見落としてしまうデメリットになり得る。  オランダの政治哲学者ヤンーウィレムーフアンーデルーリトは、こう述べている。  「拍手喝采を求めることは、人間の特性の中でもとりわけ程度が低い」 ウォーレンーバフエツトでも買えないもの  コラムニストのデイヴィッドーブルックスは、「履歴書に書かれるべき長所」と「弔辞 に書かれるべき長所」を区別していた。  履歴書に書かれるべき長所とは、年収や役職、純資産、所有物の豪華さなどだ。  弔辞に書かれるべき長所とは、突き詰めれば、周りの人からどれだけ尊敬され、称賛さ れていたかだ。  人生で何を求めるかを考えるとき、これほど重要な視点もない。  人類史上屈指の大富豪で、欲しいものは何でも買うことができた投資家のウォーレンー バフェットは、かつてこう言った。  「私くらいの年齢になると、自分の人生の成功を、”愛してほしいと思っている人たちから、 実際にどれくらい愛されているか”で測るようになる」  彼は続けた。  「それは、あなたが人生をどう生きてきたかを示す、究極のテストになる。愛の厄介なと ころは、お金では買えないことだ。金があれば、セックスは買える。自分を称えるパーテ ィを開くこともできる。この人は立派な人です、と書かれたチラシを配ることもできる。  しかし、愛を得る唯一の方法は、愛されるに値する人間であることだ。これは金持ちに とっては歯がゆいことさ。他のものを手に入れるときのように、「100万ドル分の愛を 買おう」と小切手を切ろうとしても、そうはいかないのだから」   すでに手にしているかも   しれないもの  お金と幸せの関係についての本質を突いた小話を紹介Lよう。  アメリカ人のビジネスパーソンがメキシコを訪れ、地元の漁師と出会った。  そのアメリカ大は、漁師が1日にわずか数時間しか慟いていないこ卜こを 知り、衝撃を受ける。  「残りの時間は何をLてるんだ?」とアメリカ大は尋ねた。  「遅くまで寝たり、家族と遊んだり、本を読んだり、昼寝をしたり、友達 とギターを弾いたりしているんだ」と漁師は言った。  「君のやり方は根本的に間違っている。いいことを教えよう」とアメリカ 人は言った。「一日中慟くんだ。それから、借金して船をもう一隻買う。 他の漁師を雇って慟かせれぱいい。10年もすれば、引退できるほどの金が 十  稼げるぞ」     「引退したらどうなる?」漁師は尋ねた。     アメリカ人は答えた。     「遅くまで寝たり、家族と遊んだり、本を読んだり、昼寝をしたり、友達    Lこギターを弾いたりできるようになるぞ」  将来の幸せを夢見るとき、私たちは「所有しているものに満足している状態」を想像す る。新しい家や、贅沢な暮らしI。欲しいものを手に入れて安心し、「これ以上、他に 欲しいものはない」という満ち足りた状態を思い浮かべる。  この心地よさや満足感こそ、私たちが追い求めるべきものではないだろうか。  何かを手に入れたとき、それが予想していたほどの喜びをもたらさないことがある。そ のとき私たちは、新しい何かを手に入れた瞬間に、まだ持っていない別の何かを欲しくな っている。  真の幸福は、「幸せになるために、これ以上何が必要だろうか?」と問うのをやめたと きに得られる。  何が足りないのかと問う時間を減らし、すでに手にしているものを楽しむ時間を増やす。 幸福の鍵は、持っているものに満足することであり、その逆の道は、持っていないものに 目を向けることなのである。 私の知る最も幸せそうな人  作家のマルセループルーストは、かつてある若者の話を語ったことがある。  その青年は、裕福で名声高い貴族たちの暮らしを夢見て、羨ましさを覚えながら日々を 過ごしていた。美術館に通い、豪邸や贅沢な暮らしを描いた絵画に見惚れ、自分には手の 届かない人生に憧れ、悶々としていた。  プルーストはその青年に、ジャンーシメオンーシャルダンの絵画に目を向けるよう勧め た。シャルダンは、食べ物や動物、自然など、日常的な光景を描いた画家だ。プルースト は青年に、目の前にあるものをありがたく思う気持ちを学んでほしかったのだ。遠くにあ る夢のような人生にとらわれるのではなく、今ある人生に感謝することを。  「そうすれば、キッチンを歩き回るだけで、これは面白い、これは壮大だ、これはシャル ダンの絵のように美しい、と思えるようになるだろう」  プルーストはそう書いている。  手にしていないものを欲しがってばかりいずに、目の前にあるものに感謝するI。こ れは、お金と幸福について考えるとき、極めて重要な態度だと言える。  私が知っている最も幸せなそうな人たちはたいてい、自分が手にしているものに満足し ている。  彼らは必ずしも特別に裕福でも、健康でも、美しくも、成功しているわけでもない。だ がみんな、「私はこれで十分だ。自分の持っているものと、今の自分に満足している」と 考えている。そのように達観した人こそが、幸せの王冠を手に入れられるのだ。  たしかに、彼らの多くは裕福だ。物質的にかなり豊かな生活を送っている人もいる。け れども、そうでない人も少なくない。  私は老後の30年間、わずかな年金だけで暮らしていた義理の祖母のことをよく思い出す。  厳密に言えば、彼女は貧困の瀬戸際にいた。しかし、必要なもの、欲しいものはすべて 手に入れていた。小さな庭を手入れし、図書館で借りた本を読む生活に、心から満足して いた。たしかに、彼女の持ち物は少なかった。でも、欲しいものはさらに少なかったのだ。  彼女ほど幸せなそうな人もいなかった。私は何人かの億万長者に会ったことがあるが、 義理の祖母ほど幸せそうな人はいなかった。  その理由は簡単にわかる。彼女は多くを期待していなかったため、満足感を得られたの だ。だからこそ、彼女の心はとてつもなく豊かだった。そして、それが世界有数の大富豪 に欠けていたものだった。  多くを期待しすぎないことで、心が豊かになる。これは、誰にとっても重要な視点であ る。お金に関して言えば、それは適切な期待を持つことから生まれる。  幸福とは、満足することだ。満足は、自分が望むものに対して、どれだけのものを持っ ているかで決まる。  誰の人生も、多かれ少なかれこの公式に従っている。  幸福とは、期待と現実のギャップにすぎない。多くを持っていながらもさらに欲しがる 人は、少ししか持っていないが他に何も望まない人よりも貧しい気持ちになる。当然では ないだろうか?  修道士のように慎ましく生きるべきだというわけではない。大きな家に住み、高級車に 乗り、豪華な旅行を楽しみ、それらすべてに満足し、感謝し、それ以上何も望まないこと も可能だ。これも、素晴らしい人生だと言えるだろう。  重要なのは、どんなライフスタイルを送っているかにかかわらず、ないものねだりをし ないことが幸福の鍵であるのを忘れないことだ。  「あの新しい車があればもっと幸せになれるのに」と考えれば考えるほど、今の自分が幸 せではないという事実に意識が向いてしまう。  欲望は見えない借金のようなものだ。これを返済しなければ、幸せを感じることはでき ない。  アイルランドの小説家アイリスーマードックは、すでに持っているものに感謝しないこ との不幸を、見事に表現している。  「花のない惑星から来た宇宙人は、こんなに美しくて素晴らしいものが身近にある私たち 地球人の生活には、きっととてつもない喜びが縊れているはずだと思うだろう」  私たち地球人は、日々、そんな喜びを感じているだろうか? もちろん、そうではない。  すでに持っているものに感謝せず、持っていないものばかりに目を向けていると、何事 も満足感を得られなくなる。幸せにはいつまでも手が届かない。  ストア派哲学に、「富を必要としないことは、富そのものよりも価値がある」という格 言がある。より良くお金を使い、お金と幸せに付き合うためには、この知恵を心に留めて おく必要がある。 ドーパミンのラットレース  大は、手に入らないものほど、さらに欲しくなるものだ。欲望とお金の使い方には、次 のような階層がある。 ・欲しくないものは、持っていようがいなかろうが気にもしない ・欲しくて手に入るものは、そこそこ良い気  分をもたらす ・欲しいが手に入らないものは、手に入れよ  うという意欲を高める ・欲しいが絶対に手に入らないものは、執着  や苦悩を生む  ファイナンシャルーアドバイザーのピータ ー・マルークは、物の価値を上のグラフのよ うに説明している。  ここでの「物」が何であるかはたいした問 題ではない。ひどく喉が渇いている人にとっ てのコップ一杯の水は、プライベートジェッ ト機を2台所有している億万長者にとっての 新しいジェット機よりも価値がある。  このことは、脳が実際に何を望んでいるか を知れば理解できるようになる。  脳が求めているのは、高級車や豪邸ではない。脳は、ドーパミンが欲しいのだ。脳が欲 しているのは、それだけなのだ。  この仕組みについての詳細は、「The Molecule of MoreJ〔邦題「もっと!‥愛と創造、 支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学」インターシフト〕という素晴らしい本に 譲るとする。この本には、次のように記されている。    ドーパミンは、常にちっと多くの-pの、もっと多くの刺激、もっと多くの驚きを求   める欲望の化学物質である。これらを追求するとき、ドーパミンが感情や恐怖、道徳   に阻まれることはない。    ドーパミンの観点からは、重要なのは「持っていること」ではない。何でもいいか   ら、とにかく新しい何かを「得ること」なのだ。  脳は物を求めているのではない。新しい物さえ求めていない。脳は、新しい物を手に入 れるための「プロセス」や「期待感」を求めているのだ。  このことは、俳優のウィルースミスが名声について語った言葉にも表れている。  「有名になるのは素晴らしい。でも、有名であることには良い面と悪い面がある。重要な のは、どれだけ有名かということじゃない。有名になったり、名声を失ったりする、その 変化のほうなんだ」  お金に関しても、この考えはよく当てはまる。  若いときは、どんな車でもいいから所有することを夢見る。1万ドルの車を買うと、2 万ドルの車を夢見るようになる。2万ドルの車を買うと、5万ドルの車を夢見るようにな る。5万ドルの車を買うと、10万ドルの車を夢見るようになる。10万ドルの車を買ったら、 10万ドルの車を何台も所有することを夢見るようになる。  これには、ほとんど終わりがない。資産100万ドルの人は資産1000万ドルに、資 産1000万ドルの人は資産1億ドルに、資産1億ドルの人は資産10億ドルに、資産10億 ドルの人は100億ドルに、資産100億ドルの人は資産1000億ドルになることを夢 見る。資産1000億ドルの人が夢見るのは何か? そう、不老不死だ。  私たちはいつも、「次は何?」「足りないのは何?」「どうしたら次のレベルに行ける?」 と考えてしまう。それが、脳が望んでいることだからだ。  金メダルを獲得したり、大会で優勝したりしたスポーツ選手が、「嬉しいというよりも、 ホツとしています」と答えるのを見聞きしたことがないだろうか。彼らは自分自身や周囲 の期待を高く設定しているので、最高の結果を出しても、それで当然だという心境になっ ているのだ。  そしてすぐに、まだ自分が手にしていないもの、つまり次の大会での勝利に意識を向け る。スポーツ選手の場合はこれでいいかもしれないが、富を増やすことにこの考えを当て はめるのは、とても危険なことだ。  リチャードーニクソン元アメリカ大統領は、退任してから数年後、彼がこれまで会った 中で最も不幸なのは、世界トップクラスの富裕層の人たちだと語った。  「彼らは一日中、酒を浴びるほど飲み、しゃべり続けている。考えは浅く、引退して社会 と関わろうとせず、人生の目的を持たずに生きている」  普通の人にとっては、素晴らしい人生に思えるかもしれない。しかし、好きなことが何 でもできる時間と経済的余裕のある人たちにとつては、実際そう感じられないことが多い。  ニクソンはこう説明している。   「お金がたくさんあって、豪邸に住んだり、ゴルフをしたり、素敵なパーティーを開   いたり、いい服を着たり、旅行したりできたら、どれほど素晴らしいだろう」と思っ   ている人もいるかもしれない。    その答えはこうだ。    まだ手にしていなければ、これらは大きな意味を持ち得る。    いったん手にLてしまえば、何の意味奄持だなくなる。  「まだ手にしていなければ、大きな意味を持ち得る。いったん手にしてしまえば、何の意 味も持たなくなる」。この言葉が持つ意味は大きい。  お金に関する感情の中で、ごく自然で頻繁に起こるもののひとつは、「持っていないも のが欲しくなること」だ。そのような感情を持ちにくい人もいるが、たいていはほとんど の人が抱く感情であり、これはドーパミンの連鎖を引き起こす強力な罠となる。  この感情こそ、「自分はお金を使って何が欲しいのか?」という問いへの答えを示して いるように思える。  あなたが欲しいのは、新しい車かもしれないし、新しい家かもしれない。もっといい服 かもしれない。しかし実際には、あなたが本当に欲しているのは、こうしたものではない 場合がほとんどだIあなたは、「まだ手に入れていない何か」を欲しているのだ。  いったんそれらを手に入れることができたら、ゴールポストが勣く。あなたはドーパミ ンに支配され、すぐに「次は何を手に入れよう?」と自問し始める。 「ありあまる幸せ」が手に入るマインドセット  ここで留意すべき大切なポイントが2つある。 1.私たちは、「一過性の喜び」を追い求めがちだ。それは楽しいが、つかの間のもので   しかない。それよりも、深い満足感を求めよう。それは一過性の喜びよりも良い気分   をもたらし、しかも長続きする  とびきり面白いジョークを聞いたら、あなたは1分間笑い続けるかもしれない。同じジ ョークをもう一度聞いたら、少し笑うかもしれない。でも、何度も繰り返し聞かされたら、 すっかり飽きてしまい、「何か他にジョークはないの?」と言うだろう。  一過性の喜びも似たようなものだ。良い気持ちにはなるが儚い。テレビドラマ「マッド メン」の主人公、ドンードレイパーの言葉を借りれば、「幸福とは、さらなる幸福が必要 になる直前に感じる感情」なのである。  一過性の喜びを追い求めることの問題点は、気分は良くなるが、それが長続きしないた め、依存症のようなサイクルに陥りやすいことだ。  一方、満足しているときは、これ以上何かを追いかける必要がない。これ以上何かを追 いかけようとしないことは、今この瞬間を生きるための前提条件である。  「あのときこうしていれば、物事は今よりも良くなっていたかもしれない」  「こうすれば、未来はよくなるかもしれない」  そんな考えで頭をいっぱいにしていなければ、過去にくよくよしたり、未来を夢見てば かりいたりせずに、今この瞬間を楽しみながら生きられるようになる。そのとき初めて、 自分がすでに手にしているもの、今していること、自分が築き上げたもの、誰かと一緒に いることを心から楽しめるようになる。  「満足感こそが最高の心理的状態」と考えられるようになれば、人生の目標は変わる。同 時に、ドーパミンのゲームでは究極的には勝てないこともわかるだろう。なぜなら、いく ら勝っても、すぐに「もっと」を目指すようになるからだ。このゲームに勝つための唯一 の方法は、プレイするのをやめること。つまり、満足することだ。  次の言葉を覚えておいてほしい。  「満足感や、幸せを味わうために必要なものは、今この瞬間にすべて揃っている。お金が もたらすどんな喜びも、それ以上のものではない」 2。真の豊かさとは、「持っているもの」と「欲しいもの」の差で決まる  富は、足し算で測られがちだ。お金が多ければ多いほど、豊かになるとみなされる。  しかし、豊かさを測るうえで「期待」と「満足」がどれほど重要かを理解すれば、それ が単純な足し算では導けないものであることがわかるだろう。  豊かさとは、「何を持っているか」ではない。本当に重要なのは、「持っているもの」と 「欲しいもの」との差なのだ。  欲望を減らすことは、お金を増やすことと同じくらい、私たちの幸福度に影響する。し かも、これは自分でコントロールできることだ。そのうえ、「勝てるゲーム」でもある。 それはつかの間の幸福ではなく、永続的な満足感へとつながる。  欲望を減らすのは、喜びや幸せを諦めることではない。お金の使い方や、楽しい時間の 過ごし方を知らないことでもない。むしろ、その逆だ。持っているものに満足することこ そが、自分の家や、服、旅行を心から楽しむための最良の方法になるのだ。  あなたは、毎朝目覚めるたびに、まだ手に入れていないものに不安を感じ、自分より多 くを持っている人に嫉妬する億万長者になりたいだろうか?  それとも、毎朝目覚めるたびに、満足感と喜びに満ち、何であれ持っているものに感謝 できる普通の人になりたいだろうか?  私の義理の祖母は、経済的には貧しかったが、精神的には豊かだった。彼女が持ってい るものと欲しいもののあいだにあるギャップは、彼女の100倍ものお金を持っている人 よりも小さかった。  その方程式をマスターしている誰かを目の当たりにしたとき、私たちの富に対する考え 方は根本から変わるのだ。  あなたは、自分のことを心から愛してくれる配偶者や、敬愛してくれる子どもたち、良 き友人、健康に恵まれ、清廉潔白な心で年収10万ドルを稼ぐ人生と、これらが何一つ手に 大らないが年収100万ドル稼ぐ人生の、どちらを選ぶだろうか?  答えは明白なはずだ。  この章では、お金に関する重要な点に注目してみよう。  それは、「お金では得られないもの」だ。  元アメリカ大統領ジョンーアダムズは死の床で、「ジェファーソンはまだ生きている」 という言葉を残し、政敵トーマスージェファーソンヘの嫉妬を露わにしたことで知られて ゛ S 」Vる  皮肉にも、これは事実ではなかった。アダムズは、ジェフアーソンがすでにその数時間 前に亡くなっていたのを知らなかったのだ。  誰かを羨ましく思ったら、あなたが見ているのは「その人の人生の断片にすぎない」と いうことを思い出そう。  この文章を書いている時点で、世界で最も裕福な10人は、延べ13回離婚している。10人 のうち7人が離婚経験者だ。  もちろん、原因と結果は必ずしもつながっているとは隕らない。しかし、離婚という幸 福と大きな関わりのあるテーマで、多くの人が羨むような生活をしている超富裕層の人た ちが、平均よりもはるかに離婚率が高いという事実は、興味深いのではないだろうか。  誰の人生にも、傍目からは見えない部分がたくさんある。特に、誰もが隠そうとする、 困難で、憂鬱で、惨めな部分に関してはそうだ。  私たちはお金について考えるとき、お金が増えれば、人生は良くなるはずだと考えてい る。そして、お金が増えることで生じ得るデメリットからは目をそらそうとする。  お金に関して、よく知られた傾向がある。「幸せになるにはいくらお金が必要?」と尋 ねると、たいていの人は、現在の収入の約2倍だと答えるのだ。  これは、ほぼすべての収入レベルに当てはまる。幸せになるために、年収3万ドルの人 は6万ドル、年収6万ドルの人は19一万ドル、年収100万ドルの人は200万ドル必要だ と欠口える。  その主な理由は、一般的に「お金が増えればどんな問題でも解決する」と思われている からだ。そうではないと気づいたとしても、「もう少しお金があれば」と思ってしまう。  「お金を持つことで得られるもの」ばかりに目を向け、「お金を持つことで失うもの」を 無視してしまうと、大は終わりのない迷路に迷い込んでしまう。 幸せの多くは、お金とは無関係だ  石油王として知られた実業家のJ・ポールーゲティは、史上初めて資産が10億ドルを超 えた大物のひとりであり、かつては世界一の大富豪と呼ばれた。  1963年のドキュメンタリー番組で、ゲティは700エーカー(約280万平方メー トル)の敷地にある、72室を有するサットンープレイス城でインタビューを受けている。 この城は、現存する大豪邸の中でも、桁違いに華麗な邸宅として知られている。  ゲティは、現代の王様のような暮らしとはどんなものかと何度も尋ねられるが、肩をす くめる程度の答えしか返さない。巨富を築きながらも、彼が喜びに満ち謚れているわけで はないのは明らかだ。  最後に、どんな人のことを羨ましく思うかと尋ねられ、ゲティはこう答える。    私よりも若く、強く、明るい人。性格の良い人。私はずっと、自分がちっと良い性   格で、もっと人を楽しませることができたら、と思っていた。自分は一緒にいて退屈   な人間なのではないかと、いつも不安だった。  興味深い答えだ。ゲティは、自分と同じような大富豪や、歴史上の成功者のことを羨ん でいるとは言わなかった。彼が羨んでいたのは、自分よりもはるかに貧しく、成功してい ない人たちだった。  惨めな気持ちを抱えて生きている人は、裕福になってもその気持ちが大きく変わるとは 限らない。裕福になることを追い求めている人にとって、それは受け入れがたいことかも しれない。だが、それは現実に起こり得るのだ。  私たちが人生で幸せを感じることの多くは、お金と無関係だ。お金を持つようになって からその事実に気づくのは、辛いことかもしれない。  俳優のウィルースミスは自伝の中で、貧しく辛い思いをしていた頃は、将来、金持ちに なることを強く夢見ていたと語っている。お金があれば、あらゆる問題は解決できると信 じていた、と。  しかし、実際に金持ちになってみると、こうした楽観的な考えは消え去った。十分なお 金を持っていたにもかかわらず、気分は依然として落ち込み、人生には依然として問題が 山積みだった。  音楽プロデューサーのリッタールーピンも、同じようなことを語っている。    人は夢が叶うまでは、本当に落ち込んだりはしないtttのだ。いざ夢が叶って、以前   と気持ちが変わらないと気づいたとき、絶望感に襲われる。  彼は後に、このことをさらに詳しく語っている。    私たちは、外面的な成功を手にすれば自分を変えられると勘違いしている。だが、   それは違う。生活は快適になるかもしれないが、自分という人間の本質は変わらない。   そして、私たちが埋め’たいと思っている心の穴は、決して埋まらない。    20年屯かけて、あらゆる問題が解決すると信じて何かに取り組んできたとしよう。   膨大な努力を重ね、ようやくその何かを成し遂げる。    しかし、何も変わらない。その時、あなたは絶望に陥る。  これは、経済的な目標を達成したり、新しい贅沢品を買ったりしたときによく起こる。「こ れを手に入れれば、人生が根本から変わり、幸せの絶頂に到達できる」と思っていても、 いざ実現してみると何も変わらない場合は多い。それはひどく辛い経験だ。  幸福とは複雑でとらえがたいものだ。しかし、幸福を「愛情深い家族」や「健康」「友情」 「8時間の睡眠」「子どもの健やかな成長」「大きな意義や大切な価値観に沿って生きるこ と」などに分解してみると、お金の役割がいかに隕られているかに気づく。お金にまった く役割がないわけではない。だが、思っているほどそれは大きくはないのである。  もちろん、貧しくて惨めな人生を送る人もいれば、裕福で幸せな人生を送る人もいる。 しかし、大きな富を手にした人は、お金と幸せの関係がいかに脆いものかに気づく。金持 ちになっても、結婚生活が格段に改善したり、人間的な魅力が急に増したり、突然友人に 好かれるようになったり、充実感が大きく高まったりすることはおそらくないI少なく とも、あなたが想像していたほどには。  いざお金を手にしたら、あなたは思ったほど物事はうまくいかないという厳しい現実に 直面するだろう。夢を見るのは気分が良いものだ。しかし、いったんそれが実現すると、 夢は消え去り、気分は落ち込んでしまうのだ。  実業家のマルコムーフォーブスはこう言った。  「夢を叶えたとき、もうその楽しみや喜びは失われている」 幸福は「収入」以外に左右される  妻と私は以前、南カリフォルニアのロサンゼルス近辺に住んでいた。その後、ワシント ンD.C.に引っ越した。  ワシントンD.C.で暮らすなかで、カリフォルニアの気候が恋しくならない日はほと んどなかった。ロサンゼルスは冬は摂氏20度強と暖かく、夏も摂氏30度を超えることは少 なく一年中過ごしやすい。一方の東海岸では、天気は2種類しかなかった。不快なほど暑 いか、非人道的なほど寒いかだ。  私たちは「カリフォルニアの気候があれば、もっと幸せになれるはずだ」と思い込んで いた。しかし、現実はそうではなかった。  事実、カリフォルニア州の住民が東海岸の住民よりも幸せだという研究結果はない。ア メリカで最も住民の幸福度の高い州は、ノースダコタ州、サウスダコタ州、ネブラスカ州、 ミネソタ州だが、どれも北半球でも特に過酷な気候として知られている地域だ。  お金も似たようなものだ。  心理学者のダユエルーカーネマンはかつてこう語った。 「一般的に思われているほど、大きな意味を持たない物事は多い」  彼はこう指摘している。  「下半身麻痺の人は不幸を感じることも多いが、常にそうではない。なぜなら彼らは、多 くの時間を障害とは関係のない行動や思考に費やしているからだ」  同様に、金持ちの人は幸せな気分を感じることも多いが、常にそうではない。  なぜなら、彼らもまた、大半の時間をお金とは関係のない行動や思考に費やしているか らだ。  ここで再び、カーネマンの言葉を引用しよう。    平均すると、高所得者は低所得者よりも気分が良い傾向にあるが、その差はそれほ   ど大きくはない。多くの大が予想する差の、3分のI程度でしかない。    金持ちと貧しい人のことを考えるとき、私たちはどうして-p収入のことばかりを頭   に浮かべてしまう。しかし実際には、幸福は収入以外の要因に大きく左右されるので   ある。  たとえば、もっとお金があれば幸せになれると想像するのは簡単だ。私たちは、広大な リビングルームや大理石のバスルーム、曲線の階段を頭に浮かべて、金持ちになって豪邸 に住むのは素晴らしいことだと考える。  たしかに、ある面では実際にそうなのだろう。しかし、そこには私たちが目を背け、注 意を払っていないネガティブな側面もある。  たとえば、豪邸に住めば掃除が大変になる。雨どいのようなありふれたものの交換に多 額の費用がかかることだってある。あなたの家の庭の手入れの仕方が気に入らないという 理由で、隣人に訴えられることもある(裕福なエリアに住む人たちがやりがちなことだ)。 こうした側面は無数にある。  それに、私たちは広い庭のある家に住むことを想像するとき、そのような豪邸に住んで いる人も、普通の人たちと同じように、消化不良になったり、季節性アレルギーやインフ ルエンザに悩まされたりしているという現実を忘れてしまいがちだ。広い庭のある家に住 んでいても、同僚に腹を立てたり、嫌な上司や迷惑な顧客に悩まされたりすることもある だろう。私たちは、本格的なシアタールームがあるような立派な家に住んでいる人も、他 の人と同じように配偶者と口論をしたり、自分よりも成功している人を羨んだりしている という事実をうまく想像できないのだ。  もっとお金を得ることを夢見るとき、こうしたデメリットの存在を忘れてはならない。  「お金が増えればどんなに良いことがあるだろうか」と想像するのは容易だし、楽しい。 しかしその一方で、お金が増えても変わらないものや、豊かになることに伴う負担もある。  私たちは、ついそれを無視してしまう。その結果、実際にお金を手にしたとき、失望し てしまうことになる。 「お金」と「幸せ」にまつわる5つの真実  もちろん、お金で幸せになれないというわけではない。お金は、一般的に考えられてい るような万能薬ではないということだ。  お金で幸せになれるとしても、それは単純な理由ではない場合が多い。  これから、お金と幸福の関係について、重要な点をいくつか紹介しよう。 1.普段から幸せをあまり感じていない人は、お金が増えても幸せを感じにくい  ペンシルベニア大学の心理学者マシュー・キリングスワースは、お金と幸福の関係につ いて学術界で数十年にわたって繰り広げられてきた論争に終止符を打った。  それまでは、お金と幸福に明確な相関関係があると示す研究もあれば、そうではない研 究もあった。  キリングスワースがこれらの研究結果を詳細に分析したところ、もともと感情的幸福度 が低いと評価された人たちは、年収が10万ドルを超えても幸福度の向上が見られないこと がわかった。  一方、感情的幸福度が中程度だった人たちには、収入が増えるにつれて幸福度が向上す る傾向が見られた。感情的幸福度が極めて高い人たちの場合、収入の増加は幸福感をさら に高める促進剤の働きを示していた。  「幸福度が低いと、お金が増えても助けにならない」とキリングスワースは述べている。  幸福には、実に多くの要素が関係している。お金が増えても、それは全体の中のごく一 部にすぎないのだ。  大切なポイントは、人を本当に幸せにする「家族」「友人」「健康」「生きがい」「澄んだ 心」などの要素はお金では買えず、自分自身で獲得するしかないということだ。 2.お金を使って幸せになれるのは、たいてい間接的な理由による  大きくて素敵な家を買えば、もっと幸せになれるかもしれない。けれどもそれは、おそ らく友人や家族をもてなしやすくなるからだろう。そして、彼らと過ごす時間こそが、あ なたをもっと幸せにしてくれるものなのである。  旅行も同じだ。(ワイに行くのは楽しいかもしれない。だが、旅行の何が素晴らしいか と言えば、仕事やメールや通勤から解放されて、家族と1週間、ゆっくりと過ごせること かもしれない。  これを逆の視点から見てみよう。大きくて素敵な家を買っても、一緒に暮らす家族や遊 びに来てくれる友人がいなければもっと幸せになれるだろうか?  家族と過ごす時間を楽しめないのに、旅行で幸せな気分を味わえるだろうか?  嫌な職場に向かうために買った通勤用の高級車は、あなたを幸せにするだろうか?  幸福の「核心となる要素」を持っているからこそ、お金は人生をさらに豊かにするテコ として働く。だが、それが欠けていれば、お金は私たちが思っているほどは人生を豊かに はしてくれない。  それはもどかしい現実である。私たちは、お金が増え、たくさん使うほど、良い人生に つながると信じ込まされているからだ。 3。お金を増やすことには、それなりの代償がある  シンガーソングライターのテイラー・スウィフトは、キャリア初期の頃に抱いていた野 心を、こう回想している。  「そこに到達したらどんな気分になるかだけでなく、そこに辿り着くまでにどんな問題に ぶつかることになるかを事細かく考えていた」  そんなふうに考える人は稀だ。道の途中で直面するストレスを無視して栄光だけを夢見 るほうが、ずっと楽だからだ。  人は、「もっとお金があったら人生がどれほど良くなるだろう?」と夢想するとき、そ のお金を得るために生じ得る代償−ストレスの多い仕事や、長時間労働、想定外の出来 事、好きなことを楽しむ時間が減ることIを無視している場合が多い。  これは、私たちがお金について考えるときによく見落としがちなことだ。  スウィフトと同じく成功したエンターテイナーであるジミー・カーは、こう語っている。  「みんなが嫉妬するのは、あなたが”持っているもの”だ。それを”手に入れた過程” に嫉妬する人はいない」 4。良い人生の大部分は「起こらなかったこと」にある  良い人生の大部分は、あなたが避けることのできた喧嘩や病気、抑えることができた欲 望の上に成り立っている。無理をせずに過ごした日々や犯さなかった過ち、抱かずに済ん だ後悔によって支えられている。  誰かの人生を形づくっている大切な要素について、私たちが知り得るのはほんのIパー セントほどだろう。その人から見た私も同様だ。せいぜいIパーセント、いやそれ以下か もしれない。  それも無理はない。人生の豊かさの大半は他人には隠されているし、そもそも実際には 起こらなかったことである場合が多いからだ。  それなのに私たちは、家や車、服、宝石、旅行、贅沢品といった、目に見えるわかりや すいものばかりを見て、誰かの人生の豊かさを測ろうとする。物質的なものこそが、豊か な人生を表すものだとでもいうように。 5。「お金をいくら稼ぎ、いくら使つたか」は、良い人生とはほぼ無関係  Netflix(ネットブリッグス)の共同創設者マークーランドルフは、次のような 美しい言葉を記している。    私は若い頃、7社目のスタートアップを創業しながら7人目の妻を持つような起業   家にはなりたくないと決意した。    実際、自分の人生で一番誇りに思っているのは、自分が立ち上げた会社そのもので   はなく、同じ女性と結婚生活を続けながら起業家として働き続けられたことだ。子と   もたちと一緒に過ごす時間を持てたこと、子どもたちに好かれたこと(そう私は思っ   ている)、仕事以外の趣味を楽しむ時間を持てたことだ。私はそれを誇りにしている。  私も、これを成功の定義としたい。実に素晴らしい哲学だ。  人生では、お金をどれだけ稼ぎ、使ったかよりも、お金では買えない、目に見えない側 面のほうが大切なのだ。  他人、特に見知らぬ人に見栄を張る必要がないことは、あなたの個人的なバランスシー ト上で、何よりも価値のある資産になり得る。  見栄を張りたいという気持ちがなくなると、欲望は減る。欲望が減れば、すでに持って いるものへの満足感が高まる。実にシンプルなことだ。  人生を測る物差しは、大きく2つある。  「内的な基準」と「外的な基準」だ。  前者は自分自身が人生にどれだけ満足しているかであり、後者は他人からどう思われて いるかだ。  外的な基準にこだわりすぎると、生きるのがとてつもなく苦しくなることがある。  一方、内的な自分の物盖しだけを大切にする生き方は、充実感に溢れている。  ここで、対照的な生き方をした2人の男性の実話を紹介しよう。人生の物差しについて 正しい基準を選ぶことの大切さを教えてくれる物語だ。 人生一発逆転にかけた男  1968年、ロンドンのサンデー・タイムズ紙は、世界一周ヨットレースを主催するこ とにした。急速に人気を高めていたセーリングというスポーツを利用して同紙の知名度を 高め、購読者を増やすためだ。  「ゴールデンーグローブーレース」と名付けられたこのレースは、単独無寄港で世界一周 を競うという内容だった。  「レース」と呼ばれていたものの、厳密に言えばそれは実情を正確には表していなかった。 当時はまだ、単独無寄港でヨットでの世界一周航海に成功した者は誰もいなかったからだ。 だから、この偉業を最初に達成した者は、必然的に史上屈指のセーフーの座に躍り出るこ とになる。  レースには参加資格はなく、ルールもほとんどない。9人が出場したが、そのうち1人 はセージング未経験者だった。完走したのはたったの1人。約1年をかけ、約2万700 0マイル(約4万3000キロ)を走破した。  だが世間の大きな注目を集め、驚かせたのは、完走できなかった2人のセーラーだった。  その2人、ドナルドークロー(Iストとベルナールーモワテシエの生き方は、人生を測 る基準を自分の内側に置くか外側に置くかでどれほど大きな違いが生じるかを示す好例で ある。2人の物語はスケールが大きく、極端だが、それは普通の大たちが直面している問 題の拡大版にすぎない。 「人生は、賢い者だけが勝てるゲームだ」  2人のセーフーのうちの1人、ドナルドークロー(Iストは、そう語ったことがある。  彼にとって何よりも大切なのは賢さだった。周りの大たちを幸せにし、ゲームに勝てる のなら、嘘をついてもいいと考えていた。だがこの考えは、後に彼を苦しめることになる。  1932年生まれのクローハーストがゴールデンーグローブーレースの存在を知ったの は、36歳のときだ。この時点までの彼の人生について、知っておくべき重要な点は2つあ る。  1つ目は、人生に大きな野心を抱いていたにもかかわらず、職業人生のほとんどで失敗 していたこと。英国の空軍と陸軍に務めたがどちらも退役し、その後は起業をしたものの 軌道に乗らず倒産寸前だった。だからこそ、彼はゴールデンーグローブーレースを、人生 を一発逆転させ、自分の価値を世界に示すためのチャンスととらえていた。  2つ目は、セーラーとしての腕が良いわけではなかったことだ。週末に趣味でセーリン グをすることはあったが、船酔いしやすい体質で、近距離を航海する程度だった。  しかし、クロー(Iストが弱気になることはめったになかった。彼は自作の航海用のナ ビゲーション機器がこのレースに勝つ原動力となり、それによって世間の注目を集められ れば、自らの事業を救うことができると確信していた。  とはいえクロー(Iストは、いくつかの壁に直面していた。まず、自分のヨットを持っ ていなかった。経済的にも困窮していて、レース資金を調達できる見込みはなかった。  そこでイギリス人実業家のスタンリー・ペストとスポンサー契約を結び、2つの条件の もとで、レースに必要な機材の費用を負担してもらうことにした。  1つは、クロー(Iストをセーリングの天才として描き出すようにメディアの熱狂を引 き起こすこと。もう1つは、もしクロー(Iストが完走できなかった場合は、費用の全額 を返済することだ。  メディアの注目を集めようとするクロー(Iストの試みは奏功した。レースの準備期間 中、イギリスの公共放送BBCは、彼をセーリング史上最も過酷なレースに挑もうとする、 勇敢な無名のアマチュアとして大きく注目した。  このレースはとてつもなく過酷だ。世界中の経験豊富なセーラーでさえ、単独無寄港世 界一周は、ほぼ不可能だと思われていた。にもかかわらず、セーリング界ではまったく無 名の存在だった経験の浅いクロー(Iストが、この偉業への挑戦に名乗りを上げたのだ。  彼は、世間の注目を集めることに大きな喜びを感じていた。「クロー「Iストは、自分 のことを神だと思っていた」と、ある友人は語った。  しかし、クロー(Iストは神ではなかった。世界一周の航海に出発する前日、準備不足 を痛感した。テインマスーエレクトロン号と名付けた彼のヨットは大幅に改造され、未完 成の装置や仕掛けで重くなっていた。そのため、短距離の航海にさえ耐えられる状態では なかった。世界一周の単独航海など、到底無理だと思えた。  妻のクレアからは、レースの出場を取りやめるように説得された。  「君の言う通りだ」  そうクローハーストは言った。  「でも、もうこのレースは僕にとって重要なことになりすぎたんだ。やり遂げるしかない」  長い沈黙の後、彼は続けた。  「このヨットの出来にはがっかりしている。状態は万全じゃない。僕自身の準備もできて いない。こんな絶望的な状況のまま出発したら、君は不安で気がおかしくなってしまうか い?」  クレアは質問には答えず、こう尋ねた。 「今諦めたら、残りの人生でずっと後悔する?」  クローハーストは何も答えず、泣き始めた。 「見栄に生きた男」の悲しい末路  1968年10月31日、クロー(Iストはイギリスのテインマスから出航した。  予想通り、序盤から苦戦した。2週間が経過した段階で、予定していた距離の半分にも 満たない航海しかできなかった。  早速、トラブルにも見舞われた。ヨットが水漏れを始めたのだ。「この忌々しいヨットは、 パラパラになりかけている。細かな部分のつくりが雑すぎるからだ」と彼は日記に記して いる。  ヨットは沈没する危険はなかったものの、海水が浸入したことで電子機器や発電機が壊 れ、レースを完走できる見込みはほぽ消滅した。クローハーストは、このまま南大西洋の 荒波を航行し続ければ、脆弱なヨットはすぐに転覆してしまうに違いないと覚悟した。  「どうすればいい? 無寄港での挑戦を諦めるか? 続けるか? 続ければ、航海に成功 するか、溺れ死ぬかのどちらかだ」と彼は日記に記している。  一方、航海を諦めれば、さらに事態は悪くなることが予想された。引き返して帰国すれ ば、借りた資金の返済を迫られ破産するだろう。「またしても事業に失敗した男」という 屈辱的な烙印も押されることになる。  しかし、賢いクロー(Iストは、第3の選択肢があると気づいた。まったくの嘘をつい て、航海をしているフリをすることだ。  クローハーストは大西洋の穏やかな海面を、あてどなく漂い始めた。そして、まだ世界 一周航海を続けていると見せかけるために、偽の座標をイギリスに送り続けた。  計画は単純だった。大西洋上で半年ほど漂流し、同じエリアに留まり続けて時間をつぶ せれば、世界一周の航海をしてきたと人々に信じ込ませたまま、尊厳を保ってイギリスに 帰国できる。  クロー(Iストは2冊の航海日誌をつけ始めた。I冊はゴールにどれくらいの速さで到 着できるかを逆算した偽の位置情報を記録したもの。もう1冊は実際の位置情報を記録し たものだ。母国の報道機関に位置を通報されないよう、他のヨットに発見されにくい位置 に留まるためには、実際の位置情報を記録することも不可欠だった。  このような偽装計画を成功させるには、まったくの天才でなければならない。だが、ク ローハーストはそうではなかった。  この計画を開始してから数日後、最初の大きなミスを犯した。母国のレース主催者に偽 の座標を報告したが、計算がずさんだったため、突如として猛スピードで航海し、前例の ない距離を移動しているかのような印象を与えたのだ。  事情を何も知らないマスコミは、それを鵜呑みにした。サンデー・タイムズ紙は、こう 報道している。    本紙が主催する単独無寄港世界一周ヨットレースで、最後に出走したドナルドーク   ロー(Iストは先週日曜日、全長41フィート(約12・5メートル)の三胴船「テイソ   マスーエレクトロソ号」で息を呑むような、記録破りとち言える243マイル(約3   88キロ)を走破した。この偉業は、彼の航海の最初の3週間のペースが非常に遅か   ったことを考えると、なおさら驚異的である。クロー(Iストは、カーボベルデ諸島   への到着に、他のどの出場者より屯長い時問がかかっていた。    彼はこの驚くべき航海をした日の直後の無線メッセージで、24時間ずっと海の様子   を見張っていたと語っている。「相当な精神力が必要だった。人生でこんなに速く航   海したことはない」と。  すべてが嘘だった。  このような状態が何か月も続いた。クロー(Iストは落ち込み、怯えながら大西洋を漂 流した。「故郷では誰もが、私がセーリング史上最も英雄的な偉業を成し遂げていると思 つているはずだ」と想像しながら、虚偽の座標をレース主催者に送り続けた。  最終的な帰国の計画を立てる中で、クロー(Iストはレースに優勝したくないと考える ようになった。優勝すれば注目を集める。そうなれば、セージング関係者に航海日誌を精 査され、不正行為が暴かれてしまうかもしれないからだ。  理想的なのは2位でフィニッシュすることだった。驚異的なパフォーマンスをしたと英 雄視される一方で、専門家に航海の詳細を調査されるほどの注目は浴びないだろう。  クロー(Iストは、このレースに出場中のナイジェルーテトリーというセーラーが、最 速での世界一周の記録更新に向けて順調に進んでいるのを知っていた。  クローハーストは戦略的に2位を狙ったが、テトリーに接近しすぎるというミスを犯し てしまう。  ライバルが後ろに迫っていることに不安を感じ、ヨットを限界のスピードで前進させ続 けたテトリーは、ヨットを大西洋に沈めてしまった(テトリー自身は救命ボートに乗って 生き延びた)。  このままだと、クロー(Iストはゴールデンーグローブーレースに優勝し、史上最高の セーラーの称号を得ることになる。  故郷のサポーターたちは興奮していた。   BBCは6月18日、クロー(Iストに次のような電報を送った。     シソチョクヲ シュクフク シマス     キカソシタヒニ( ゼソコクホウソウノ テμビバングミヲ ヨテイシテイマス  テインマスの町では、新たなヒーローの到着を祝うために、「ドナルドークロー「Iス ト歓迎委員会」が結成された。計画では、BBCのヘリコプターが港までクロー(Iスト のヨットを追跡し、大砲による祝砲とパレードでその凱旋を迎えることになっていた。  クローハーストの日記には、間近に迫る名声に彼がどれだけ不安を抱いていたかがはっ きりと記されている。それは、すべてが不正に得たものであり、真実が明るみになれば危 険を伴うものだった。  クローハーストにとって人生はゲームだった。自らの運命に思いを馳せながら、彼は日 記にこう書いた。  「このゲームに目的が見出せない。(中略)自分の犯した罪の本質はわかっている」  その後、さらに不吉な書き込みが続いた。    終わった。    すべて終わった。    これは救いだ。  最後は、こう締めくくられていた。    私のゲームは終わりだ。真実は明らかにされ、家族にも迷惑をかけることになるだ   ろう。(中略)これ以上、ゲームを長引かせる必要はない。良いゲームだったが、終   止符を打だなければならない。(中略)私はこのゲームを、自分が望むときにプレイし、   自分が望むときにやめる。  111 1一日後、大西洋を漂流しているテインマスーエレクトロン号が発見された。大きな損傷 や事故の痕跡はなかった。しかしそこには、ドナルドークロー(Iストの姿は見当たらな かった。  その後、彼は二度と姿を現さなかった。海に身を投げて、自ら命を絶ったと考えられて いる。  皮肉にも、ゴールデンーグローブーレースを唯一完走したロビンーノックスージョンス トンは、賞金の5000ポンドをクロー(Iストの妻クレアに寄贈した。クロー(Iスト は、レースを完走できなかった場合に破産をして家族に迷惑をかけることを恐れていたが、 これでクレアは窮地から逃れられた。 もう一人の挑戦者  クローハーストが自ら命を絶つ直前、ゴールデンーグローブーレースに参加していた別 のセーラーが海上で驚くべき決断を下した。  ペルナールーモワテシエは熟練のセーラーで、レース開始から5か月時点で、優勝をほ ぼその手中に収めていた。  レース当時48歳だったフランス人のモワテシエは、セーリングを愛し、人生の大半を海 で過ごしてきた。しかし、彼にはセーリングが商業化されることを嫌っていた節があった。 メディアやスポンサーのためにセーリングをするという考えは、モワテシエの魂を傷つけ た。彼はセーリングそのものが好きだったのだ。  モワテシエは航海に無線機すら携帯せず、孤独を好み、通り過ぎる他のヨットに頼んで、 自らの位置をイギリスのレース主催者に知らせてもらっていた。海上で9か月間も孤独に 過ごすには、世間とのつながりを断つことに抵抗のない性格であることが望ましい。モワ テシエはまさにその典型だった。  誰かの楽しみのためにセーリングをするという考えに対する嫌悪感はますます募り、航 海の途中に我慢の限界に達した。  彼は日記にこう書いている。    あの煩わしいヨーロッパに戻ると考えただけで本当に気分が悪くなる。(中略)蜘   蛛のように私たちを待ち伏せし、肝臓を食らい、骨髄を吸い取る偽りの神々にはもう   うんざりだ。私は現代社会を告発する。この社会はまさに怪物であり、人間の魂を踏   みにじるものだ。  ヨットはモワテシエの魂を満たすものだった。彼は後にこう回想している。    日々は過ぎていくが、決して単調ではない。同じように見えても、まったく同じ日   はひとつとしてない。それが海での生活を特別なものにしている。そこにあるのは。   黙想と、至極シンプルなコントラストだけだ。海、風、凪、太陽、雲、イルカー。   ここには平和と、調和の中で生きる喜びがある。  イギリスに戻る途中、ホーン岬を航海していたモワテシエは、突拍子もないことを考え 始めた。レースをやめて、どこか別の場所へ向かおう、と。  家族や友人のことを思いながら、彼はこう書いた。    私は平穏な気持ちで、太平洋へと向かって進んでいる。なぜそうしなければならな   いのかを、彼らにどう説明すればいいのかはわからない。理解はしてもらえないだろ   う。それでも私は、自分が正しいことをしているのを知っている。心の底からそう感   じている。具体的にどんな場所に向かっているかはわからなくても、自分がどこへ向   かっているのかはよくわかっている。  その後、彼は決断した。  モワテシエは通りかかった商船を手招きして呼び止め、メッセージを手渡した。それは サンデー・タイムズ紙の編集者宛ての手紙で、次のように書かれていた。    親愛なるロバートへ。今日は3月18日で、私は太平洋諸島を目指してノンストップ   で航海を続けている。なぜなら、海にいると幸せだからだ。そしておそらく、自分の   魂を救うために。  モワテシエは商船の船長に、このメッセージをフランス領事に届けるよう大声で頼んだ。  その後、彼はレースを棄権し、タヒチを目指した。  日記にはこう綴られている。    もはや、これはジョシュア号[モワテシエのヨットの名]と私、私と空だけの物語   だ。私たちだけの、他人にはまったく関係のない素晴らしい物語だ。(中略)私には   時間があり、選択肢がある。どこに向かっているのかはわからなくても、とにかくそ   のどこかに向かっている。心配することもなく、それ以上の疑問を抱くこともなく。  ヨーロッパで彼を待っていた一部の人たちにとって、モワテシエは正気を失ったように 思えた。だが彼自身は心の中で、自分なりの平穏を見つけていた。  モワテシエは6月にタヒチに到着した。浜辺に家を建て、自給自足の生活をし、航海に 関する本を書いて暮らした。  「私がどれほど幸せか、あなたにはわからないだろう」と彼は書いている。  皮肉にも、タヒチはレースの航路からあまりにも遠く離れていて、モワテシエはかなり の距離を引き返す必要があった。その結果、レースを棄権したにもかかわらず、彼は地球 を一周し、3万7千マイル以上(約6万キロメートル)という単独無寄港航海の世界最長 記録を、図らずも樹立することになった。  モワテシエの本には、この事実について何も記されていない。彼は他人にこの記録のこ とを知られようが知られまいが気にしていないようだった。ましてや、注目を浴びたいと は少しも思っていなかった。 その支出は「外」のため?「内」のため?  この2人の物語を紹介したのは、クロー(Iストを笑いものにしたり、モワテシエを英 雄視したりするためではない。  9か月間も海上で孤独に過ごすのは、誰であれ正気を保つのが難しいことだ。クロー( Iストの絶望感には共感できる。また、モワテシエの決断も、彼にとっては正しいことだ つたかもしれないが、多くの大にとっては破滅的なものになり得るだろう。なぜなら人間 とは、多かれ少なかれ社会的な承認を望むものだからだ。  それでも、この2人の話は極端ではあるものの、私たちが日常で感じていることをよく 表している。  単純な話だ。クロー(Iストは自分の業績が他人の目にどう映るかに執着していたが、 モワテシエはまったく気にしていなかった。一方は自分の外側にある基準にこだわり、も う一方は自分の内側にある幸福の尺度にしか関心がなかった。  そして、この2つの違いを知ることは、人生においてとても大きな力になる。  投資家のウォーレンーバフェツトはかつてこう語った。  「人の行動を左右する大きな問いは、人生の基準を自分の内側に持っているか、外側に持 っているかだ。内側の基準で満足できれば、それは大いに価値のあるものになる」  彼は次のような例を挙げた。  「世界最高の投資家として知られていながら実際は世界最悪の投資家であるのと、世界最 悪の投資家として知られていながら実際は世界最高の投資家であるのと、どちらが良いだ ろう?」  これも極端な例だが、自分にとって何が本当に大切なのかを考えるきっかけになる。  私たちがお金を使うときに下すすぺての決定は、2つに大別できる。  1つは、周りの人に良い印象を与えるため、もう1つは、自分の魂を満たし、幸せな気 分を味わうためだ。  バフェットのたとえを応用すれば、「周りから感心されるような高級品に囲まれている が惨めな気分で生活するのと、誰からも感心はされないが毎朝幸せな気分で目覚められる のとでは、どちらが良いだろう?」だ。  私には、内的基準と外的基準の最適なバランスを見つける方法はわからない。しかし、 私たちを外的基準に向かわせる強い社会的な影響力があるのはたしかだ。私たちはこうし た力に流され、自分が本当に楽しいかどうかにかかわらず、誰かが用意した道を進もうと する。SNSは、この影響力を桁違いに強めている。  しかし私は同時に、人間には内的基準に従いたいという強い欲求があることも知ってい る。誰もが、周りの目を気にせず、自分だけの価値感に従いたいと思っている。好きなこ とを、好きなときに、好きな人と一緒にしたいと思っているのだ。  そして、それこそがお金を得ること、使うことの最大の目的だ。なぜなら、それがほと んどの人が真に望んでいるものだからだ。  マイケルーメイは幼児期に恐ろしい事故に遭い、完全に視力を失った。46歳のときに手 術を受け、奇跡的に視力が回復した。そのとき、彼は生まれて初めて世界を見た。  手術が無事に終わり、メイが診察室を出てロビーを歩いたとき、ある物に目を奪われた。 カーペットだ。ありきたりで地味な、どこにでもあるオフィス用のカーペット。  「あの形を見て1・ あの色を見て!」メイは興奮して妻に言った。こんな美しいものがこ の世に存在しているなんて、想像もしていなかった。  ロビーを見回すと、他の患者たちが退屈そうに診察を待っているのが見えた。なぜ誰も カーペットに興奮していないのだろう? 彼には理解できなかった。他の人は、自分と同 じものが見えていないのだろうか?  メイの伝記を書いた、作家のロバートーカーソンはこう書いている。  「彼は、周りの人たちがカーペットを無視していることが信じられなかった。こんな素晴 らしいカーペットが敷かれているのに、どうしてただ椅子に座っていられるのだろう、と」  メイは立ち止まり、つぶやいた。  「これが青なんだ。なんてことだ……。これが青色なんだ」  どんな色か想像はしていたものの、目が見えるようになるまでは、青色がどんなものか は具体的にはイメージできなかった。  病院内を歩き回りながら、目にするものすべてに感動した。壁に飾られた絵画や、出口 の標識さえもI。生まれて初めて紙に書かれた数字を見たときには、とりわけ大きな驚 きを感じた。  すべてがあまりにも美しく、圧倒的だった。それまで何も見たこともなかったからこそ、 メイは病院のカーペットを見て、私たちが最高に美しい夕日を眺めるよりも、はるかに大 きな喜びや畏敬の念を抱いたのだ。 幸せは「ギャップ」に宿る  このエピソードから、私たちが学べることは多い。  人は、普段慣れ親しんでいるものと比べてギャップがあれば、どれだけ平凡な物事でも、 とてつもなく素晴らしいと感じることがある。  誰もが裕福になりたがる。裕福になれば、幸せになれると考えているからだ。しかし実 際に私たちに幸せをもたらすのは、何かを新たに得ることではなく、新たに得たものと現 実とのギャップにあるのだ。  喉がカラカラに渇いているときに飲む一杯の水道水は、至福の味がする。空腹のときに 食べる安い食事ほど、美味しいものもない。子育て中の親にとっては、新生児が寝静まり、 ようやく少しだけ取れた短い仮眠こそ最高の睡眠となる。  万人に当てはまる幸せな経験というものはない。どんな幸せな経験も、その実態は「期 待と現実のギャップ」だ。それは、あなたが今手にしているものと、過去に手にしていた、 あるいは期待していたものとの差なのだ。あなたを幸せにするのは、物の値段ではなく、 その「対比」なのである。  それを踏まえて、お金を使うときに心に留めておくべき重要なことは、ごくわずかしか なI  そのひとつが、「良い人生とは、必要なものすべてと、欲しいものの一部を持つこと」だ。  欲しいものすべてを手に入れたら、すでに持っているものの価値を感じられなくなる。  聖職者のウィリアムードーソンの言葉に、こんな一節がある。    富についてほとんど知られていないのは、お金に関するあらゆる喜びは、倹約が不   要になった時点で終わるということだ。ローンを組まずに欲しいものを何で-p買える   ようになった人は、購入Lだものにたいした価値を感じなくなる。  何かを得るために貯金に励んでいるときの期待感や、思いがけず手に入ったときの驚き、 以前は買えなかったものが今は買えるようになった喜びIそうしたものが、何かを買う ことに、それ以上の価値を生んでくれる。  初めてアルバイトをし、報酬をもらったときの気持ちを思い出してみよう。安いミルク シェイクで祝ったとしても、「これは自分の力で手に入れた。自分で稼いだお金で買った んだ」という喜びを感じたはずだ。何も買えなかった状態から、何かが買える状態になっ たら、最高の気分になれる。労力をかけたからこそ、その成果はより大きな喜びになる。  これをキャリア後半の、(うまくいけば)資産や年収が増えたときと比べてみよう。も ちろん、お金を使うことに幸せを感じなくなるわけではない。だが、Iドルを稼ぐのにも 苦労をしていた頃のような、稼いだお金を使うときに湧き上がるスリルやアドレナリンの 感覚は味わえないだろう。  人生で一番豊かな気持ちになるのは、おそらく初任給を受け取ったときだ。たった数ド ルだった銀行口座の残高が、数千ドルに増えるI。そのときに感じるギャップは、10 00万ドルから2000万ドルに増えたときよりも大きいかもしれない。ゼロから何かを 得るという変化は、すでに潤沢な状態からさらに増える変化よりも、強烈な力を持つのだ。 贅沢は「たまにする」くらいがちょうどいい  対比、対比、対比−。対比の持つ威力の大きさがわかれば、その重要性も理解できる ようになる。  私は、お抱えの専属シェフがいる男性を知っている。彼はもう何年も、1日に3回、シ ェフがつくる五つ星の食事を楽しんでいる。素晴らしいことだと思うし、羨ましくないと 言ったら嘘になる。  それでも、その喜びは、時間が経つにつれて薄れていくのではないかとも思う。彼はも はや、美味しい食事をするために苦労する必要はない。どこかに穴場のレストランはない かと探し回ることも、人気のレストランの予約が取れるかどうかでやきもきすることも、 普段の質素な食事と特別なご馳走とのあいだのギャップを感じることもない。  1日に3回の五つ星の食事を味わう喜びは、親にサプライズでマクドナルドに連れてい ってもらえた子どもが味わう最初の一口の喜びよりも大きいだろうか?  お金との付き合いで満足を得るには、「快楽のトレッドミル(以前は贅沢だと感じてい たものでも、次第に慣れてしまう人間の性質)」に抗わなければならない。  そのための方法の1つは、「贅沢は常にするよりも、たまに楽しむほうが得られる喜び は大きい」という考えを尊重することだ。  俳優のアーノルドーシュワルツェネッガーは、ダイエットについてこうアドバイスをし たことがある。  「当然ながら、健康に良いものを主に食べるべきだ。だが、健康には良くはないが美味し い食べ物も、たまには口にしよう。そうしなければ、何の意味があるのだろう?」  私たちが正しいことをする大きな理由は、たまに(責任を持って)羽目を外したときに、 とても良い気分を味わえるからなのだ。  同じことは、お金の問題にも当てはまる。これは第3章で述べた「満足」についての考 え方とも関連している。  今あるものに満足しているとき、たまの贅沢やサプライズが信じられないほど素晴らし いものになる。稀にしかしないからこそ、新鮮に感じるし、喜びも大きい。深く味わえる し、ありがたく感じる。  さらに言えば、今あるものに満足しているほど、贅沢に感じられるちょっとした出来事 に出合いやすくもなる。サプライズのディナーや、ホテルの部屋のアップグレードなど、 たとえ小さなものでも、めったにないことは贅沢に感じられる。何も期待していなければ、 すべてがサプライズになる。すべてがサプライズであるとき、あなたはマイケルーメイの ように、誰もが当たり前だと思うような些細なことに歓喜できる。  価値観は人それぞれだが、私がシンプルな暮らしを好むのは、素敵なものを楽しみたく ないからではない。むしろその逆だ。シンプルで質素な暮らしをしていると、たまに素敵 なものを手にするとき、大きな喜びが得られる。  もちろん、だからといって、欲しいものや買えるもの、幸せになれるものを我慢しろと いうわけではない。私が伝えたいのは、「期待」が幸福にどれほど大きく影響しているか を知ってほしいということだ。  人は、「これを手に入れれば幸せになれる」と信じ込んでいるものを買うために、楽し くもない過酷な労働に身を投じることが多い。  たしかに、もっとお金を稼いで、良いものを買えば幸せになれると考えるのは自然なこ とに思える。しかし実は、期待を下げるほうが心理的に良い結果をもたらす場合が多いの だ。  そうすれば、少ないもので幸せになる術を学べるし、たまの贅沢がより楽しくなる。  クリスマスの朝や誕生日−どれも年に一度しかないからこそ、素晴らしい気分を味わ える。  贅沢についても同様だ。常に求めるのではなく、たまのご褒美にすることで、同じよう な喜びを味わえるようになる。 「対比」の力を120パーセント活用するための心がまえ  アーネストーシャクルトンが船長を務めていたエンデュアランス号は、南極の氷の中で 立ち往生した。結局、船は押しつぶされ、崩壊した。  シャクルトンと27人の乗組員は、小さな救命ボートに乗り込んだ。それから1年7か月 間(1915年1月から1916年8月まで)、夜間の気温が摂氏マイナス10度に達する中、 彼らは安全な場所を目指して1300キロメートル近くもボートを漕ぎ続けた。  彼らは常に凍え、びしよ濡れで、空腹で、睡眠不足だった。海藻や稀に捕獲したアザラ シを食べ、なんとか全員が生き延びた。人類史上、これほど驚異的なサバイバルストーリ ーもないだろう。  しかし、私がこの物語で特に感銘を受けたのは、シャクルトンの乗組員たちがアルゼン チンの東約2600キロメートルにあるサウスジョージア島の捕鯨基地に辿り着き、そこ で保護された場面だ。作家のアルフレッドーランシングはこう書いている。    シャクルトソ(Lと乗組員)は捕鯨基地の職員から最大限のもてなしを受けた。彼ら   はまず、長い入浴という贅沢を味わい、次に髭を剃った。それから、基地の倉庫にあ   った新しい衣服を支給された。  その後、彼らは温かい食事を与えられ、19一時間眠った。  それがどんなに素晴らしいものだったか、想像できるだろうか?  1年7か月間、凍え、飢え続けた後に、風呂に入り、温かい食事をとり、暖かいベッド で寝るのは、どんなに気持ち良かっただろう。  たとえ風呂の水がぬるくて、食べ物が特別なご馳走ではなかったとしても、乗組員たち はそれまでの人生で経験したことがないほど心地よく充実した夜を過ごしただろう。  こうした話を読むと、不思議な気持ちになる。私は、この船の乗組員や、幼い頃に失明 したマイケルーメイが経験したような苦難を進んで味わいたいとは思わない。しかし、苦 難を乗り越えたときに彼らが味わった圧倒的な喜びについては、羨ましく思う。  お金についても同じだ。私は、贅沢がまったくできない極貧の生活はしたくはない。し かし、たまの贅沢を楽しんだり、素敵なサプライズや思いがけないご褒美を味わったりす ることで、その対比がもたらす喜びを味わいたいという思いは強い。  これから、この点に関して私が心に留めていることをいくつか列挙しよう。 1.贅沢を最大限に楽しむために、普段はシンプルな生活を心がける  対比がどれほど強力であるかに気づくまでは、これはなかなかすんなりとは理解できな いものだ。  何を「たまの贅沢」の対象にするかは人それぞれだ。私の場合、自分が大好きなもの Iレストラン、旅行、飲み物などIを見つけたとき、それを常に手に入れようとする のではなく、どうすればこれをたまに楽しむ贅沢にできるかを考えるようにしている。  シンプルな生活に満足していると、ときどきの贅沢が、魔法のように素晴らしいものに 感じられるようになる。 2.対比の力によって、平凡なものが特別なものに、特別なものが平凡に感じられること   がある  プライベートジェット機で移動している富裕層は、お金で買えるものの中でプライベー トジェットほど素晴らしく、満足感を与えてくれるものはなく、一度経験したら手離せな くなると言うだろう。  だが、なぜ私たち一般人は、自分の車、つまり「プライベートカー」で移動することに ついて、同じことを言わないのだろうか?  プライベートジェットに乗っている大はたいてい、裕福になる前には商用の飛行機に乗 っていたので、当時の苦労をよく覚えているのだろう。長い列、セキュリティチェック、 左右の大に挟まれた席、付近でいびきをかく乗客−。たしかに、それに比べれば、プラ イベートジェットで飛ぶのは夢のような経験に違いない。  しかし、自家用車を運転している人のほとんどは、それと比較できる類似の経験をして いない。生まれてからずっと自家用車に乗ってきたので、現在の経験と過去の経験のあい だに対比がないのだ。  1900年代初頭の、登場したばかりの自動車が馬車と比較されていた時代に戻ってみ よう。当時の人々は、自動車についてどんなふうに語っていたのか? 自動車は魔法のよ うに贅沢なものとみなされたため、持てる者と持たざる者の争いを引き起こし、国を分断 させるのではないかと懸念する声もあった。  1906年、当時プリンストン大学の学長だったウッドロウーウィルソンは、「自動車 ほど、この国に社会主義的な感情を広めたものはない」「自動車は、富の傲慢さを象徴し ている」と述べている。まさに今日、プライベートジェットについて語られているような 言葉だ。 3.「期待」の影響力を理解できれば、人は環境を良くするのと同じくらい、期待を抑え   ることにも力を注ぐようになる  幸福や満足、喜びIどれも、期待と現実のギャップから生まれる。  シャクルトンの乗組員たちはそれを学んだ。苦難を乗り越えた後、それまでは当たり前 だと思っていたような小さなことに、大きな喜びを見出した。  陸に到着した日、ある乗組員は日記にこう記している。  「最高の気分だ。ただ生きていることに、喜びを感じる」  作家のランシングはこう記している。  「氷と空虚さの孤独な世界で、乗組員たちは小さくても確かな満足を手にしていた。試練 を乗り越えたときには、生きているだけで十分だと思えた」  これこそが、究極の幸せではないだろうか。  「金持ち」と「真に豊かな大」の違いとは何だろう?  これから述べる定義は私自身のものだが、誰にとっても有益なものになるはずだ。  金持ちとは、銀行にお金があり、欲しいものを買える人のことである。真に豊かな大と は、お金の影響を自分でコントロールできる人のことである。性格や自由、願望、野心、 友情、心の健康といった部分に、その差は表れる。  私はこのことを、幸せになるお金の使い方について考えたときに気づいた。  重要なのは、どれだけたくさんのお金を持ち、使うかではない。  自分が「金持ち」と「真に豊かな大」のどちらの定義に当てはまるか、あるいはどちら になりたいと思っているか。  それが大切なポイントだ。 「お金の囚人」になっていないか?  「お金は、私たちの人生に驚くほど大きな影響を与え得る道具である」  この言葉は、励ましにも呪いにもなる。お金の正しい使い方を見極めなければ、お金に 利用されてしまうからだ。お金はあなたを支配する。情け容赦なく、あなたを囚人にして しまう。  お金に支配されている人たちは、「良い人生を送るためにお金を追い求めている」と思 い込んでいる。しかし実際には、お金の操り人形になって、望まないものを追いかけたり、 理解できないものに憧れたりしている。  もし私が「ドラッグやアルコール、名声、権力などに執着するのは良いことですか?」 と尋ねたら、あなたはもちろん「ノー」と答えるだろう。人は何かに執着すると、それに 支配され始め、重荷を抱えることになる。便利な道具だと思っていたものが、やがて自分 を支配する独裁者になってしまう。にもかかわらず、人は簡単にお金に執着するようにな ってしまう。  お金に対する危険な執着、特に「お金を使うこと」への執着は、知らないうちに人生に 忍び込んでくる。お金がもたらす魅力が、あまりにも強烈だからだ。「もっとお金を使え ば幸せになれる」という考えは極めて強力で、あまりに普遍的なので、健全な向上心と危 険な執着との区別がつきにくくなってしまう。  所得水準にかかわらず、誰でもお金に支配され得る。とはいえこの傾向は、金持ちのあ いだで特に顕著だ。彼らは大金に恵まれながらも、お金に支配されることによって苦しん でいる。莫大なお金を持つ人が、自分の人生をまったくコントロールできていないのを目 の当たりにするのは衝撃的である。  作家のアーネスト・ヘミングウェイは、「作家仲間のF・スコットーフイッツジェラル ドは、金持ちに対してロマンチックな畏敬の念を抱いていた」と述べている。  「彼は金持ちを、特別に魅力的な人種だと思っていた。だがそうではないと気づき、ひど く打ちのめされていた」  これから、人類史上屈指の大富豪一族の話をしよう。お金を使うことに取り憑かれた彼 らの人生は、羨ましいというよりも哀れだと感じさせられるものである。 消えた3000億ドルの遺産  レジナルドークレイプールーグァンダーピルトは、激しいライバル関係と確執、争いに よって引き裂かれた大富豪一族に生まれた。  彼の人生は、一族の没落とともにあった。  レジナルドの曽祖父である、「代将」〔アメリカ海軍の最高位〕の愛称で知られた鉄道王・ 海運王コーネリアスーヴァンダービルトが1877年に亡くなったとき、ニューヨークー デイリー・トリビューン紙は、世界一の富豪の遺産の行方を予測する社説を掲載した。    ヴァソダービルト家の事例は、財産の所有だけを基盤としてコ族」を築こうとす   ることの愚かさを示す印象的な教訓である。    老代将が晩年に考えていたのは、莫大な財産を築き上げ、それをヴァソダービルト   という名を示す記念碑として何世代にわたって残し、家の当主をアメリカ社会の恒久   的な有力者にすることであった。    世界を見渡して-p、アメリカほど早く富を築ける国はなく、また相続された財産が   持ち主にほとんど役立だない国ちない。    ヅアソダービルトの財産は、それを受け継いでいる人たちに、何の幸福-p豊かさti   もたらしていない。数年のうちに、その財産はほとんどのアメリカ人の財産と同じ道   を辿ることになるだろう。つまり、その他大勢の相続と同様に、浪費した財産が国の   広大な経済の循環システムに吸い込まれていくに違いない。  これは残酷な見通しだった。しかし、実際に起こったことは、その想定を超えていた。  コーネリアスーヴァンダービルトは現代のお金に換算して約3000億ドルもの財産を 残した。その額は、当時のアメリカ財務省の資産額を上回っていたと言われている。だ が60年後には、この遺産はほぼなくなっていた。  ヴァンダーピルトの子孫たちは三世代にわたり、誰が最も早く、最も無謀に財産を浪費 できるかということを競い合うような人生を送った。  初期の相続人は家業を継ぐ義務感を抱いていた。だが時が経つにつれ、この一族の「家 業」とは、不安と恨みを抱え続けることに変わっていった。  ある1875年の論説記事には、社交界の人々について「出費を顧みず、享楽に耽って いる」と記されている。だが、ヴァンダービルト家の一人は、自分たち一族の人間は、む しろ「享楽を顧みず、出費に耽っている」のだと皮肉を言った。  その率直な告白こそが、問題の核心だった。それは勝てないゲームだった。誰もが、負 けるしかなかったのだ。 史上最高の金持ちの、史上最悪の金遣い  お金に支配されることは、見えない借金を抱えているようなものである。そして、どん な借金もそうであるように、この借金も最後には利息を付けて返済しなければならない。  レジナルドは、グァンダーピルト家の相続人として巨額の遺産を相続した最後の何人か のうちの一人だった。21歳の誕生日に1250万ドル、現在の価値で約3億5000万ド ルを相続している。  この一族の伝記作家であるアーサー・ヴァンダーピルトはこう書いている。    レジナルドは自己中心的で、怠け者で、気だるい人間だった。退屈しないようにす   ること以外には、何の責任感屯目的意識-#>■&かった。一度屯就職したことがなく、慟   いたこともない。職業を聞かれると、少し戸惑いながら、「紳士」と答えた。    彼が自分を目立たせる唯一の方法は、金持ちのプレイボーイのように生きることだ   った。そして彼は、それを熱心に、見事な方法でやってのけたのである。  レジナルドには大好きなものが2つあった。酒とギャンブルだ。酒は、45歳で彼を死に 追い込んだ。重度の肝硬変になり、肝臓からの血流が滞って食道に逆流したため、血管が 破裂。恐怖に震える家族が見守る中、血の海に溺れるように窒息した。  ギャンブルは、彼を破産に追い込んだ。借金を返済した後、彼の遺言はほとんど意味を なさなくなった。相続人に約束された金額は、まったくと言っていいほど残つていなかっ たからだ。  ヴァンダービルト家の人々は、莫大なお金をかけて、大邸宅に住み、豪華な家具に囲ま れ、贅沢なパーティーを楽しみ、豪勢な旅行を享受する生活をした。  こうした贅沢なものは、生活を向上させる手段としてではなく、一族の富の記念碑とし て購入されたIそれらは、いわぱ神のように崇められていた。まさに常軌を逸していて、 かつ悲劇的でもあった。  レジナルドが狂乱の日々を生きていた頃、ヴァンダービルト家の相続人の一人であるジ ョージーワシントンーグァンダーピルトは、6年もの年月を費やし、延べ床面積約13万5 000平方メートル、40の寝室と400人近くの専属スタッフを擁する豪邸「ビルトモア 邸」を建設した。  しかし彼は、そこでほとんど時間を過ごせなかったと言われている。それは居心地の良 い家というよりも、商業ビルのような雰囲気の場所だったからだ。彼の友人の言葉を借り れば、「どんなライフスタイルにも対応できるような配慮がまったくなされていなかった」 という。にもかかわらず、この邸宅の維持費は莫大で、ジョージもまた破滅寸前に追い込 まれた。土地の9割は税金の支払いのために売却された。結局、邸宅は観光名所に変わっ た。  一族のあいだには、「誰が一番大きなヨットを持つか」「誰が一番高価な美術品を買える か」「誰が一番血筋の良い相手と結婚できるか」といった問題を巡る競争があった。散財 するのは、物質的な快楽を得るためではなく、この競争があったからだった。  そのため、どれだけ浪費しても、幸福には常に手が届かなかった。そこには政略結婚が あり、遺産相続をめぐる果てしない骨肉の争いがあった。その一方で、彼らが人生の道を 切り開く機会や、「莫大な遺産の相続人」以外の何者かとして知られる機会はほとんどな かった。  相続人の一人、ウィリアムーヴァンダービルトは、1920年に亡くなる直前にこう言 った。  「私の人生は、幸福になる運命ではなかった。遺産は幸福の大きな障壁だった。コカイン が人々の道徳観を滅ぼすように、遺産は人々の向上心を滅ぼすのだ」  お金はありとあらゆる状況で一族を引き裂き、身内同士とは思えないほどの激しい不和 や不安定さを生じさせた。  ヴァンダービルト家の遺産相続人は、金銭面に関しては人類史上最も幸運な人たちだっ たと言えるだろう。  だが彼らの人生に細かく目を向けていくと、「自分も同じような境遇のもとで生まれた かった」と思う人はそう多くなくなるはずだ。莫大な富が一族を引き裂いたのを目にすれ ば、「なぜそんなことになったのか?」と問わずにはいられなくなる。  その理由は、ニューヨークーデイリー・トリビューン紙が早くから気づいていたように、 ヴァンダービルト家の相続人が、素晴らしい人生を送るためにお金を使わなかったからだ。 お金を、もっと幸せになり、充実感や豊かな気持ちを味わい、満足感を得るための道具と して使わなかったからだ。  彼らは、「お金を持っていることだけが重要である」という自らの価値観を裏付けるた めだけに、お金を使っていた。  彼らはお金を道具にして自らの人生を築こうとはしなかった。お金をひたすらに使うこ とだけが彼らの人生だった。彼らの遺産は、実質的には資産というより返済不可能な負債 のようなものだった。それは次の代に引き継がれていき、幸いにも最後には何もなくなっ たのである。 お金を道具として使うか、支配されるか  億万長者の相続人に同情するのは簡単ではない。しかしここで重要なのは、この問題の 本質を見極めることだ。なぜなら、これは多くの一般人を悩ませている問題でもあるから だ。  ヴァンダービルト家の相続人たちは、お金をより良い生活を送るための道具として使わ ず、お金に人生を支配されてしまった。彼らはお金に振り回されていた。  これは決して珍しい例ではない。起業家のデピッドーシーゲルは以前、フロリダに延べ 床面積約8400平方メートルの家を建てたことがある。なぜそんなに大きな家を建てる のかと尋ねられると、彼は少し考えた後、こう答えた。  「私にはそれができるからだ」  家を建てる理由は人それぞれだろう。それでも、彼はその家が将来、思い出を与えてく れるものになるとか、様々な喜びを与えてくれるものになるとかについては、何も話さな かった。ただ、「できるから」とだけ答えた。  私には、これは彼がお金に支配されていることの証左のように思える。道具の話に戻る と、もし誰かに「なぜドライバーを使っているのか?」と尋ねられたとき、あなたは「で きるから」とは答えないだろう。「壁に絵を掛けたり、家具を組み立てたりするのに便利 だから」と答えるはずだ。この、「何かを道具として使うのか、それとも支配されるのか」 という見方は、一度気づくととても有効なものになる。  タイヤ王として知られる実業家の(Iヴェイーファイアストンも、この罠に陥ったよう だ。彼は、莫大な富を持っていることで、いかに愚かなゲームをさせられているかを自覚 していた。彼は1926年の回顧録に、こう記している。    なぜ人は十分なお金を手にするとすぐに、必要以上に大きな家を建てるのか?    私はオ(イオ州アクロンに、自分が必要とする何倍もの広さの家を持っている。マ   イアミビーチにも家があるが、これも必要以上に大きい。そして死ぬ前に、必要以上   に大きな家をさらに買ったり建てたりすることになるのだろう。    なぜそうするのかは自分でもわからない。家は単なる重荷だ。それでも、私は大き   な家を建ててきたし、富を築いた友人たちも皆、大きな家を持っている。質素な暮ら   しぶりで知られたあのペンシー・フォードでさえ、ミシガン州ディアボーンに自分が   本当に必要とするよりもはるかに大きな家を持っている。    いったいなぜなのだろう。もしかしたら、人が大きな家を建てようとするのは、「大   きな家は強くて頑丈であり、番人を雇って安全に暮らせる」という封建主義的な古い   考えの名残なのかもしれない。あるいは、金持ちであることを誇示したり、来客を大   勢招いたりしたくて大きな家を建てるケース■*>あるだろう。    しかしほとんどの場合、特に自分で大金を稼いだ人間の場合、大きな家は、ただ理   由もなく建てられる。完成したとき、そもそもなぜこんな大きな家を建てることにな   ったのか、誰にもわからないのだ。  「家は単なる重荷だ」「なぜそうするのかは自分でもわからない」「いったいなぜなのだろ う」−。こうした表現に垣間見られる彼の正直さには感心するが、そこで吐露されてい る内容には驚かされる。  レジナルドーヴァンダービルトの孫で、CNNの看板キャスターとして知られる放送ジ ャーナリストのアンダーソンークーパーは、ヴァンダービルト家の中で初めて「王朝の富」 を約束されなかった相続人の一人だ。つまり、その頃にはすでに一族の遺産はもう尽きて いた。  それはむしろ幸運だったのかもしれない。彼は100年以上にわたるヴァンダービルト 家の相続人の中で最も社会的に成功しただけでなく、最も幸せそうに見える人物である。 クーパーは、相続についてこう語っている。  「相続は人から意欲を吸い取るものだと思う。それは呪いのようなものだ。もし私が子ど もの頃、将来何もしなくても大金を手にできると感じていたら、ここまで努力ができたか どうかわからない」  一族の他の人間とは違い、相続した金銭に執着しなかった彼は、自らの情熱の対象とな るものを見つけ、お金の真の価値を理解できるようになった。まるで一族の中で初めて操 り人形の糸を切り、お金に人生を支配されることを拒絶したかのように。  「金持ち」と「真に豊かな人」の違いに戻ろう。  私が興味をそそられるのは、ヴァンダービルト家のようなエピソードだ。彼らは世界で 最も金持ちの一族だったが、私の定義では、まったく豊かではなかった。彼らにとってお 金は資産というよりも社会的、精神的な負債だった。ステータスを追い求めることに縛り 付けられていた彼らの人生は、傍目から見て惨めなものだった。  この罠には、どれだけお金を稼いでいるかにかかわらず、誰でも陥る可能性がある。  あなたがそうならないことを願っている。 資産の99・99パーセントを寄付した「幸せな金持ち」の話  私が真に豊かだと思える人物の例として、実業家のチャックーフィーニーを挙げよう。  免税店運営企業DFSの共同創設者であるフイーニーは2023年に亡くなった。  フイーニーは、史上最も倹約家な億万長者として知られている。  彼は亡くなる何年も前に、80億ドルの全資産のうち99・99パーセントを寄付した。20 0万ドルだけを手元に残し、妻と小さなアパートに住み、飛行機はエコノミークラスを利 用し、静かな生活を送った。  意外にも、フイーニーはかつて、金持ちらしい贅沢な生活を試したことがある。ワシン トンーポスト紙の記事には、1980年代、金持ちになりたての彼がどんな生活をしてい たかが書かれている。    彼はニューヨークやロンドン、パリに豪華なマンションを所有L、コロラド州のア   スペソやフランスのコートーダジュールにも豪華な別荘を所有していた。ヨ″卜やプ   ライベートジエ″卜に乗り、大富豪仲間と親交を深めていた。望めば、こうした生活   を手に入れられたのだ。  けれどもフィーニーはすぐに、こうした生活は自分には向いていないと気づいた。世の 中には、大富豪になったら贅沢を極めた生活をすべきだという不文律があった。しかしそ れは、彼を本当に幸せにするものではなかったのだ。  フィーニーが本当の幸せを感じられたのは、お金を寄付することだった。  「自分のしていることが誰かの役に立っていると幸せだ。自分のためだけにお金を使って いても、幸せな気持ちにはなれない」とフィーニーは語っている。  私は、この考え方が大好きだ。さらに正確に言えば、私はフィーニーのような大富豪が このような考え方を好んでいたという事実が大好きだ。  彼は、「金持ちはこんな生活をすべきだ」という世間一般から押し付けられた考え方に 従わなかった。  フィーーニーは、お金を過度にありがたがったりはしなかった。お金に生き方を決められ ることも、人格を支配されることもなかった。ステータスを追い求める人生にとらわれた りもしなかった。  彼は自分が幸せになれるものを見つけ、その(莫大な)富を道具にして、さらに幸せに なろうとした。傍目には倹約家に見えたかもしれない。だが実際には、彼は誰よりも自由 で自立した人だった。その意味で、豊かな人間だった。  フィーニーは、私が手本にしたい人物だ。手本にしたいのは、その収入やライフスタイ ルではなく、お金をきちんとコントロールし、お金に人生を支配させなかった点だ。もし ヴァンダービルト家が「お金を所有すること以外に何も築かなかった」 一族なのだとすれ ば、フィーニーはその正反対だった。  彼は道徳心や個性を重んじた人間であり、たまたま大金を持っていただけだった。彼に とってのお金は、称賛されるべき記念碑のようなものではなく、整備士にとってのレンチ のような道具にすぎなかった。彼の考え方や生き方からは、所得のレベルにかかわらず、 誰もが価値ある教訓を学べる。 人生を「お金の支配」から解き放つために考えたい3つのこと  私の友人であるライターのデイビッドーペレルは、こう書いている。    僕が特別な尊敬を感じるのは、社会の固定観念から抜け出して思考できる術を知っ   ている人たちだ。彼らはときには宗教を通して、ときには古い書物を通して、ときに   は自然の中で過ごすことで、こうした世俗的な考えから離れる。    こうした逃げ道がない人は、世の中が押し付けてくるプロパガンダに負けてしまう。   自分で考えることをやめ、ただ社会の通念に従おうとする。現代人が抱きがちなこう   した狭い考え方は、やがてすべてを蝕む心のウイルスへと変貌する。  ここに書かれていることは、「金持ち」と「真に豊かな人」との違いについて考えるとき、 とても大きな教訓になる。  幸せになるには、自分らしくあるべきだ。お金の力に流され、性格や一日の過ごし方ま で左右されるようになれば、簡単に人生を支配されてしまう。  私(莫大な遺産を相続したわけでもなく、億万長者でもない)は、この考えを自身の生 活に応用するとき、次の3つのことを念頭に置いている。 1.「一人で幸せを感じられない人は、パートナーといても幸せを感じられない」という   真理は、お金にも当てはまる  前述した、行動ファイナンスの興味深い発見をおさらいしよう。  「お金が増えると、すでに幸福度が高かった人はさらに幸福度が上がりやすい。逆に、も ともとの幸福度が低いと、必要最低限の生活レベルを超えた後は、お金が増えても幸福度 はあまり上がらない」  良い人生を送るためには、どれだけお金を持っているかにかかわらず、「道徳観」や「価 値観」「人格」「友情」「誰に注目や称賛を求めるか」などを自分でコントロールしなけれ ばならない。  危険なのは、「お金が増えればこれらも良くなる」と思い込んでしまうことだ。そのとき、 お金そのものや、さらには「もっと多くを手に入れたい」という野心さえもが、あなたの 人生を支配してしまうようになる。  すでに自分自身に満足しているなら、自然と「お金は物事をさらに良くするための道具」 と思えるようになる。  そのとき初めて、あなたは「真に豊かな人」になれるのである。 2.「快楽」と「意識して選ぶ楽しみ」は別物だ  この2つはまったく異なるものだ。タバコは気分が良くなるのでつい吸ってしまう人は 多いが、それを本当に望んでいる人はあまりいない。私はつい目的もなくSNSを見てし まうが、必ずしもそれを本当に望んでいるわけではない。  タバコやSNSには中毒性がある。それは人生を豊かにする道具ではなく、その人を支 配してしまうものになる。  私がお金を使いたい対象は、「なくても困らないが、人生を彩るもの」だ。  たとえば、たまの贅沢な食事や、年に一度の長期的な家族旅行、時々買う上質な服など だ。もし何らかの理由でこれらを諦めなければならなくても、多少は辛く感じるだろうが、 家族も私も大丈夫である。  大切なのは、楽しみながらも、執着せず、意識的に選ぶこと。そうなって初めて、お金 は従うべき主人ではなく、自分を助ける道具になる。  「飽くなき欲望を克服できなければ、充実した有意義な人生は送れない」というストア哲 学の格言の通りである。 3.消費を誇るのではなく、自分が築いた人間関係を誇れ  私たちが誇るぺきは、これまでに築いてきた家族、出会ってきた友人、積み重ねてきた 思い出や知恵であるべきだ。  もちろん、何かを買うことが思い出をつくり、友人や家族との充実した時間を育むこと につながる場合もある。だが、本当に大切なのは物ではなく、人である。  ウォーレンーバフェットは、豪邸やプライベートジェット機、自分の名前を冠した病棟 まで、あらゆるものを手にした大金持ちの友人たちについて語ったことがある。  「実際には、誰も彼らを愛していない」とバフェットは言った。  「私の年齢になって、誰からも愛されていなければ、銀行口座の残高がどれだけ大きくて も、その人生は失敗だ」  「金持ち」になったからといって、「真に豊かな人」になれるとは隕らないのだ。  以前、誰かが「トヨタの上級グレード車は、BMWのエントリーグレード車よりも良い 車だ」と言っているのを聞いたことがある。  一般的に、トヨタよりもBMWのほうが高級車だと思われている。しかし、トヨタの上 級グレード車には、上質なシートや優れたサウンドシステム、サンルーフなど、運転を快 適にする機能が満載だ。一方、BMWのエントリーグレード車の魅力的な点は、高級ブラ ンド車に乗っていることを他人に自慢できることくらいかもしれない。  私は、このような考え方が大好きだ。オプションを豊富に装備したトヨタの上級グレー ド車は実用性が高い。それはあなたの生活を豊かにしてくれる。あなたは、自分自身のた めにこの車を所有している。  一方、BMWのエントリーグレード車を所有することで得られるのはステータスだ。他 人があなたを見る目は変わるかもしれない。あなたは他人からの注目を集めるために、こ の車を所有している。  この点を区別しておくことは、お金を使ううえで極めて重要だ。なぜならこれは、お金 を良い生活を送るための道具として使うのか、それとも他人と自分を比べるための物差し として使うのかという本質に迫るものだからだ。  私はこれを応用して、次のように考えることがある。  もし家族と私が無人島に取り残され、周りに誰もおらず、欲しいものが何でも手に入る としたら、どんなものを求めるだろう?  このような状況では、誰もがステータスより実用性を重視するのではないだろうか。見 た目よりも快適さ、良いロゴよりも良い生地、ブランドよりも機能性、名声よりも耐久性、 サイズよりも利便性、有名な高級エリアよりも素晴らしい眺望、社会的地位の高さよりも 家族との触れ合いを重視するだろう。 「なぜそれを買うのか?」を自分に問う  もちろん、ステータスのために物を買うことに反対しているわけではない。社会的な集 団にうまく溶け込むことは、幸せな人生を送るうえで重要であり、高いステータスがもた らす社会的な利益は、人によっては計り知れない価値をもたらし得る。  興味深いのは、この2つが混同されているケースが多いことだ。  人は、素敵な物を買うことで、人生が楽しく、快適で、面白く、充実したものになると 考えがちだ。しかし実際には、これらを買うのは、他人に見栄を張りたいと無意識のうち に思っているからであることが多い。  何かを買うときは、それが「ステータス」か「実用性」のどちらに当てはまるのか、な ぜこれを買いたいのかについての本当の理由を確認することが大切だ。  自分のために買う場合と、他人からの評価を得るために買う場合とでは、それぞれによ って生じる結果やメリットは大きく違うことを知っておこう。 ステータスを食い物にする詐欺師たち  億万長者のビルーコッホによれば、彼の兄弟の一人はお金を増やすのが好きで、もう一 人は女性に目がないのだという。  彼自身の興味の対象は、ワインにあった。コッホのワインセラーには一時期、4万30 00本以上もの世界有数のコレクションが保管されていた。  彼はワインをこよなく愛していた。ワインを飲めば「醸造家がワインに込めた愛情を味 わえる」と言い、希少なワインを飲むのは「歴史を飲む」ことであり、宗教的な体験に等 しいと考えていた。  このコレクションの中には、これまで販売された中で最も上質で希少なものもあった。 コッホは、トーマスージェフアーソン元アメリカ大統領が所有していたとされるワイン4 本を40万ドルで購入したこともある。ボトルには、ジェファーソンの直筆サインが記され ていた。彼はそれが売りに出されていると聞くと、「絶対に手に入れたい」と言い、迷わ ず購入した。  コッホはこのワインを宝物のようにして周りの人たちに見せびらかしていた。しかし、 ジェファーソンの遺産を専門的に分析している歴史家から、まったくの偽物だと告げられ てしまう。  この一件をきっかけにして、コッホは自らのワインコレクションの真贋を確かめるため の本格的な調査に乗り出した。民間の専門家に鑑定してもらったところ、予想通りと言う べきか、コレクションの中でも特に高価で価値が高いとされていたワインのうち数百本が、 安価な偽物だったことが発覚した。  偽造ワインは巨大なビジネスだ。また、ハンドバッグやサングラス、靴、宝石の世界に も、同じような偽物の巨大市場がある。全米犯罪防止協議会によれば、毎年世界中で2兆 ドル相当の偽造品が売買されており、世界最大の違法取引になっている。  近年、偽造品が急増している大きな理由は、偽造品のクオリティが上がっており、専門 家ですら見分けるのに苦労していることだ。  考えてみれば、これはとても不思議である。商品に高い値がつくのは、質が高いとみな されたからであるはずだ。しかし、目利きのバイヤーや高級ブランドの人間でさえ、偽造 品を見分けるのに苦労している。偽造品の品質は、それくらい本物と変わらないことが多 いのだ。  ビルーコッホを騙した詐欺師の中に、インドネシア出身のワイン愛好家ルディークルニ アワンがいた。彼は2012年、偽造ワインを大規模に製造・販売した罪で逮捕された。 クルニアワンは長年にわたって、世界で最も舌の肥えたワイン愛好家たちに偽造ワインを 売っていた。彼の偽造ワインは見た目が良いだけでなく、味もとても美味しく、本物らし かったからだ。クルニアワンは安いワインをブレンドして、コレクターの垂涎の的になる ような偽のラベルをボトルに貼り、法外な価格で販売することにおいて、達人の領域に達 していた。  偽造バッグの世界でも同じようなことが起きている。  2016年、ある女性がデパートで40万ドル相当の(ンドバッグを購入し、それとまっ たく同じ偽造品をデパートに返品して本物をネットで転売したとして、実刑判決を言い渡 された。ただし、偽造品が本物そっくりだったため、しばらくは問題として発覚せず、 彼女は何年も罪を免れていた。  偽造ワインの味や偽物の(ンドバッグの品質が本物と区別がつかなくても、目的が実用 性だけなのであれば、気にする必要はないだろう。しかし、そういうケースは稀だ。  なぜなら、高級ワインや(ンドバックを買う目的には、ステータスが絡んでいる場合が 多いからだ。 私が「実用性」を追求する2つの理由  人は良い物を手に入れたとき、「私は簡単には手に入らないものを持っている」と、他 人に対して、そして自分自身に対して示したくなる。そうすることで、自分が何者で、何 を成し遂げたのかが、よく理解できたような気分になるからだ。  もちろん、これもまったく問題はない。私自身も、時々同じことをする。  しかし、実用性のために物を買うのと、ステータスのために物を買うのとでは、それに よって得られる経験や結果がまったく違うことは覚えておこう。  作家のデイヴィッドーブルックスが、アフリカを旅行したときの経験について見ていこう。  彼は家族と共に、現地で合計7か所の宿泊先に滞在した。モダンで豪華なホテルにも、 水道のないキャンプ場にも泊まった。  旅行後、ブルックス一家は、高級ホテルよりも、質素で家庭的なキャンプ場のほうが楽 しかったことに気づいた。  安いキャンプ場では、地元の人たちや他の宿泊客と交流できた。子どもたちはスタッフ とサッカーをして遊んだ。   一方、高級ホテルでは、安全な無菌の繭の中に閉じ込められているようだった。  「当ホテルに泊まれば、セレングティ国立公園の近くにいても、マンハッタンのミットタ ウンにいるのとほとんど違いを感じません」  これが、その高級ホテルの謳い文句だった。しかしそれは、彼の家族が本当に望んでい たこととはまったく違っていた。贅沢さ(そしておそらくステータスの追求)は、この旅 行の実用性を損なっていたのだ。  ステータスの追求によって実用性が乗っ取られてしまうのは、日常生活ではよくあるこ とだ。必要以上に広い家を維持する負担や、かなり無理をして高級車を買うことで生じる ストレスがその好例だ。ステータスが実用性を奪ってしまうことは、現代人がお金を使う ときに頻繁に見られる困った問題である。  「人はお金の使い方がわからず困っていることが多い」とブルックスは書いている。  「収入が増えると、広い家や贅沢品にお金を使おうとする。(中略)しかし、ふと周りを 見渡して、自分が間違った側にいると気づくのだI」  つまり、自分が本当に幸せに感じるものにではなく、他人にどう見られるかのために、 お金を使っているということだ。  これは、ステータスに価値がないというわけではない。実際、ステータスの価値をない がしろにしていると、悲惨な結果につながることがある。  他人が自分のことをどう思っているかを気にしていなければ、誰からも本当に気にかけ てもらえなくなるかもしれない。私たちの幸福にとって最も重要な要素とされる人間関係 を失いかねない。  しかし、次の2つの大きな理由を見れば、あなたもステータスよりも実用性を重視すべ きだと感じるかもしれない。 1.実用性の追求は「自分らしさ」を生む。ステータスの追求は「他人」の価値観に合わ   せることになる  ステータスを追い求めるということは、他人が見たがっているものを迫求するというこ とだ。しかし、それは危険なことでもある。好みや目標などは、人それぞれ大きく異なる からだ。  その結果、自分とは価値観の違う大たちに対して見栄を張るために、たくさんの時間や お金を使うことになってしまう。  特に、自分が何を大切にし、どう生きたいかを正直に追求すると、他人との違いは一層 はっきりする。そんな状態で他人の価値観に合わせることは、自分を押し殺すことになり、 目には見えにくいが大きな代償となる。  対照的に、実用性は良い意味でとても利己的である。そこでは、他人の意見や視線など 気にせず、自分や大切な人の生活を良くすることが最優先される。  私は作家として、「利己的なライティング」と呼ぶものの価値を信じてきた。私はただ 一人の読者、つまり自分自身のために書く。自分が面白いと思った物語や、自分にとって 役立つと思うテーマについて、読者が同じように感じてくれるかどうかは気にせずに書く。  そのほうが楽しいし、良いものが書けると考えているからだ。文章指南の本には、よく 「読者を知れ」というフレーズが出てくるが、これはともすれば「臆面もなく読者に迎合 する」という考えに変わり、文章を台無しにしてしまうことも少なくない。  同じ考え方は、人生の多くの側面にも当てはまる。お金の使い方も同様だ。  ステータスより実用性を優先させるのは、周りに合わせることよりも自分の価値観を優 先させることでもある。その結果、文章の執筆と同じように、充実した気持ちになれ、か つ良い成果も生み出しやすくなる。周りの期待に迎合するのではなく、ありのままの自分 でいることで、自分の得意なこと、そして本当に幸せになれることに集中できる。  この考えを実践してみれば、あなたは「自分らしくいるのはとても簡単だが、他人から 求められている誰かを演じるのはとても難しい」ということにすぐに気づくだろう。 2.実用性から得られる喜びは長持ちする  人生の様々な領域で成功の鍵になるのは、忍耐力と持続性だ。私は、長く続かないもの には興味がない。  ステータスにお金をかけることは報われる場合もあるが、その効果はたいてい長続きし ない。たとえ他人の注目をうまく集められたとしても、すぐにもっとステータスが高い何 かが気になり始め、充実度は以前と変わらないことが多い。  ステータスは気まぐれだ。世間があなたを評価するトレントは数年ごとに変化する。そ れに合わせ続けていくためには、大きな犠牲を払わなければならなくなる。これは、お金 のかかるゲームなのだ。さらには、「私は他人に良い印象を与えているだろうか?」とい う考えで常に頭がいっぱいになり、自己不信や不安にもつながってしまう。  これに対して、実用性のためにお金を使うことで得られる効果は持続性が高い。  10年後にどんなものが他人を感心させるのか、私には見当もつかない。だが確信してい るのは、10年後の私も現在と同じように、快適さや信頼性、便利さ、そして何よりも、愛 し、尊敬する人たちと充実した時間を過ごすことを重視しているということだ。  私は自著の『SAME AS EVERI〔邦題「SAME AS EVERこの不確実な世界で成功する 人生戦略の立て方」三笠書房〕の中で、「。決して変わらないもの”こそ重要だ。なぜなら、 それこそが、未来をどう形づくるかを、確信を持って予測できるカギだからだ」と述べた。  だからこそ、私たちはそれらに多額の投資ができる。私は、自分が90歳になったら、眺 望の良い立地にある家や、子どもたちとの思い出を大切に思うだろう。だからこそ、それ らを提供する実用性に投資できる。  だが服や宝石、大きな家、高級車などは違う。こうした贅沢品は、今は素敵に見えても、 自分や世の中が変われば、わずか1年後でさえ、ばかげたもの、あるいは恥ずかしいもの に見えるかもしれない。  これはとてもシンプルな考えだ。しかし、お金の使い方を大きく変える力を持っている のだ。  俳優デヴィツドーキャシディの臨終の言葉は「無駄な時間を多く過ごしすぎた」だった。  手遅れになったときにそう気づくのは、なんと恐ろしいことだろう。  スマホでSNSをスクロールして長い時間を過ごす人が多くなっている現在、死ぬ間際 にキャシディと同じ気持ちになる人は増えていくのかもしれない。  心理学者にして行動経済学の第一人者ダエエルーカーネマンは、「お金とうまく付き合 うには、自分が将来感じるかもしれない後悔を、きちんと想像できることが重要だ」と言 った。つまり、現在の決断について、将来それをどう感じるかを適切に把握しておく必要 がある、ということだ。  私はカーネマンのこの考え方が大好きだ。これは、とても強力なアイデアだと思う。  おそらく、「リスク」の最適な定義は「後悔」だろう。お金に関して言えば、リスクと は失うかもしれない金額のことではない。お金を失ったときにどう感じるかでもない。時 間が経つにつれ、辛い経験は価値のある教訓へと変わっていく。真のリスクとは、数年後、 数十年後にやってくるかもしれない後悔なのだ。  そして、後悔のないお金の使い方を考える際に何よりも難しいのは、極めて強力な次の 2つの絶妙なバランスを見つけることだ。 ・複利の力−複利は、今日の忍耐を明日の富に変える ・人間は、昨日よりも一日ずつ、着実に死に近づいているという事実−だからこそ、こ の短い時間を最大限に活かし、幸運にも生きていられる毎日を楽しむべきだ。スコットラ ンドのことわざには、「生きているあいだは幸せでいよう。あなたは死人として長い時間 を過ごすことになるのだから」というものもある  つまり、将来のためにどれだけ投資すべきか、そして今日のためにどれだけ使うべきか のバランスを見つけることである。  その答えは、簡単には見つからない。とても個人的な問題であり、万人に当てはまるよ うな公式に落とし込めるものではないからだ。  これを説明するために、動物の寿命についての話をしよう。 今を生きるグッピー、未来に投資するグリーンランドザメ  まず、哀れなほど儚い生涯を生きているグッピーについて考えてみよう。彼らは、未来 を予測することについて、私たちに重要な示唆を与えてくれる。  グッピーは鮮やかな色をした小さな魚だ。敵の攻撃に弱く、捕食動物の餌食になる確率 が異常に高い。鳥もグッピーを食べる。小魚もグッピーを食べる。大魚もグッピーを食べ る。カニもグッピーを食べる。グッピーは、みんなのお気に入りのランチなのだ。  これほど天敵の脅威にさらされている生物種が、どのようにして絶滅を免れているのだ ろう?  グッピーは、生まれるとすぐに忙しくなる。つまり、「敵に食べられやすい」という問 題を、繁殖率の高さによって乗り越えようとする。生後7週間で繁殖可能になり、30日ご とに子孫を産む。生後6か月のグッピーが鳥に食べられる頃には、すでに「ひいひいおば あちゃん」になっているかもしれない。自分は死んでも、子孫は生き続けるのだ。  しかし、この進化のトリックには厄介な側面がある。  グッピーは自分たちがいかに危険な状況にさらされているかを知っているので、生まれ た瞬間から繁殖にほぼすべての資源を費やす。できるだけ早く成長し、体力や栄養の大半 を産卵のために使う。  それゆえに、自分自身をケアするためのエネルギーがほとんど残っていない。グッピー の体は安物のプラスチック製のおもちゃのように雑につくられており、細胞の修復やメン テナンスのための機能も乏しい。1、2歳になる頃には老魚となり、やがて病気や衰弱に よって死に至る。  これはグッピーに適した戦略だ。どうせ敵に食われる運命なら、未来に投資しても無駄。 まさに、究極のYOLO(you only live once/人生はI度きり)という人生哲学を実践し ているというわけだ。  では次に、グッピーとは正反対の生涯を送っているグリーンランドザメ(ニシオンデン ザメ)に注目してみよう。  このサメには天敵がいない。そのため、独裁者のように生息地を支配している。  敵の脅威が少ないため、極めて長い時間をかけて成体になる。これまでに発見された生 物の中で最も成長が遅い種の1つであり、性的成熟に達するのは150歳(そう、これは 誤植ではない)である。  その間、このサメの細胞は1世紀以上もの時間をかけて完璧な体をつくることにエネル ギーを注ぎ込む。ゆっくりと、計画的に、あらゆる資源を細胞の修復とメンテナンスに注 ぎ込む。その結果、細胞はがんや感染症にほとんどかからなくなる。  いわば、グリーンランドザメは究極の長期投資家である。将来のために貯蓄し、文字通 り何世紀も先まで豊かな生活を送れるように、今日の資源を投資しているのだ。このサメ は、最長で500年、あるいはそれ以上も生きると考えられている。 今を生きるか? 未来のために倹約するか?  ここまでの話を端的にまとめれば、自然は将来のリスクを評価し、それに応じて資源を 配分するのがとても得意だということだ。  グッピーのケースは、将来の脅威を現実的にとらえ、「リスクが多く潜んでいるなら、 将来の計画を立てるのは無駄だ」と告げている。一方、グリーンランドザメのケースでは、 「未来は明確で、予測可能だ。自信を持って計画を立てよう」と告げている。  たいていの生物はこのバランスを取るのがうまく、「将来のための投資」と「今日を生 きること」のあいだでできるだけ効率的に資源を配分している。  では、人間の場合はどうだろうか? 私たちは、自分の将来をうまく予測できているだ ろうか? 今日どれだけ使うべきか、それとも明日のためにどれだけ貯蓄すべきかを、う まく判断できているだろうか? あとどれくらい生きられるのか、どんなことを後悔する のかについて、十分に考えているだろうか?  人間は、これらの問題について考えるのが苦手だ。生物たちが生まれながらにできてい ることを、現代人の頭はうまく考えられないのだ。  その結果、両極端な状況が生まれている。  作家のナシームータレブの言葉を借りれば、世の中には、「いつお金を使い始めるべき かを知らない人」と「いつお金を使い終えるべきかを知らない人」の2種類に分けられる。  この状況は、私たちの周りにもはっきり見られる。  一方の端にあるのが、FIRE(経済的自立、早期退職)運動だ。FIREでは、極端 な貯蓄や病的なまでの倹約が推奨されることがある。一見賢明に聞こえるが、これはとて も危険な行為になりかねない。  実業家のビルーパーキンスは著書『Die with ZeroJ〔邦題『DIE WITH ZER〇人生が豊 かになりすぎる究極のルール』ダイヤモンド社〕のカバーでこう述べている。    想像してほしい。世間で言われている通りに、お金に苦労せずに過ごす老後を心待   ちにしながら、懸命に働き、貯蓄に励む生活をしていたとする。その過程で、無駄に   してしまうことが1つある。−それは、あなたの人生だ。  FIRE派の対極に位置するのがYOLO(人生はI度きり)派だ。彼らはデイトレー ドで倒産寸前のペニー株や暗号資産のミームコインを吊り上げ、できるだけ短期間で金持 ちになろうとする。そして、長期的な株価の上昇を狙う投資家を冷ややかに軽蔑している。  デイトレートで手にした利益で黄色いランボルギーニを買った22歳の若者が、ヒーロー としてもてはやされる。この手の物語の結末がどんなものかは、よくご存じのはずだ。  こうした最も魅力的に見える金融哲学こそが、将来的に最大の後悔につながることが多 い。作家のニックーマジューリはこう述べている。  「リスクが少なすぎるのはタバコを吸うようなもので、リスクが多すぎるのはヘロインを 吸うようなものだ。どちらも有害だ。違いは、その影響がいつ表れるかだけである」  社会が豊かになればなるほど、この問題はますます深刻になる。  歴史の大部分において、ほとんどのアメリカ人は経済的にはグッピーのようなものだっ た。不安定な経済状態で生活していたので、老後のために貯蓄をするという考えも持って いなかった。そもそも、老後という概念そのものが存在していないような状況だった。  しかし、国が豊かになるにつれ、人々は幸いにも、以前の世代なら非常識だと思われた ような、「今日を楽しみながら、将来のためにも貯蓄する方法」といった問題の答えを探 すようになった。  アメリカでは100年前、22歳の人は平均して62歳まで生きた。今日では、22歳の人は、 62歳を超えてさらに30年も続くかもしれない老後の生活に備えて貯蓄をすることを求めら れている。  現在、アメリカの若い女性の3分の1は、90歳まで生きると予想されている。また幼稚 園のクラスのうち1人は、100歳を超えるまで長生きすると予想されている。つまり、 仕事を引退して老後生活に入ってから、さらに一世代分(約30年)も生きるということだ。  また、現代の22歳の労働者は、祖父母が同年代だった頃よりもかなり収入が多く、一世 代前にはあり得なかったような様々なお金を使う機会に恵まれている。旅行、コンサート、 食事、そして先祖には想像もできなかったような即日配達の商品などだ。私たちは今、お 金を使うことで豊かな生活を体験できる機会に極めて恵まれた世界に生きているのだ。  この「今日を楽しみながら、明日のために貯蓄する」という2つのことを考えなければ いけない状況が、現代人に大きな不安をもたらしている。皮肉なことに、社会が豊かにな り、人々の寿命が長くなるにつれて、お金の問題で後悔してしまう機会も増えているのだ。  かく言う私も、そうならないという保証はない。  私は成人してからずっと、貯蓄と長期投資に勤しんできた。私は「複利」と「喜びを先 送りにする」という考え方が大好きだ。しかし、この章の冒頭で紹介した俳優のデピッド・ キャシディと同じ運命は辿りたくない。死が近づき、自分の最後を振り返ったときに、富 を築くために奴隷のように我慢や努力を続け、人生を楽しむことを否定し、この世での短 い時間を無駄にしてしまったと、ようやく気づくようなことにはなりたくない。 「後悔最小化」を目指せ  考えてみるとぞっとするが、自分の余命を正確に知ることほど強力な情報はないだろう。 あまりにも強力なため、たとえ知ることができたとしても、知りたくないと言う人も多い。  しかし、自分がいつ死ぬかを知っていたら、あなたの人生は根本から変わることになる だろう。  数年前、ある人と会った。別れ際、彼は言った。  「人生は長い。これからも連絡を取り合えたらいいですね」  人生は長いI。そんなふうに言う人はめったにいない。たいてい、誰もが「人生は短 い」 と言う。  だが当然ながら、人生は長くもあれば短くもある。自分の人生がどちらなのかは、私た ちにはわからない。  「人生は短い」という哲学ぼ、喜びを先送りせず、今を楽しもう、素晴らしい人生を送ろ うI明日死ぬかもしれないのだから、食べて、飲んで、陽気に楽しもう、というものだ。  もし自分の人生が思っているよりも短いのなら、みんなこのアドバイスに従うだろう。 隕られた人生の残り時間を楽しむには苦い思いをしても仕方がないと気づき、些細な苛立 ちを感じても相手を許し、嫌なことを忘れ、気にしなくなるだろう。夕日の美しさを堪能 し、花の香りを嗅ぎ、旧友に電話をかけるだろう。我が子のリトルリーグの試合にも毎回 足を運ぶだろう。リンドンージョンソン元大統領にあれほど旺盛な活力と野心があった大 きな理由は、おそらく彼が若くして死ぬことを常に恐れていたからだ。  では、「人生は長い」という哲学についてはどうだろうか?  もしあなたが102歳まで生きるとわかっていたら、おそらく今ほど焦りを感じること はないだろう。キャリアへの不安も少なくなるはずだ。寝坊したり、長期休暇を取ったり、 有給休暇を使い切ったりすることにあまり罪悪感を抱かなくなり、木を植えて成長を見守 ったり、思い出に残るような写真をもっと撮ったりするだろう。新しいスキルも積極的に 学ぶようになるはずだ。膝や肘などの関節をもっと大切にするようになり、長期投資がも っと楽しくなるに違いない。  しかし実際には、自分がいつまで生きられるかは誰にもわからない。  それでも、人生の様々な時点で、自分が死を迎えるときのことを想像してみるのは有益 なことだと思う。  死の床で、逃したチャンス、つまり行けたはずの旅行や買えたはずの車を後悔すること を想像していた私は、父親になってその考えが変わった。  私には幼い子どもがいる。「もし明日、人生の終わりを迎えるとしたら」という悲しい 想像をしてみると、妻と子どもたちに十分な蓄えを残せるのなら、私は死を前にして安堵 と誇りを感じられるのではないかと思う。  逆に、死期が迫ったとき、自分が浪費したせいで貯蓄がなく、妻や子どもたちの今後の 人生に経済的な負担をかけることになるのなら、私は罪悪感にさいなまれるだろう。とて つもなく後悔するはずだ。過去の旅行や外食、出費を振り返り、「無駄な時間を多く過ご してしまった」と思うだろう。その時間を、家族のより良い未来のために使えたはずだっ たのに、と。  しかし30年後、子どもたちが独立して暮らしているとするのなら、死期が迫った私は同 じように考えるだろうか?  おそらく違うだろう。私が後悔するのは、行かなかった旅行や、経験しなかったこと −つまり、つくらなかった思い出のことだ。  これらは矛盾した感情ではないと思う。もし、あなたがこの考えに同意してくれなくて も構わない。「十分な情報があれば、あらゆる行動は意味をなす」のだから。  とはいえ、これらは誰にでも当てはまる重要な真実も浮き彫りにしていると思う。  良いアドバイスとは、「今日を大切に生きよう」または「将来のために貯蓄しよう」と いった単純なものではない。唯一の良いアドバイスは、「将来の後悔を最小限に抑えよう」 である。  そういうことだ。今日のために生きることと、明日のために貯蓄することのバランスを 探るとき、私たちにできる最善策はこれなのだ。  どんなことを後悔するかは人によって違うし、同じ人でも年齢を重ねるにつれて変わっ ていく。そのことを理解したうえで、後悔を最小限に抑える方法を考えてみよう。  アマゾンの創業者ジェフーベソスは、1990年代にオンライン書店を始める決断をし た際のことを、次のように語っている。    私は、決断をものすごく簡単にするフy−ムワークを発見した。私はこれを、「後   悔最小化フレームワーク」と呼んでいる。それは80歳の自分が人生を振り返ったとき、   できる限り後悔を少なくするような決断をするというものだ。    オンライン書店を始めることは、80歳になって人生を振り返ったと−fibに後悔しない   だろうと思った。インターネットという、これから本当に大きくなりそうな世界に飛   び込んだことを、悔やんだりはしないはずだ、と。    その一方で、今インターネットに挑戦しなければ、80歳になったときに後悔するだ   ろうとも思った。毎日、そのことで辛い思いをするだろう。このように考えてみれば、   これは驚くほど簡単な決断だった。  このベソスの言葉を読んで、私が特に印象に残ったことが2つある。  1つは、このアドバイスがとても理にかなっているということだ。もう1つは、この具 体例は、私には性格的に当てはまらないということだ(私の場合、もし大量の時間とエネ ルギーを費やした後で失敗したら、「挑戦したから悔いはない」とは思えず、きっと後悔 するだろう)。  人それぞれ価値観や考え方は違う。だから「今日のために楽しもう」「明日のために投 資しよう」といった画一的なアドバイスでは、人それぞれの細かな違いをとらえきれない 可能性がある。だから、唯一良いアドバイスは、「将来の後悔を最小限に抑えよう」になる。  人はそれぞれ違うので、私はあなたが将来の後悔を最小限に抑えるために具体的に何を すべきかを伝えることはできない。そこでここでは、私自身がこの問題に関する決断で心 がけている、2つの考え方について紹介しよう。 1.良い思い出をつくることこそ、今を生きながら、未来を見通すカギとなる  匿名のツイッター〔現x〕アカウント「FedSpeakJが、以前こんな投稿をしたことが ある。  「後から懐かしさを感じられるようなことをする。それが、人生で何よりも大切なことだ」  私は年を重ねるにつれ、10年前や20年前、30年前の出来事の思い出が、かけがえのない 資産になっていくのを自覚するようになった。同じように感じているのは、私だけではな いはずだ。こうした思い出は、金銭的な資産ではない。それでも、現実的に「資産」であ るとたしかに感じられる。  思い出の素晴らしいところは、株のように時間の経過とともに価値が増す複利効果があ ることだ。10歳のとき、9歳のときの記憶は退屈なものだった。しかし年を取った今、9 歳のときの記憶を長い人生という大きな文脈の中で思い出せば、それは信じられないよう な驚きと面白さに満ちている。さらに今から50年が経過すれば、それらは私にとって最高 に大切な宝物になるだろう。  ある年配の女性が、「年を取ることのメリットは、頭の中でタイムトラベルができるよ うになること」と語っていた。たとえば、1950年代の生活を思い出して現在と比べて みる。あるいは、自分が子どもだった頃と比べてテクノロジーがどれだけ進歩したかに驚 きながら思いを巡らせてみる。子どもは健康には恵まれているが、人生の記憶はまだ乏し い。人は年を重ねるにつれて、健康は衰えていくが、人生の記憶は豊かになっていく。  最近では、「物ではなく体験にお金を使おう」というアドバイスがすっかり定着するよ うになった。これは、悪いアドバイスではない。しかしそこには、「思い出を残すには、 高いお金を払って海外旅行などの体験をしなければならない」といったニュアンスが感じ られる。  だが、必ずしもそうとは隕らない。高いお金を払って何かを経験しても、ほとんど記憶 に残らないヶIスもある。一方で、高校時代に友人と過ごした時間は、お金はかかってい なくても、宝物のような思い出になり得る。  将来、きっと後悔するのは、たとえば子どもたちと一緒に時間を過ごさなかったことや、 友人関係を良好に保つために十分な努力をしなかったこと、後で振り返れば些細な事柄に ストレスや不安を感じすぎたことではないだろうか。それらを感じないようにしたりする ために、あまりお金はかからないだろう。  もちろん、それらのためにお金が役立つ場合もある。ただし、その方法はあなたが思っ ているものとは違うかもしれない。  それは、お金と引き換えに時間をつくるという方法だ。  子どもたちとの旅行にお金を使えば、貴重な思い出をつくれるかもしれない。しかし、 給料は低くても、残業が少なく、毎日子どもたちと充実した時間を過ごせる仕事に就けば、 それよりもさらに幸せな思い出につながることがある。  たとえば、年収6万ドルで週45時間労働の仕事と、年収5万ドルで週35時間労働の仕事 のどちらかを選べるとしよう。  後者を選んだ場合、年収は1万ドル少なくなる。仮にこの1万ドルを毎年投資し、利回 り8パーセントで運用すれば、30年後には約100万ドルを得られることになる。  しかしその分、年間500時間の自由時間を得られる。この500時間を、好きなこと に費やせる。30年間合計で、1万5000時間分もの思い出がつくれることになる。  しかも、この思い出は資産と同じように、時間の経過とともに価値が増していく。お金 を投資する際、複利の力に驚嘆する人は多いが、お金と引き換えに得た時間の複利効果も また、驚くべき価値を私たちにもたらすのだ。  時間を得ることほど、価値のあるお金の使い方もないかもしれない。  それは、後悔に対する究極の解毒剤になる可能性がある。 2.貯蓄は「今日を犠牲にすること」ではない  あなたが今日、将来のために100ドル貯蓄したとする。すると、今日のあなたが失う ものは何だろうか?  そのお金で、今日シャツを買ったり、友人とディナーを楽しんだりすることもできただ ろう。しかし、将来のために貯蓄することで、あなたは今日、得たものがある。  それは、自立のための100ドルだ。  今、100ドル貯蓄することで、100ドル分の選択肢と自由が得られる。いつか必要 になるかもしれない、100ドル分の時間を手にできる。  家族を養ったり、必要なときに引退したりすることについてのストレスを、100ドル 分減らせる。それは今日のあなたにとって、100ドルのシャツを買うのと同じくらいは っきりとした利益になる。  貯蓄は「自立」という利益をもたらす、と理解できるようになれば、「明日のための貯 蓄は、今日を犠牲にすること」とは思わなくなる。  個人的なことを言えば、生涯を通して貯蓄してきたおかげで得られた経済的自立は、今 の私にとってとてつもなく大きな価値があり、有用で、喜びをもたらしてくれる財産にな っている。  私には、将来のためだけに貯蓄しているという感覚はない。貯蓄によって得られた自立 のおかげで、私は自分の好きなことを、好きなときに、好きな人とできる自由が得られた。 今日、今この瞬間は、もし過去に貯蓄をあまりしてこなかった場合と比べたら、はるかに 良いものになっているだろう。  もちろん、大切なのはバランスだ。人生で価値あるものは、すべてバランスだと言える。  経済的自立が一番輝くのは、将来に備えつつも、今日という日にお金や心の余裕を使っ て、大切な人と一緒に過ごし、思い出をつくれるときだ。  現実的には、「将来のために貯金をすると、今を楽しめなくなる」というよくある考え に陥ってしまいがちだが、「今を楽しむこと」と「将来のために貯蓄すること」の両者が 手を取ってうまくバランスを取れば、後悔を防ぐ大きな力になるのである。    真似したくなる衝動  教師が生徒たちに向かってこう言った。  「算数の問題です。牧場に羊が10匹います。―匹が逃げてしまいました。 残っているのは何匹ですか?」  一人の生徒が手を挙げて答えた。  「ゼロ匹です。羊はもういません」  教師は言った。 「あなたは算数がよくわかっていませんね」  すると、生徒はこう答えた。 「いいえ、先生が羊のことをよくわかっていないのです」  人は他人の行動を見て、理由も考えずに真似をしてしまう。逃げた仲間 を見て反射的に自分も逃げ出そうとする羊と同じだ。  その衝動はとても強力で、広く浸透しており、私たち現代人の生活の多 くを説明してしまうほどだ。  これから、この点についてさらに深く掘り下げていこう。  1969年7月20日、月面を歩いたバズーオルドリンの名は地球上を駆け巡った。それ は驚異的な、人類史上最大と呼べるほどの偉業だった。  しかし、オルドリンは人類史上初めて月面を歩いた人間ではなかった。その数分前に、 ニールーアームストロングが月面に足を踏み入れていたからだ。  気難しい性格で知られ、成し遂げたことの大きさの割には名声に恵まれなかったオルド リンについて、同僚の宇宙飛行士マイケルーコリンズはこう語っている。  「バズは2番目に月面に立ったことへの感謝よりも、1番目に月面に立てなかったことへ の不満のほうが大きかった」  嫉妬の力はとても強い。自分がすでに持っているものや、これまで成し遂げたことに素 直に満足するのは難しいことだ。  なぜなら、人は生きていくために必要なものを手に入れると、社会的階層を上げようと するからだ。自分が成し遂げたことを他人と比較し、他人が持っているものを欲しがるよ うになる。  このことは、お金の使い方を考えるうえで重要になる。というのも、多くの人にとって、 「買おうとしているものに価値があるかどうか」の判断は、実質的には「他人が持ってい るものより良いものか?」ということだからだ。「この家は十分に大きいか?」と考えて いるとき、実際には「私の家は知人の家より大きいか?」と考えているのだ。  もちろんこれは、人間として自然なことでもある。人生の多くは、お金や時間、配偶者、 注目、友人、土地といった資源をめぐる競い合いである。そこでは、自分がどれだけ優れ ているかではなく、他人と比べてどれだけ優れているかが重要になる。  ロシアの生物学者ゲオルギー・ガウゼは、「ガウゼの法則」という有名な生態学の概念 を提唱している。「隕られた資源をめぐって競争する2つの種は共存できない」、つまりど ちらかが絶滅するまで争い続けるということだ。常に周りを見渡し、他人が持っていて自 分が持っていないものを求めるのは、人間として自然なことなのである。  だが、お金の使い方に関して言えば、重要でありながら見落とされがちな点がある。  それは、他人が持っているものに勣機づけられること(基本的に良い)と、他人が持っ ているものを羨ましがること(常に危険)のあいだには、実は明確な境界線があるという ことだ。  他人の成功に動機づけられるのは、良い効果をもたらす可能性が高い。ここでの他人の 成功は、あなたがそれまで知らなかった価値あるものの存在を教えてくれる機会になる。  しかし、他人を羨むのは精神的な拷問である。それは、「惨めな気分になる」という契 約を自分自身と結ぶようなものだ。  これほど重要な問題もない。誰もが周りの人を見て、他人が持っているものに嫉妬し、 お金を使おうとするからだ。 「欲しい↓手に入れる↓失望」の無限ループ  起業家のジョシュアークシュナーは大学生のとき、金持ちの友人にNBAのニューヨー クーニックスの試合に連れて行ってもらった。その席は素晴らしかった。コートサイドで、 選手たちのにおいが漂ってくるようだった。クシュナーが感動していると、友人が5つ前 の席を見て、「僕たちの席もいいけど、あの席はもっといいな」と言った。  作家のC・S・ルイスは、「インナー・リング(内側の輪)」と題したエッセイの中で、 この感情を的確に表現している。  ルイスによれば、世の中は複数の同心円状の社会的な「輪」で成り立っていて、人は常 に次の内側の輪に入りたがっている。輪の外側にいるときは、その輪に入ること以上に素 晴らしいものはないように思える。しかし、いざその輪の内側に入ってみると、思ってい たほど幸せではないことに気づく。そして、再び次の輪に入ることを考えるようになる。 その内側に入れば、今度こそは最高のものが待っているに違いないと信じながら。  これは人生の様々な側面にも当てはまる。私たちは、他人が持っているものを見て、そ れを欲しいと思う。それを手に入れると、今度は別の人が持っているものを欲しくなる。 欲しがり、手に入れ、失望する。このサイクルを、延々と繰り返すのだ。  ルイスは書いている。  「それを防ぐ手立てを講じない限り、私たちは働き始めた日から、年老いて物欲がなくな るまで、ずっとこの衝動に大きく突き動かされることになるだろう」  彼がこれを書いたのは、80年以上も前のことである。今日、状況はさらに悪化している。  1世紀以上前、J・P・モルガンは「隣人が金持ちになるのを見ていると、あなたの経 済的な判断力は鈍る」と指摘した。当時は文字通り、家の近所に住んでいる人たちが隣人 だったが、現代では実質的に誰もが隣人だ。SNSの作用によって、嫉妬や比較はオリン ピック競技のようなレベルに達してしまった。  ここで、羨望や嫉妬、お金の使い方に関して、心に留めておくべき重要なポイントをい くつか紹介しよう。 1。ステータスゲームで「勝ち続ける」のは実質的に不可能である。ある時代には珍しく、   羨望のまなざしだったものが、次の時代にはありふれた平凡なものになる  ワイアード誌の創刊編集長ケビンーケリーから、こう言われたことがある。  「低所得層が将来何にお金を使いたいと思っているかを知りたければ、高所得層が今何を しているかを見ればいい」  アメリカでは、ヨーロッパ旅行はかつて、富裕層だけの特別な遊びだった。やがて、そ れは一般庶民にも浸透した。  大学も同じだ。かつては裕福な家庭の子どもだけに許された特権だったが、その後、大 学進学は一般的になっていった。  投資も同様である。1929年、いわゆる「狂騒の20年代」と呼ばれるバブルのピーク 時には、アメリカ人で株式を保有していた人は全体のわずか5パーセントにすぎず、その ほぼ全員が超富裕層だった。今日では、国民全体の58パーセントの世帯が何らかの形で株 式を保有している。   一世帯での車の複数台所有、芝生、ウォークインクローゼット、大理石のキッチンカウ ンター、6ロコンロ、ジェット機での旅行、さらにはリタイアという概念そのものについ ても同じことが言える。  こうした製品が広く普及した大きな理由は、価格の低下である。大衆の強い願望に支え られた莫大な需要は、企業にとって大量生産の革新的な方法を生み出す原動力になった。  これは、ステータスゲームで勝ち続けることができない理由も示している。何かが(イ ステータスなのは、他の人たちが持っていないからだ。誰もがそれを手に入れれば、それ はもはや(イステータスではなくなる。  作家のロブーヘンダーソンは、イェール大学の学生だった頃、クラスメイトたちのあい だでブロードウェイの舞台『ハミルトン』がブームになったときの出来事について記して いる。  この劇がディズニーのストリーミングプラットフォームで一般に公開されるようになる と、状況が変わり始めた。クラスメイトたちはこの劇を嫌い、退屈だと感じ、話題にしな くなったのだ。  イェール大学の学生たちは、この劇そのものよりも、他人が観られない作品を観られる ことを重視していたのだ。「『ミルトン』が、自分たちの輪の中でしか観られない作品だ ったときはクールに思えた。だが、誰でも観られるようになると、そうではなくなったの だ。  このように、大は自分よりも良い生活をしているように見える他人の真似をしたがる。 そして、すでに憧れのものを手にし、他人から羨ましがられる側の大たちも、常に不安を 感じ、決して満たされることはない。大はすぐに慣れてしまうし、羨望の対象は頻繁に代 わるからだ。  結局、ステータスゲームでは本当の勝者は生まれない。そこでは、目標が動き続けてい るだけだ。ステータスを競い合うことは永久に勝てないゲームであると気づけば、それを 追い求めることがなぜこれほど空しいかがわかるだろう。 2.他人と同じものを手に入れれば、自分の人生が良くなるわけではない  なぜならあなたは、その人の人生の全体像を把握していないからだ。  誰かが持っているものを欲しがるとき、あなたは「その誰かもまた他人が持っているも のを欲しがっている」という事実を見逃してしまいがちになる。  他人が持っているものを欲しがるという状況は、妬みの連鎖のように延々と続く。地位 と嫉妬のゲームに終わりがないことを理解できれば、勝つための唯一の方法が、ゲームそ のものをやめることだとわかるはずだ。 3。他人を羨むことは、自分の生き方を他人任せにすること  他人と自分を比較すること(社会的比較)は自然なことだが、よく考えてみると実に憂 鬱なものだ。  もし私が、友人や家族−私が愛し、関心を持ってほしい人たちIとだけ一緒にいれ ば、私が抱く物欲はささやかなものになるだろう。  しかし、私が何百万人もの見知らぬ人々の集団と一緒にいれば、私はまったく別の、大 きな物欲を抱くかもしれない。  私の好きな作家の一人、ローレンスーヨーはこう書いている。    嫉妬は自己探求と逆相関の関係にある。つまり、自分のことをよく知らないほど、   自らの価値を知るために他人を基準にする。自分への理解が深まるほど、他人に求め   ることは減り、嫉妬は消え始める。  これはとても賢明な考え方だ。お金を持つことの主な目的の1つを「自立」だととらえ れば、他人との比較がいかに有害なものかがわかるはずだ。  誰もが、自分が選んだ社会集団に合った人間でありたいと思っているし、そのために身 だしなみを整えたり、時間の過ごし方を工夫したりする。しかし、あまりに多くの見知ら ぬ人々の基準に合わせようとしすぎると、自立どころか、満足すら得られなくなる。  別の角度からも考えてみよう。  「あなたは嫉妬している」という言葉は、なぜ強烈な侮辱になるのだろうか。  それは、嫉妬が「あなたは他人を追いかけてばかりいて、自立できていない」という事 実を突きつけるからだ。誰もが「私は自立している」と思いたがっている。心の底では、 自立こそが目標であると知っているからだ。だからこそ、他人に嫉妬しているのを認める ことは、劣等感を告白することになるのだ。  自分をよく知り、自分が本当に望むものに近づくほど、たとえ自分が持っていないもの を他人が持っていたとしても、それを羨ましく思うことは少なくなっていく。 4.FOMOほど危ない反応はない  FOMO(fear ofヨ一ssmg out/取り残されることへの恐怖)は、他人と自分を比較し、 他人が持っているものを自分も欲しいと強く感じたときに生まれる。FOMOを抱くと、 誰かが持っているものを見ると、欲しくて堪らなくなる。  ファイナンスの数あるスキルの中で、FOMOを抱かないことほど重要なものもない。 「他人の成功」という誘惑に惑わされないことは極めて重要であり(特にその成功が突然で、 極端で、外部的な要因によって引き起こされた場合)、それなしで長期的にお金の問題に うまく対処していくことは実質的に不可能だ。  ドワイトーアイゼン(ワー元アメリカ大統領は、戦略を立てる際に、「軍事の天才とは、 周りの誰もが正気を失っているときに、普通のことができる者である」というナポレオン の言葉をよく引用していた。お金についても同じことが言える。  FOMOとは、野心という仮面を被った軽率さである。あなたは、誰かが金持ちになり、 成功した人生を送っているのを見て、「あの人にできるなら、自分にもできるはずだ」と 考える。これは一見すると、良い感情に見える。観察を通して学び、データに基づいた成 功への道を歩んでいるように感じられる。  けれども、実際に起きているのは、自分の感情を他人に委ねていることだ。突然大金を 手にしたり、派手な生活を送ったりしている人たちは、感情的に不安定なことも多い。彼 らを追いかければ、あなたも一緒に崖から転落してしまうかもしれない。  このことを示す驚くべきデータがある。ある研究によれば、隣人が宝くじに当たった人 は、将来借金をして破産する可能性が高くなるという。  ウォーレンーバフェツトの右腕として知られた投資家のチャーリー・マンガーは、こう 語っている。  「誰かがあなたよりも早く金持ちになるのは、悲劇ではない。本当の悲劇は、誰かがあな たよりも早く金持ちになるのを気にすることだ。これは、大罪である」  ・FOMOをあなたの「お金の方程式」から取り除くと、何が残るだろう? ・自分の経済的な目標だけに目を向けるようになる ・自分の大切な人たちの意見だけを気にするようになる ・長期的に考え、流行やバブルに巻き込まれるのを避けるようになる  長い目で見れば、それだけで十分うまくやっていけるのだ。 5.収入が増えるほど、他人との比較はエスカレートする  家賃や食費を払えないような状況では、お金への欲求は生き延びることと直結しており、 明確な目的とゴールがある。  しかし、すでに経済的に余裕がある状況では、お金への欲求は主にステータスに関する ものになる。ゆえに、それは上限のない、飽くなき欲求につながりやすい。  研究者のスニヤールターは、スラム街の貧困家庭で育つ10代を対象に、精神衛生、薬物 使用、問題行動といった側面を研究した。その際、対照群として郊外の裕福な家庭の子ど もたちと比較した。  その結果、衝撃的なことがわかった。裕福な家庭の子どもたちは、貧しい家庭の子ども たちよりも、いくつかの指標においてはるかに劣悪な状態にあったのだ。  ある理論によれば、裕福な家庭の子どもたちは他の裕福な家庭の子どもたちに囲まれて いるため、社会的地位を上げたいという飽くなき欲求が高まりやすい。その結果、精神や 行動が蝕まれてしまうという。人は、家賃の支払いや食料品の購入といった重荷から解放 されると、隣人より裕福で人気者になることに労力を注ぐようになるのである。  私もそんな光景を何度も目にしてきた。人は、「必要なもの」がすべて手に入ると、す ぐに「欲しいもの」に目が向き始める。  欲しいものには限りがない。貧しい人は、安定した給料や小さな家を求める。金持ちは、 フォーブス誌の億万長者リストに名前が載ることや、プライベートジェットを所有するこ とを目指すようになる。他人との比較の度合いは、収入が増えるにつれて指数関数的にエ スカレートしていく。  おかしな話に聞こえるかもしれないが、私はステータスやお金に最も飢えているのは、 金持ちのセレブではないかと思うことがある。なぜなら、彼らは自分の富を超富裕層のメ ガセレブと比べているからだ。  「自分の願望や、あるいは自尊心そのものは、自分にとって最も身近な社会集団と密接に 関わっている」という事実に気づくと、誰と付き合うかをより深く考えるようになる。次 は、この最も重要な点について考えてみよう。 6.「誰と付き合うか」が金遣いを決める  「あなたがどんな人間かは、あなたの親しい友人を3、4人見ればわかる」。これは、人 生の様々な側面に当てはまる真理だ。  高級志向な友人と親しくしていると、あなたもそのライフスタイルに影響されやすくな る。友人にとっての最高の金曜の夜の過ごし方が、湖畔で水面に向かって小石を投げなが ら誰かと人生を語り合うことなら、あなたの物欲も地に足のついたものになるだろう。  人生で価値あるものはすべて、期待と現実のギャップである。つまり、期待していたよ りも現実のほうが良ければ、喜びは大きくなる。見栄を張り合うような金持ちのライフス タイルを基準にしていると、何かを買っても、期待が現実を上回るようなことはめったに 起こらない。  私は以前、田舎の森の中に住んでいたが、その後、ロサンゼルスのビーチに引っ越した。 金持ちの隣人に囲まれた途端、成功や豊かさ、贅沢の定義が驚くほどあっという間に変わ った。  野心を持つのは素晴らしいことだ。しかし、私にはそれが全体として良いことなのかど うかはわからない。歯科医や中小企業の経営者は、自分の町では富や成功を手にしたと思 うかもしれない。しかし、別の町の同業者と比べれば、たちまち敗北者のように感じるこ とがある。  誰と付き合うかは、お金をどれだけ稼ぐか、どれだけ使うかと同じくらい、あなたの幸 福に大きく影響する。  そう考えれば、誰と時間を過ごすかを賢く選べるようになる。  C・S・ルイスはエッセイの最後に、「内側の輪を探求し続ければ、あなたの心は傷つ くだろう。それを逃れるには、その探求をやめなければならない」と述べている。  内側の輪の探求をやめるのは、単純なことだ。自分が今いる輪に満足し、誰にも嫉妬せ ず、何も羨ましがらず、自分が今持っているものや得意なことに満足し、友人や家族に感 謝すること。そうすればあなたは、外から見ると、まさに内側の輪の中心にいて、心地よ く安らかに過ごしているのだ。  嫉妬心がなくなれば、もう1つの贈り物が得られる。それは、自由だ。次章では、この 点を取り上げよう。    ほどよい人生を実現する    最もシンプルな公式  良い人生を送る方法というテーマは、極めて複雑である。こうした複雑 なことを理解する最善策は、特に重要となる少数のルールに目を向けるこ とだ。  それを踏まえて、―つ提案させてほしい。  素晴らしい人生を送るための最もシンプルな公式は、「自立十目的」で ある。  自立十目的1・  自立十目的目‥  自立十目的V  好きなように生きるための自立。  価値ある目的を見つけ出すための知恵。  それだけが人生のすべてではない。だが、この2つを大切にしていれば、 物事が良い方向に動き出すのも確かだ。  自立の形はたくさんある。悪しき健康状態から抜け出すことも、世間的 な考えに縛られないことt)、気まぐれな上司の言いなりにならないこと奄、 すべて自立である。とりわけ重要なのは、経済的自立だ。  こうした自立のためにお金を使うことは、最高に価値のあるお金の使い 方になり得る。またそれは、あなたが思っている以上に簡単なことでt)あ  私が最も尊敬する人たちは、必ずしも特別な金持ちだったり、特別な成功者だったりす るわけではない。  しかし、限りなく自由な人たちである点は共通している。彼らは例外なく、自分の思い 通りに人生を生きている。  そのことに気づくまでには時間がかかった。以前、私にとっての「豊かさ」とは、高級 品をたくさん持っていることだった。今、豊かさの定義は、慌ただしさから解放され、家 族と十分な時間を過ごし、スケジュールをコントロールし、知的に自立していることに変 わった。豊かさとは、自分の好きなように人生を生きることだ。つまり、真の豊かさとは、 「自立」である。  私は、ある考えを持っている。  それは、「使っていないお金など存在しない」というものだ。  あなたは今まで稼いだお金を、すべて使っている。銀行口座にあるお金も、意識してい るかどうかにかかわらず、あなたはすべて使っているのだ。  あなたはこの使っていないお金で、目に見えないが価値のあるものをすでに買っている。  それは、自由であり、自立であり、自分の好きに過ごす時間である。  Iドル貯蓄が増えるごとに、あなたは将来これらを手にする権利を得ている(同じく、 Iドル負債が増えるごとに、あなたは誰かに自分の未来を奪われている)。 貯蓄=自由へのチケット  私は昔から貯蓄に励んできた。しかし、貯蓄したお金を「使われていない資産」だと考 えたことは一度もない。将来の買い物のためにお金を貯めているという意識すらない。す べての貯蓄を、自分の本当の目標である経済的自立に向かうためのチケットだと考えてい る。預金口座に500ドルを入れることを、500ドル分の自立を買うことだと考えてい るのだ。  それは私にとって、500ドルのテレビを買ったのと同じことだ。購入対象となるもの の価値が違うだけで、お金を「使った」ことに変わりはない。  私は、自立のためなら迷わずお金を使う。思い通りに日々の時間を過ごすために、惜し みなくお金を使っている。自立し、自分の好きな人と、好きなときに、好きな時間を過ご すためになら、際限なくお金を使っていいと思っている。  私にとって、これまでお金を使ったものの中で、自立ほど高いROI(投資利益率)を もたらしてくれるものもない。  「お金を物ではなく、時間と交換する。時間が多いほど、人生の喜びは増えるから」とい う考えは、お金の使い方を考えるうえで最も見落とされがちな側面かもしれない。なぜな らほとんどの大にとって、自立と貯蓄によって得られる時間と心の余裕は、「お金を使っ たこと」の結果として得られたものには感じられないからだ。  ここで2人のスポーツ選手についての話を紹介しよう。どちらも大金を稼いだが、お金 の使い方は違っていた。 豊かさとは、「収入」より「自立」に宿る  アントワンーウォーカーはNBAで12シーズン活躍し、その間に1億800万ドルを稼 いだ。おおまかに言えば、1日あたり約2万5000ドルだ。  1999年にウォーカーがボストンーセルティックスと6年契約を結んだとき、同球団 の代表兼コーチのリックーピティーノは、「ウォーカーはもう人生でお金の心配をする必 要はないだろう」と語った。  ウォーカーも同意見だった。「もうこの先の人生で、お金の問題で苦労することはない と思っていた」と、2015年にそのときのことを振り返っている1彼が自己破産の申 請をしてから、5年後のことだ。  現役時代、ウォーカーは本人日く、6、7台の車を所有していた。それでも、誰かがも っと良い車に乗っているのを見かけると、すぐに買い替えていた。30人の友人や家族に給 料を支払い、母親のためにバスルーム10室とフルサイズのバスケットボールコートを備え た家も買った。  ウォーカーは、同じスーツを二度着たことは一度もなかったと言われている。カジノで は、何百万ドルも賭けてギャンブルをした。  破産裁判で示された最終的な負債額は、資産430万ドルに対して負債1270万ドル だった。  ウォーカーは現在、自身の失敗を現役の選手たちの学びにしてもらうべく、アスリート のフアイナンシャルーアドバイザーを務めている。  もう一人のスポーツ選手、ジョンーアーシェルを紹介しよう。  彼はウォーカーに比べ、アスリートとしての能力やスター性は劣っていた。2014年 に5位指名でNFLのボルチモアーレイブンズに入団し、3シーズンのあいだ選手として プレーしたが、大きな注目は集められなかった。  彼がフットボール選手としてのキャリアで稼いだ金額は、ウォーカーがバスケットボー ル選手として稼いだ11週間分の金額よりも少なかった。アーシェルの年俸は約60万ドル。 リーグが定めた最低年俸に近い。  しかし、アーシェルはこのお金を実に賢明な方法で使った。彼は客観的に見て、贅沢で 豊かな生活を送っていた。しかし、同時に収入の大半を貯蓄していた。  なぜか?  「私は、自分が稼いだお金に感謝している」とアーシェルは言った。  「私は億万長者ではない。だが経済的に安定していて、金の心配をする必要はない」  実際、周りの人たちに尋ねても、彼はお金の心配をすることなく生活していた。  アーシェルは2017年にフットポールを引退し、博士号を取得するために大学に戻っ た。現在は、マサチューセッツエ科大学の教授を務めている。  重要なのは、アーシェルが大学教授になったことではない。彼が、やりたいことが何で もできる人生を手に入れたことだ。  私が言いたいのは、「ウォーカーではなく、アーシェルのように生きよう」ということ ではない。2人は、「お金の使い方の範囲」の両極端にいる。彼らのような人生を生きる のは、誰にでもできることではない。  それでも、質問させてほしい。あなたは、どちらの人生−スポーツ選手としての能力 ではなく、その大が生きた人生−を尊敬するだろうか?  これはひっかけ問題ではない。おそらくあなたは、ウォーカーよりもアーシェルを尊敬 すると答えたのではないだろうか。  たとえウォーカーが自己破産せず、単にお金が尽きて贅沢を諦めざるを得なかっただけ だとしても、おそらくアーシェルの人生を称える人のほうが多いだろう。  その理由は、ウォーカーが自分の人生をコントロールできなくなっていたからだ。最終 的には、どこに住むか、どんな車に乗るか、どんな服を着るかといった選択さえも、破産 裁判官の指示に従わなければならなくなってしまった。  一方、アーシェルは自分の人生をコントロールし続けた。彼は好きなことを、好きなと きにできた。彼にとっての人生は、思い通りに自分自身を描けるキャンバスだった。  私たちは、「自分の行動をコントロールできる大」を尊敬する。なぜなら、それは私た ちが心から望んでいることだからだ。私たちは、「自分の行動をコントロールすることで、 大は幸せになれる」と知っているのだ。  作家のナシームータレブはこう言った。  「重要なのは、何を持っているか、持っていないかではない。失うのが怖いものがどれだ けあるかだ。それが多いほど、人は脆くなる」  どれだけお金があっても関係ない。十分にコントロールできていない人生は、脆くなる のだ。  今朝、こんな新聞記事を読んだ。かつて数億ドルもの資産を誇ったCEOが、多額の借 金を返済できなくなり、銀行に資産を清算されているのだという。銀行はこのCEOのヨ ットや自宅を売却した。この大失敗によって、彼は会社から追放された。  私は衝撃を受けた。収入と資産でアメリカの人口全体の上位O・001パーセントにい ながら、低収入の人たちよりも、経済的自立がはるかに低い人がいるのだ。  真の豊かさは、収入ではなく自立にこそ宿っている。 経済的自立のID段階  「経済的自立」という言葉を聞くと、「莫大な遺産を相続したわけでも億万長者でもない 自分には、無縁の話だ」と、冷ややかな気持ちになる人もいるかもしれない。私には、「貯 金などしても無意味だ」という考えから、一切貯金をしようとしない友人がいた。「たと えば50ドルを貯金したところで、人生にたいした変化は起こらない。それなのに、なぜそ んなことをする?」というわけだ。  私は、そんなふうには考えない。  経済的自立は「白か黒か」の問題ではない。それは段階的なものだ。貯蓄が少し増える ごとに、少しずつ経済的自立に近づき、人生は少しずつ改善していく。  私は経済的自立の段階を、次のようなものと考えている。自分がどの段階に当てはまる かを考えながら読んでみてほしい。 レベルO‥他人の善意に完全に依存した経済状態。あなたの成功に利害を持たない見知ら ぬ人の親切に頼るしかない。物乞いや、会社の経営が破綻し政府に救済を求めているCE Oを想像してみよう。あなたは経済生活をまったくコントロールできず、不安定で、とき に残酷な世界に無防備に身を置いている。 レベルー‥あなたのことが好きで、あなたの成功が自らの評判に関わる人たちに、経済的 に完全に依存している。たとえば、15歳未満で働けず、親に養われている子どもたちを想 像してみよう。あなたに返済能力がないとわかっている友人や家族から借金している場合 も、この段階に当てはまる。 レベル2‥お金は多少稼いでいるが、まだ他人の支援に頼っている。たとえば、働いては いるが、親の経済的援助に頼っている若者がこの段階に該当する。政府の支援に頼る労働 者も同じだ。あなたの経済的な幸福は、誰かが将来も支援し続けてくれるかどうかにかか っている。 レベル3‥世の中に価値を提供できているが、その価値はわずかで、簡単に代替されてし まう。これは個人にも企業にも当てはまる。生活費を自分の稼ぎで賄えているという意味 では自立しているように見える。しかし、上司や顧客に一日を支配されている。あなたの 未来は、彼らに握られている。もし仕事を失えば、新しい仕事先を見つけるのは難しく、 頼りになる貯蓄もほとんどない。 レベル4‥日常的な小さな臨時の出費に対応できるだけの貯蓄がある。日常的なトラブル に直面したときに、対処できるだけの蓄えがある。ちょっとした医療費なら支払える。寒 い冬に電気代が上がっても問題ない。子どもが新しい服が必要になっても大丈夫。ささや かな貯蓄があれば、人生の面倒に少しは耐えられることに気づく段階。 レベル5‥大きな臨時の出費に対応できるだけの貯蓄がある。給料に人生を左右されてい るが、大きなトラブルが起きても、しばらくのあいだは対処できる蓄えがある。車が故障 しても、暖房が故障しても、修理代を支払える。ある程度の自立と、日常生活において「不 運」と思えるようなリスクに対処できるだけの備えを得ている。 レベル6‥ある程度の老後資金と教育費を備えている。経済的自立というハンドルを片手 で握っているような感覚。まだ給料に依存はしているが、今の貯蓄が将来のあなたと家族 にとってさらなる自立をもたらす道筋が見えている。完全に自立しているわけではないが、 将来への十分な希望があり、それが安心感につながっていて、夜もぐっすり眠れる。 レベル7‥ひどい職場や不要な面倒を避けて、仕事を選べる。「嫌な上司や仕事に見切り をつけて、転職しよう」と決断できる自由と、市場価値のあるスキルを持っている。好き なタイミングで退職し、より条件の良い転職先を見つけるために必要な時間を確保できる だけの十分な貯蓄がある(これは多くの人にとって非常に価値のある、かつ現実的な目標 だ。レベル7は、私たちが目指すべき大きな到達点になる)。 レベル8‥社会的地位に満足し、他人に見栄を張る必要性を感じない。これは単なる経済 的自立だけでなく、自分の考え方や生き方についても他人に左右されず、精神的な自立が できているサインだ。 レベル9‥自動車ローン、学資ローン、住宅ローンなどのローンを抱えなくてよい。借金 は便利な資金調達手段だが、同時にあなたの将来の選択権の一部を他人に握らせることに なる。私は、人生でやりたいことが明確にありながら、学資ローンの返済のために嫌いな 仕事を続けざるを得なかった男性を知っている。この借金は、利息以上の代償を彼に払わ せた。キャリアの自立を奪われたからだ。  同じことは、住宅ローンを抱えすぎる人にも起きる。借りた額以上で家を売れない場合、 途中で引っ越しをしたくなっても身動きが取れなくなる。  借金を、「将来の選択肢に対する引換証」のようなものだとみなせば、「この借金をする ための金利はいくら?」ではなく、「この借金は自分の自由をどれだけ奪うか?」と考え られるようになる。 レベル10‥自分や家族の経済的状況がレベル5以下に戻ることはない。怪我や病気で多額 の医療費の支払いが必要になったり、景気が大幅に後退したりしたとしても、貯蓄を取り 崩すことでしばらくは生活できる。これは真の意味での経済的自立の最初の段階だ。お金 のために、嫌な人と付き合ったり、嫌な仕事を続けたりする必要はなくなり、世の中が不 況に襲われても、その影響をもろに受けにくくなる。 レベル11‥投資収益(利子や配当金などの不労所得)で、生活費の大部分を賄える。働い て給料を得ていることは変わらないが、投資から得られる収入がストレスや時間的拘束を 大きく軽減してくれる。このレベルの自立は、投資収益だけではなく、節約重視の質素な ライフスタイルにも支えられているのが一般的だ。一方、このレベルの自立に達すると、 かえって生活水準を上げたくなる衝動が強くなる傾向もある。それは多くの場合、投資資 産よりも早く膨らんでいくので注意が必要だ。 レベル抒一‥投資収益によって、平均寿命以上に生きた場合でも、残りの人生の基本的な生 活費を賄える。おめでとう! あなたはもう他人に雇われて仕事をしなくても生きていけ る。もし望むなら、仕事を続けてもいいし、好きな仕事を、好きな時間だけ、好きな相手 とすることができる。この自由は格別だ。資産を増やすことでこのレベルに到達する人は 少なくない。 レベル13‥投資収益によって、基本的な生活費を上回るお金を手にすることができる。自 分や家族が望む生活を送りながら、慈善活動に寄付をする余裕もある。ここで言う「基本 的な生活費を上回るお金」の定義は人によって異なる。ただし、生活レベルをいつのまに か不要に上げてしまわないように気をつけよう。そうなれば、経済的自立を失いかねない。  コメディアンのクリスーロックは「もしピルーゲイツが朝起きて、オプラーウィンフリ ーと同じくらいの資産しか持っていないことに気づいたら、絶望して窓から飛び降りるだ ろう」とジョークを言った。ゲイツほどの超富裕層からすれば、ウィンフリーのような一 般的にみれば相当の金持ちも、絶望したくなるほど資産が少ないと思えてしまうというこ とだ。 レベル14‥他人の意見に左右されず、好きなことを言い、好きなことができる。誰かが反 対しても気にせずにいられる。注意すぺきは、「フアツクーユー・マネー」という考え方 を持ってしまうことだ。たしかに、報復を恐れずに他人に「フアツクーユー」と言えるほ どのお金を持つことは素晴らしい。だが、相手への敬意や礼儀正しさも同じくらい大切だ。  だから私は、「フアツクーユー・マネー」ではなく、「ノーザンキュー・了不I」という 考えを提唱したい。「ありがとう。でも私はそれに興味がありません」と、相手に敬意を もってノーと言えるくらいの経済的な余裕を持つということだ。前者はただの無礼者の理 屈だが、後者は心の自立を示すものだ。 レベル15‥毎朝、目覚めるたびに、好きなことを、好きな人と、好きなだけできる時間が あることを実感する。今日一日の行動を、周りに振り回されずに、自分の意思で選択でき る。上司やしがらみに縛られず、人生の選択肢が左右されたりもしない。あなたはゲーム に勝ったのだ。  もちろん、だからといって幸福が保証されたわけではなく、人生が台無しになる可能性 はまだいくらでもある。それでも、あなたはこれまで生きてきた人間の99・99パーセント が経験したことのない自由を手に入れたことになる。唯一のリスクは、この恵まれた状況 への感謝の気持ちを忘れてしまうことだ。 「自立を買う」という考え方を身につけよう  どのレベルに位置するか、どれだけ高いレベルを目指すかにかかわらず、「経済的自立 とは段階的なものである」と認識することが重要だ。自立とは、達成しているか、してい ないかの二者択一的なものではない。ほんの少しの貯蓄、ほんの少しの節約が、あなたの 自立のレベルを少し上のレベルへと押し上げる。  一定の自立を得ることを目標にする人もいれば、できる限り上のレベルの自立を目指そ うとする人もいる。どの程度の自立を望むべきかについて、正解はない。  多くの人は、自分には手の届かないものだと思い込み、自立の追求を躊躇してしまう。 しかし実際には、収入レベルにかかわらず、自立のレベルを少しずつ上げていくことは難 しくないし、それによって生活を改善していけるのだ。  秘訣は、少しでも貯蓄をしたら、それによってあるものを買ったと考えるようにするこ とだ(たとえ、レシートはもらえなくても)。「あるもの」とは、好きなときに、好きな人 と、好きなだけ、好きなことをする力だ。それには、計り知れない価値がある。    自慢しないこと  私は、自慢は人生の満足度と反比例していると思う。これほど信頼でき る人間心理の公式ちない。  映画『ブロードキャストーニュース』の中で、主人公のトムーグルニッ タは「現実の生活が、それまで描いてきた夢を超えたらどうすればいい?」 と問いかける。  同僚のアーロソーアルトマソはこう答える。  「自分の中に留めておけ」  人が周りの注目を求め、自分がいかに賢く、裕福で、成功しているかを 見せつけようとするのは、心の空白を埋めようLこしているからだ。  高収入であることや、高価な買い物をしたことを自慢している人を見か けても、私はそれだけで相手を判断しないようにしている。そして、こう ・    、]          .i      一 四              一      4        I     .            ■         ■     `一       一 .   “  』 ・ 一四        』・    四四   一   ・匸‘  ……………一……   ……… ……………!   \\  <ツ  \… ……口.  へ    ・  ・’ ・        .・    .∴と “   X  I I“ ““       い      “I       II“      四 ・四−  四         l  l     l』     “  I 、        I   I     “   \二……     万卜 \○ ・:………一丁 ’j \11    \     yO’  ………三一\    犬▽   厂二     :’              考えf(″       ‐‐            ノ                 ー                  y 〈  ’〈一   コ・   ¨…………一    卜<     厂〈     `      ………’    \         二   この人は誰に良い印象を与えよiとしてい忝のだろうっy ………’.・     厂    \ 二.………   y       ’ ノ  〈「 ’     上   \  ……    〈へ   この人の自慢を.周りの人は実際どう思っているのだ・ろうワ≒ノ   〉  卜 几     .ノ  .………−一.    −一   ・丶II・I II・  II・“かI I   バ ..……・……」………………..‐1   \..…………、でI  \   十 ・、  ’・この人の’自慢は、意図せず悪いことをもたらしてはいないだろうか7・  ≒   ・      一          一            一                  一          一                  ■       9           `   “    一一                                     崢     I               I                −                                  ♂     上 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な濡れ手に粟の状況が、何年も続いた。  ルーカスが長いあいだ罪を逃れられた大きな理由は、彼が目立たない生活を送っていた からだった。ルーカスは贅沢をせず、平凡に暮らしていた。そのため、不要な注目を避け られたのだ。警察は、彼をマークしていなかった。  だが、そんなルーカスの心にも、次第に傲慢さが首をもたげるようになってきた。  下っ端のドラッグディーラーたちが羽振りのいい生活を送っているのを見て、ルーカス はついに我慢の限界に達した。彼は回顧録にこう記している。  「私より稼ぎの少ない連中が、肩で風を切るようにして歩き回っているのを見るのは耐え られなかった。私はそこら中に響き渡るような大声で叫んだ。「お前らは俺よりも自分が 上だと思っているのか?」」  1971年3月8日、ニューヨーク市。「世紀の一戦」と銘打たれたモ(メドーアリ対 ショー・フレージャーのプロボクシング世界ヘビー級タイトルマッチが行われた。その会 場であるマディソンースクェアーガーデンに、ルーカスは床まで届く10万ドルのチンチラ のコートにお揃いの帽子というド派手な格好で姿を現した。現在の価値で約100万ドル に相当する出で立ちだ。彼は歌手のプランターシナトラとスピローアグニュー副大統領の 前の特等席に座った。  「生まれて初めて、誰かに自分の富を自慢したい気分になった」  それはうまくいった。観客は派手なコートに身を包んだルーカスと記念写真を撮るため に列をつくった。メデイアも大騒ぎした。その夜、誰もがプランタールーカスに注目して いた。ニューヨーク市警察も、その例外ではなかった。  「私は無名の男として試合を観戦しに来た」とルーカスは回想している。  「そして、会場を後にするときには、世間の注目の的になっていた」  無名の男が王様のような暮らしをしていたことに驚いた警察は、ルーカスの身元を調べ 始めた。それが、彼の運の尽きだった。ルーカスは逮捕され、懲役70年の刑を宣告された。  ルーカスは犯罪者だった。だが、私たち一般人全員に当てはまる概念を紹介したい。  私はそれを、「社会的負債」と呼んでいる。社会的負債とは、お金の使い方が、自分が 望まない形で人の目に影響することだ。これは隠れた負債であり、だからこそ特に危険だ。  時にそれは、他人から妬まれることである。時には、以前の仲間を急に見下してしまう ことである。さらには、派手な暮らしによって自分自身の期待が膨らみ、自分を縛ってし まうことでもある。  何かを買うことで、周りからどう思われるかや、自分自身についての認識に変化が生じ ることがあるのだ。それが、後悔につながる場合もある。 見えないコストーお金にまとわりつく社会的負債  薬理学には、「アルントシュルツの法則」という重要な概念がある。これは「あらゆる 物質による刺激は、少量の場合は生体機能を活性化し、中程度の場合は生体機能を抑制し、 大量の場合は生体機能を停止させる」というものだ。  日光浴の場合、少量は健康に良く、必要である。中程度になると日焼けをする。過剰な 日光浴は致死的ながんを引き起こす可能性がある。アルコール、カフェイン、精神的不安 についても同様だ。有益な刺激が危険になり、さらに災難へと変わる転換点がある。この 転換点がいつ起こるのかは、手遅れになるまで気づけない場合が多い。  お金の場合も、同じように機能する。おかしな話に聞こえるかもしれないが、私は、人 それぞれに、「理想的な」資産のレベルというものがあると考えている。このレベルを超 えると、お金は喜びをもたらさなくなるだけでなく、社会的負債になってしまう。  理想の資産の額は人によって異なるだろう。しかし概して、その額は思っている以上に 低いものであるはずだ。なぜなら、収入や支出が増えるほど、社会的負債が生活に入り込 んでくるからだ。  私は数年前、宝くじに当選したが、その後にすぺてを失ってしまった人たちの話を読ん だことがある。宝くじに当選すると、すぐに社会的負債に押しつぶされ、破産してしまう 人は多い。大金を持っているのを知られた途端、友人や家族、見知らぬ人たちから、当然 のようにお金を求められたり、騙し取られたりすることになるからだ。当選者は周りに搾 取され、やがて破産してしまう。  ある当選者の物語を見てみよう。    1985年10月に390万ドル、4か月後に140万ドルと、立て続けに宝くじに   当選し、賞金を獲得した後、アダムズは自分がプライバシーを失っていることに気づ   いた。「私は有名人になりました」と彼女は言う。「どこに行っても、自分が何者か知   られているのです」  お金に関して見落とされがちなのは、資産は簡単に数えられるのに、負債は見えにくい ということだ。  宝くじの賞金がいくらかを把握するのは簡単だ。アダムズの場合なら390万ドルと1 40万ドルで、端数もIセント単位まで数えられる。  しかし、それによって彼女のプライバシーが失われたことは、どうやって測ればいいの だろう? 「この友人は、お金目当てで自分に近づいて来ているのでは?」という疑念の 大きさは、どう測ればいいのだろう? それはお金を数えるよりもはるかに困難だ。  プロゴルファーのタイガー・ウッズは億万長者だ。その資産は簡単に数字で表せる。彼 はかつて、スキューバダイビングが好きであることを認めた。ウッズにとって海の中はこ の世で唯一、誰にも気づかれず、何も質問されない場所だったからだ。この気が重くなる ような社会的負債を、どう測ればいいのだろう? それは表計算シートの数字としては現 れていないが、ウッズの人生においては紛れもない現実的な負債なのである。  作家のヘンリー・デイヴィッドーソローは、この概念をうまく表現している。商品の値 段は、値札に書かれている金額よりもはるかに高い、と。  「ある品物を得るためのコストとは、短期的または長期的にそれと引き換えにしなければ ならないもの、すなわち私が生命と呼ぶものの総量である」  以前、NBAの新人選手たちと話をしたことがある。私たちは、20代で大金を稼いで30 歳になる頃には破産してしまうという、アスリートにありがちな悲劇を避けるにはどうす ればいいかについて話し合った。  ある選手が、とても示唆に富んだ発言をした。世間ではアスリートが破産するのは宝石 や車に見境なく金を使うからだと思われていて、たしかにそれが当てはまる場合もある。 しかし彼は、実際にはその一番の原因は社会的負債なのだという。  「貧しい家庭で育ち、22歳で1000万ドルを稼いだとき、それは自分のお金ではないん です」と彼は言った。  「それは母のお金であり、父のお金であり、祖母のお金であり、親戚のお金であり、友人 のお金なのです。『僕はお金を稼いだ。みんなは自分で頑張ってくれ』なんてことは、絶 対に言えない」  アスリートたちが自分のために豪邸を買うこと自体が問題になるのではない。一度も会 ったことのない遠い親戚たちのために家を買ったことが、彼らを破産に追い込んだのだ。  これは、金持ちに限った問題のように思えるかもしれない。しかし社会的負債は誰に対 しても、どこにいても忍び寄ってくる。たとえば、自分の存在価値を持ち物で表そうとす ればするほど、「他人からどう見られているか」がお金の使い方に影響するようになる。 あなたは新しく、大きく、質が高く、高価な物を買い続けることで、絶えず周りの人を驚 かせようとするだろう。  周りに見栄を張るためにあなたが新車を買う場合、その真のコストは、車に支払った5 万ドルだけではなくなる。「2年もすれば、今度は6万ドルの車に乗り換えなければなら ない」というプレッシャーに迫られる。実質的には5万ドル+6万ドルなのだ。  「金持ちでいるのはとても高くつく」という皮肉なことわざがある。これは馬鹿げている ようで真実だ。なぜ高くつくかと言えば、それは豊かなライフスタイルを送ることに伴う 社会的負債の急増に、必死に対処しようとするからである。 高まる期待、増える負債  社会的負債は、私たち自身の「期待」の高まりにも乗じて忍び込んでくる。私は以前、 ワシントンD.C.からニューヨーク市までアムトラックの列車で定期的に移動していた。  アムトラックには、「クワイェットーカー(静かな車両)」という車両がある。この車両 では、乗客は静かに過ごすことが求められる。眠ったり、仕事をしたりするのに最適な車 両だ。  乗客は静けさを求めてクワイェットーカーを利用するのだが、かなりの頻度でそれが裏 目に出ていた。静けさを期待していると、わずかな物音にも過敏に反応してしまうように なるのだ。誰かがささやき声以上の声で話すと、車内全体の空気が苛立っていくのがわか った。「平和」なはずのクワイェットーカーに乗っているのに、実際には乗客の血圧は高 くなっているようだった。期待する気持ちが高くなることで、かえってストレスや不安と いった社会的負債が増えるのだ。  もっと大きく、新しい家を買ったら、最初は幸せを感じるだろう。しかし、それは新た な執着を生み、勝ち目のないゲームの始まりにもなる。新しく、いい家を買うたびに期待 が高まり、比較対象となる社会階層も上がっていくからだ。  人は、資産が増え、使うお金が増えるほど、社会的負債を背負いやすくなる。ある程度 の基本的な支出額を超えると、生活レベルが上がるごとに期待は高まり、社会的な義務や、 他人からの評価を気にする機会も増えていく。これらは極めて現実的な負債でありながら、 軽視されがちだ。  高級車や高級住宅を買うべきではないというわけではない。私は、どちらも好きだ。大 切なのは、お金が自分を幸せにするための道具から、他人からどう評価されるかの物差し になってしまったら、もうゲームに負けているという認識を持つことだ。作家のケント・ ナーバーンは、自分の息子たちにこう述べたことがある。    覚えておいてほしい。所有物とはカメレオンのようなt”のだ。手にした瞬間に、夢   や憧れだったものが、重荷へと姿を変える。その人の視線を天(目指すべき理想)か   ら離し、地上(目の前の現実やしがらみ)に釘付けにしてしまう。  私は以前、資産80億ドルを持つ一族の資産管理のコンサルティングをしたことがある。 その一族の名前は、グーグルで検索しても出てこない。フォープス誌のリストにも、祝賀 会の写真も、プロフィールも、ウィキペディアのページも、何もない。  それは、意図的なものだった。彼らは、他の富裕層や中産階級、金持ちに憧れる人など、 あらゆる資産レベルの人たちが気づかなかったことを見事に理解していた。彼らはこれ以 上ないほど素晴らしい人生を送りながら、社会的負債を実質的にまったく抱えていなかっ たのだ。  この一族の人たちは、完全な自由やプライバシー、自立を享受していた。誰と付き合う かを慎重に選び、匿名で寄付をしていた。彼らの最も価値ある財産は、社会的負債がない ことだったのかもしれない。  投資家・作家のナヴァルーラグィカントは、「最高の地位とは、金持ちで、かつ無名で あることだ」と述べている。  素晴らしい考えだ。しかし、疑問は残る。あなたや私のような普通の人間は、どうすれ ば社会的負債を避けられるのだろうか? どうすれば裕福でありながら匿名を保ち、お金 の使い方で生活を台無しにしないようにできるのだろう?  私が採用している戦略は「静かな複利」と呼ぶものだ。次章ではそれを見ていこう。  「自然は急がない。それでいて、すべてを成し遂げる」と中国の哲学者、老子は言った。  ジャイアントセコイア〔樹齢2000〜3000年に達することもある世界最大級の樹 木〕や人間をはじめとする生命、そびえ立つ山々−自然は、宇宙の神秘と呼ぶべき驚異 的なものをつくり出す。その変化は、静かに、目には見えないようなゆっくりとした速度 で、長い時間をかけて着実に進められていく。  それは「静かな複利」と呼ぶべき、驚くべき力である。  私は、静かな複利の力によって資産を増やすという考え方が大好きだ。これは、私が最 も大切にしていて、最も重要だと考えるファイナンスの信条である。  なぜなら、これはとてもシンプルでありながら、本書で論じてきた多くの効果的なファ イナンスの特性を包含しているからだ。自然界と同様、最も印象的な結果が得られるのも、 まさにこの考え方に基づいた行動である。  学歴もなく、低賃金の仕事に就いている人が、働いて稼いだお金をゴツゴツと投資し、 複利の力で莫大な財産を築いたという話は、何度も繰り返されている。彼らは何十年も、 黙々と貯蓄と投資を続けた。富を自慢することも、誇示することも、他人と比べることも、 運用利回りが昨年の成績を下回っているかどうかを気にすることもない。  彼らのお金に関する考えや目標、信念は、自宅の壁の内側に閉じ込められていた。だか らこそ、自分の好きなようにゲームをプレイし、自分の望みだけに従うことができた。そ れが彼らにとって唯一のファイナンスースキルだった。けれどもそれは、何よりも強力な スキルだったのである。彼らは、「静かな複利」の達人だった。 「静かな複利の達人」になる5つのポイント  どのようなライフスタイルを送っているか、どれだけのお金を使っているかに関係なく、 彼らのように周りに左右されずに複利の力を信じることは、私たちが理解しておくべき極 めて重要な考え方だ。  初デートの後、相手との電話やメール、会話をすべてSNSで公開しなければならなか ったらどうなるだろう? 少人数の友人や家族に対して公開するのでもいい。何が起こる かは想像に難くない。  周りからは、「これは間違っている」「あれはやりすぎだ」「もっとこう言ったほうがい い」「あんなことは言わないほうがいい」などとおせっかいなアドバイスをされるだろう。 あなたはひどく恥ずかしく、不安になり、性格の違う他人の意見に影響されて、本来の自 分とはかけ離れた言動を取ってしまうのではないだろうか。これでは、どんな恋愛もうま くいかないはずだ。  お金も同じだ。人は自分のライフスタイルや投資判断について、結局、周りに左右され た行動を取ってしまう。他人に自分の生活を見せびらかそうとし、他人にはうまくいくか もしれないが自分には合わない戦略を真似しようとする。  静かな複利を実践するために、ここで再び、お金の使い方には2種類あることを強調し ておきたい。  1つは、良い人生を送るための道具として使うこと。もう1つは、他人と自分を比べる ための成功の物差しとして使うことだ。  前者は静かで、個人的なものである。後者は、騒々しく、他人の目を意識して何かを演 じることである。どちらが幸せな人生につながるかは明白だ。  それを踏まえて、私が周りに流されず、静かな複利を信じるために意識している5つの ことを紹介しよう。 1.ベンチマークは自分の外側ではなく、内側に置く  私はいつもこう自問するようにしている。 「他人と比べることができないとしても、自分と家族しか知らないとしても、手にしてい るものに満足できるだろうか?」  これはとても役に立つ。  他人と自分を比較するゲームに勝ち続けることはできない。必ずどこかに、自分よりも 早く裕福になる人がいるからだ。  このゲームを降りれば、あなたの意識は自然と内側に向かい、自分と家族を幸せにし、 満たすものに集中できるようになる。そうなれば、お金をどのように使おうとも、人生を 楽しめるようになる。 2.人はそれぞれ違う。自分らしくお金を使い、貯める  作家のクリストファー・モーリーは、「成功とはただ1つしかない。自分の人生を、自 分らしく生きることだ」と言った。  経済的な失敗の多くは、自分とは違う誰かを真似しようとすることから生じる。  だからこそ、誰にアドバイスを求めるか、誰を尊敬するか、誰と付き合うかに注意すべ きだ。自分の内側に従い、静かに物事を運べば、目標や性格が違う人たちを真似するよう なことはなくなる。  私の友人で起業家のブレントーベショアはこう言う。  「誰かが、僕にはまったく興味のないことをして大金持ちになるのを見るのは大歓迎だ」  この哲学は、お金の使い方や貯め方にも当てはまる。人は皆、それぞれ違う。人生はゼ ロサムゲームではない。自分の好きなように生き、他人が好きなように生きるのを尊重す ることが大切なのだ。 3.見栄を張るよりも、自立にお金を使う   一歩引いて静かに物事を進めていくと、良い意味で利己的になれる。つまり、他人にど う思われるかよりも、自分の人生を豊かにするためにお金を使うようになるのだ。  高級品を買って周りの人を感心させようとするよりも、朝目を覚まして、好きなことを、 好きな人と、好きなだけできる毎日を過ごせることのほうがはるかにいい。 4.短期間で手にしたお金は、脆く、失いやすい  手っ取り早く稼いだお金は派手に使いがちだ。その点、静かな複利で資産をつくる場合、 努力を長く継続しなければならない。  これは重要なポイントだ。そのお金を手にするのにどれくらい時間がかかったかは、後 の運用方法に大きな影響を与えるからだ。  私は、富を築くスピードは、その半減期と同じだという考え方が気に入っている。1年 で2倍になったお金は、1年で半分になっても不思議ではないということだ。ビジネスで も同じだ。短期間で成功した事業は、短期間で失敗しやすい。  短い期間で手に入れた脆い富には、2つのことが起こる。  1つは、簡単に手に入ったお金は、簡単に使ってしまいやすいということだ。楽に手に 入れたお金は、つまらないものに浪費しても心理的な抵抗は少ない。一方、手に入れるの に苦労をしたお金は、慎重に使うようになる。たいした時間や労力を費やさずに稼いだお 金を散財してしまうのは、一夜限りの男女の関係に似ているかもしれない。それは衝動的 で、後悔しやすい。だからこそ、代々の資産家は節税対策を求め、新興の成金はランボル ギーニを欲しがるのだ。  もう1つは、富が早く築かれたほど、それは運によってもたらされた確率が高く、だか らこそ同じように運の力によって失われてしまう可能性が高いということだ。もしあなた が思いがけない幸運によって大金を手にし、それに応じて生活レベルを上げてしまった場 合、どうなるだろう? その幸運が二度と戻ってこないと気づいたとき、強烈な痛みを感 じるはずだ。  こうした現実を受け入れると、ゆっくりと、目立たず、成果を人にひけらかさず、自分 の好きなように資産を増やしていく静かな複利の利点が明確になる。 5.豊かになる最速の方法は、ゆっくり進むことである  静かな複利を目標にすると、何が起こるのだろう? まず、他人に対して見栄を張らな ければならないというプレッシャーが減る。見栄を張るのをやめると、周りの注目を集め ようとするのではなく、良い人生を築くにはどうすればいいのかを考えるようになり、自 然と未来に意識が向くようになる。  これにより、極めて重要なファイナンシャルスキルである「忍耐力」を養えるようにな る。  皮肉なことに、ファイナンスの世界では、豊かになるための最速の方法は、ゆっくり進 むことである場合が多い。急がず、焦らず、他人のやり方を見て不安になったり、影響を 受けたりしない。何かを長期間続けられる能力こそが、ファイナンスの真の魔法になるの だ。人生の多くの場面でそうであるように、スピードは注目を集めるが、最大の力を持つ のはスローな行動なのである。  一方で、長期投資家として、うまくいかない人も少なくない。その理由の1つは、比較 にとらわれてしまうことだ。他人の運用状況やベンチマークが気になり、「過去半年の運 用成績がマイナスになってしまったら周りからどう思われるだろう?」などと心配してし まう。  投資では、長期的な成功は、対処可能なボラティリティ(価格の変動)をどれだけうま く吸収できるかにかかっている。これができなければ、短期的なボラティリティを回避す るという、はるかに難しいことをしなければならなくなる。ボラティリティに見舞われて うろたえるのではなく、ボラティリティは起こるものと想定しておくこと。それが、長期 的な投資を成功させるための鍵になる。  他人よりも自分を賢く見せようとするのではなく、物事が時間の経過とともに徐々に良 くなっていくことに、静かに、長期的に賭けるのだ。  そうすれば、急がずとも、すべてを成し遂げられるようになる。  「お金は、長距離ドライブをするときのガソリンみたいなものだ」と作家のティムーオラ イリーは一冐’つ。  「途中でガソリン切れになるのは避けたい。でも、目的はガソリンスタンド巡りをするこ とではない」  つまり、ガソリンは目的ではなく手段にすぎない。  お金も同様だ。お金を得ることがアイデンティティの一部になると、お金は手段ではな く、あなたを支配するものになってしまう。  人はそれぞれ違う。だが私にとってのアイデンティティは、父親であり、夫であり、息 子であり、友人である。それが自分にとって本当に大切なことであり、人生の基盤である。  お金を使ってこれらのアイデンティティを充実させられるのなら、それは素晴らしいこ とだ。けれども、私は決してお金をアイデンティティの一部にしたくはない。  当時、アメリカ屈指の大富豪だった(Iヴェイーフアイアストンは、1926年に刊行 された伝記の中で、裕福になる前の質素な暮らしが恋しくなることが多いと書いている。     以前は、家賃が25ドルの小さな家に住んでいた。食費は週に5ドル以下だった。と    fUjどき、人生がもっとシンプルだったあの頃に戻りたいと思うことがある。物事は単   純で、そして豊かだった。    けれども、もうそれはできない。人は、お金を持つと変わる。シンプルな生活を送   りたいと思いながら、気がつけば、豊かな暮らしが当たり前のものになり、習慣にな   っている。それが、自分の一部になっているのだ。    もう後戻りはできないI自己破産でもする以外には。  彼は質素な暮らしに戻りたかった。しかし、金持ちであることが自分の一部になってし まったため、破産する以外には後戻りはできなくなった。  なんという告白だろう。これは、お金がアイデンティティの一部になってしまったとき に何が起きるかをよく物語っている。 倹約家への警告  投資家のポールーグレアムは、「アイデンティティは小さく保つべきだ」とアドバイス している。  「自分にレッテルを貼れば貼るほど、人は愚かになっていく。人は、自分のアイデンティ ティの一部となったものについては客観的に考えにくくなるからだ。だから、自分のアイ デンティティとして取り入れるものは、できる限り少なくすべきだ」  人が「私は〜です」と口にするとき、その対象が何であれ、それを自分のアイデンティ ティとみなしている。アイデンティティはとても重要であり、人はそれを守るためにとて つもない労力を投じようとすることが多い。  ここで、よくあるファイナンスのアイデンティティを紹介しよう。これは意外な形で有 害な影響が生じることがある。  それは、「私は倹約家です」だ。  倹約家であることは、とても良いことのように思えるし、無害なように聞こえる。もち ろん、基本的にはその通りである。  しかし、ファイナンシャルプランナーの多くは、顧客に老後の生活費を使わせることが 大きな課題なのだと言う。つまり、たとえ適切かつ控えめな額であっても、いつまでもお 金を使おうとしない人が多いのだ。倹約と貯蓄がアイデンティティの一部になりすぎて、 それを変えられないのである。  私はこれを「惰性的な倹約」と呼んでいる。それまでの人生で倹約の習慣が身につきす ぎてしまったために、適切にお金を使う人生の段階に移行できない現象だ。  人がお金に本当に求めているのは、お金のことを考えずに生きていけるようになること ではないだろうか。他の大切な何かに集中できるだけの資産をつくり、あとはお金のこと ばかり考えるのをやめて生きる。  だがこの最終的な目標は、お金を貯めるという習慣がアイデンティティに深く根付いて しまうと崩れやすくなる。お金への執着から抜け出せず、人生の成功を銀行口座の残高が 増えることと考え、適切な場面ですら、うまくお金を使えなくなる。  人生の早い段階で貯蓄の習慣を築き、収入より少ない額で十分に良い生活をする術を身 につけたのなら、それは素晴らしいことだ。けれども、その習慣からいつまでも抜け出せ ず、老後もずっと貯蓄に固執しているとしたら、それは果たして成功と言えるだろうか?  お金のことを考えないようにすることが究極の目標だったのなら、ある段階で自分がそ れを達成したことを認めるべきではないだろうか。目標を達成していながらそれを認めよ うとしないのは、目標を達成できなかったのと同じくらい良くないことだ。 「良いアイデンティティ」と「悪いアイデンティティ」は表裏一体  生物学者のチャールズーダーウィンはあるとき、一部の動物には生存の妨げになる特徴 があることを発見した。たとえば、クジャクの派手な羽は捕食動物を引き寄せるし、草食 動物の巨大な角は敵に追われた際に俊敏に動くことの邪魔になる。  なぜ進化はこうした問題の解決策を見つけられなかったのか? ダーウィンは単純な結 論に至った。こうした特徴は、たとえ長期的には生存のリスクになったとしても、繁殖を 成功させるためには有利である場合があるというものだ。  自然界にはこのような例が多く見られる。人間の繁殖の成功に関連する特定の遺伝子が、 アルツ(イマー病に関連しているという研究結果もある。  つまり自然界では、たとえ将来的に何らかの害が生じるとしても、ある利益のために特 定の行動が促される場合があるのだ。  お金についても同じことが言える。  もしあなたが、倹約の方法やお金の使い方、投資戦略など、何らかの有益と思える行動 に固執していると、思いもよらぬ問題を抱えることになってしまう。  「私は倹約家だ」「私は金持ちだ」「私は貧乏だ」「私は必ずこれを買う」といったアイデ ンティティを築くと、それは必要に応じて方向転換したり、柔軟に考えを変えたり、新し いことに挑戦したりすることへの障壁になり得る。  投資の世界では、「バリュー投資家」「トレーダー」「「イテク投資家」といったレッテ ルが貼られることが多い。一見無害に思えるが、いったんこのようなレッテルを自分に貼 ってしまうと、それがアイデンティティとなり、全体像を俯瞰したり、他の機会を見つけ たり、必要に応じて考えを変えることへの妨げになりやすい。  こうしたレッテルが、カルトのようなものになることもある。たとえば、FIRE(経 済的自立、早期退職)ムーブメントは価値ある目標(経済的自立)から始まったものだが、 この目標が信奉者のアイデンティティと強く結びつきすぎてしまうと、楽しく働き続けら れていたかもしれない仕事を辞め、人間関係が希薄になり、日常に退屈さを覚えてしまう といった状況につながることがある。  このような場合、あなたは本当に自分で人生をコントロールしていると言えるだろう か?  特定のファイナンスの考えに傾倒し、それに支配されてしまってはいないだろうか?  お金をアイデンティティにする人は、お金に支配される  私は以前、億万長者の家庭で生まれ育つたという男性に会ったことがある。  40代の彼は、私たち一般人には想像もできないような環境で育った。何軒もの豪邸、プ ライベートジェット、運転手、執事−。お金で買えるものなら、何であれ欲しいときに 欲しいだけ手に入れることができたという。  会ってすぐに、私は彼がごく普通の人だと気づいて意表を突かれた。地に足が着いてい て、謙虚で、礼儀正しく、思いやりがあり、誠実で、そしてIあえてこんな言い方をす るならI話がわかる人間だった。甘やかされて育つたという言葉とは、まったく正反対 な人格だ。育った環境を考えれば、驚きしかない。  彼に率直に尋ねてみた。両親はいったいどうやってあなたを育てたのか? 極めて裕福 な環境下で、どうして子どもをこれほど普通に育てられるのか?  「そんなに複雑なことじゃないよ」と彼は言った。  「お金が、僕たち家族のアイデンティティの一部であったことは一度もないんだ」  「どういう意味?」と私は尋ねた。  「愛し合うこと、良き雇用主であること、良き市民であること。それが、僕たちがいつも 話していたことなんだ。それは、他人を判断する基準でもあった」  彼は言った。幼い頃から、自分の家族が特別に裕福で、高級品に囲まれているのを知っ ていた。しかし両親は、だからと言って、自分たちが他の大たちよりも優れているなどと は絶対にほのめかしたりはしなかった。  お金は家族が自分らしく生きるための道具ではあったが、決して、お金に支配されたり、 自分たちが何者であるかをお金によって定義されたりはしなかったのだ。  「子どもが甘やかされてわがままになるのは、親が物をたくさん買い与えるからだけじゃ ない」と彼は言った。「そうなる原因は、親が子どもに、お金をたくさん持っている人の ほうがえらい、と教えているからだ」  親がそのような考えを伝えるのは、お金を稼ぐこと、持つこと、使うことが自分のアイ デンティティの一部だからだ。  彼らが鏡を見ると、そこに見えるのはIお金、お金、お金だ。  「私は金持ちだ」  それが彼らのアイデンティティなのだ。  20世紀でも有数の、鋭敏かつ合理的な頭脳を持ったファイナンスの専門家であるチャー リー・マンガーでさえ、ファイナンスを自分のアイデンティティとすることにとらわれて しまったようだ。  伝説的な億万長者であったマンガーは2023年に亡くなる直前のインタビューで「も う少し賢く、もう少し素早く行動していれば、もっと多くの資産を築けたと思う」と語っ ている。  「本当にそう思っているのですか? あなたはこれまでの人生で、とてつもない成功を収 めてきたのに」とインタビュアーのCNBCのベッキー・クイックが驚きながら尋ねた。  「そうだな、数十億ドルではなく、数兆ドルの資産は築けていたかもしれない」  「そのことが頭から離れなかったりしますか? 常に「あのとき、ああすればよかった」 と考えている?」  「ああ、考えるよ。自分が賢くなかったり、努力が足りなかったりして、危うく逃しそう になったことを思い出すんだ」  マンガーのこの発言は、様々に解釈できる。たしかに、彼はプロの投資家だったので、 お金がアイデンティティと結びつくのは避けられないことだったのかもしれない。  しかし、同じような考え方を持つ普通の人の場合はどうだろうか。経済的に成功を収め、 引退してやりたいことが何でもできるのに、「もっとお金を稼げたはず」「もっと貯金でき たはず」「もっと投資できたはず」といったことばかりを考えているのだ。そのような人 はたくさんいる。お金が彼らのアイデンティティになっているのだ。  だからこそ、こう自問することが大切になる。  「私はお金を使っているのか? それとも、お金に使われているのか?」  お金はあなたの道具だろうか? それともあなたの主人だろうか? お金があなたに仕 えているのだろうか? それともあなたがお金に仕えているのだろうか? 「お金」と「アイデンティティ」を切り離すポイント  お金があなたのアイデンティティに悪影響を及ぼさないようにするために、次の点に留 意しよゝつ。 1.特定の信念にとらわれず、考え方、ライフスタイル、お金の使い方を柔軟に変える  何かがアイデンティティの一部となり、それに自分がコントロールされてしまっている ときに起きる兆候は、現実や状況に合わせて自分の考えを変えられないことだ。  V・1sa社の創業者ティー・ホックは、「信念は、絶対的なものになると危険になる」 という名言を残している。  宗教や政治が争いを招きやすいのは、信念がアイデンティティの一部となるからだ。  ティー・ホックの別の言葉も、この点に当てはまる。  「真実かどうかは関係なく、自分にとって都合がいいから信じる。人間はその能力に長け ている」  だからこそ、ファイナンスについて絶対的な信念を抱くことは危険になる。  私は、「精神的流動性」という概念が好きだ。これは、世の中や自分が変化したり、新 しい情報に出合ったりしたときに、それまでの信念や戦略を素早く捨てられる能力のこと だ。  だが、人が「信念」と呼ぶものの多くはその反対だ。信念は、将来考えが変わるかもし れないという事実を意図的に無視することで成り立っていることが多い。容易に信念を抱 くのは危険だ。しかし、信念の裏側にある優柔不断さが、状況をよく理解していないよう な感覚を抱かせるため、余計に人は信念を持とうとしてしまうのだろう。  だが、実際に役に立つのは、「正しいと思える考えを、柔軟に持っておく」という戦略だ。  私は、今の自分の年齢では、将来のために貯蓄をするのは大切だと強く信じている。し かし、年を取って仕事の量を減らし、貯めたお金を楽しみながら使いたいと思うようにな ったら、この戦略は手放しても構わないと思っている。今のお金の使い方や、自分が属し ていると思っている社会経済的階級についても同じだ。  目指すべきは、自分が望むような人生を生きることであり、それを実現するための道具 としてお金を使うことだ。  そのためには、お金に関する信念をアイデンティティと結びつかないようにすることが 大切だ。経済的に自立し、幸せに生きるのに十分なお金を持っているのに、さらに果てし なくお金を欲しがるのは、手段が目的化してしまっていることになる。  お金は、自分らしく生きるための道具であるべきだ。それ自体を目的にすべきではない。 2.自分の頭で考えて、お金を使う  誰かがあなたからある情報を聞いたとして、そこからあなたが他に何を考えているかが 読み取れないIそれこそが、本当の意味で、自分の頭で考えている証拠だ。  たとえば、あなたが支持している政党を私に告げたとする。私がその情報だけで、移民 や中絶、税金、銃に関するあなたの意見を正確に推測できるとしたら、あなたは本当に自 立した思考をしていると言えるのだろうか? それとも、単に同じ政党を支持する人たち と意見を合わせているだけなのだろうか?  お金についても同じだ。もし私があなたの年収に基づいて、車や家、衣類、旅行に、あ なたがどれくらいのお金を使っているか正確に推測できるとしたら、あなたはお金を、自 分のための道具として使っていると言えるだろうか? それとも、世の中が決めた「これ くらいの年収の人は、こういうものにお金を使うべき」というルールに従っているだけだ ろうか?  私が知っているお金の使い方が上手な人たちは、誰にも似ていないお金の使い方をして いる。あることにはたくさんお金を使い、別のことにはほとんどお金を使わない。あるこ とには価値を置いているが、別のことにはまったく関心がない。  彼らは自立した思考をしている。お金を自分のために使っていて、お金に使われていな いのだ。  詩人のラドヤードーキップリングは言った。  「大衆と話をしても美徳を失わず、王様と一緒に歩いても庶民の感覚を忘れないのなら、 あなたは偉大さへの道を歩んでいる」  DNAの二重らせん構造を発見した生物学者のフランシスークリックは、「ノーベル賞 を受賞するような大発見に成功した秘訣は何か」と尋ねられ、こう答えた。  「とても簡単さ。私の秘訣は、何を無視すべきかを知っていることだ」  優れた頭脳の持ち主は、このような物の考え方をしていることが多い。理論物理学者の アルバートーアインシュタインも、自らの最大の科学的才能は、「何千もの論文や実験結 果を精査し、一握りの重要なものを見つけ出し、それ以外はすべて無視する能力である」 と述べている。  うまくいく方法を見つけて、それを実行するだけ。残りは無視する。  ごく単純なことのように聞こえるかもしれない。  しかし、この戦略には実に多くの知恵が詰まっている。そして、「お金を使う価値がある」 と思えるものを見つけるための最適な方法にもなる。  このことを理解してもらうために、まずは本の読み方についての私の考えをお話ししよ 新しいことに次々に挑戦する(素早くやめる勇気を持ちながら)  新しい本を探すときの私の戦略は、「できるだけ幅広いものに手を出すが、面白くない と思ったらすぐに途中でやめる」だ。大量の本を読み始めるが、最後まで読み切るのはほ んのわずかしかない。  読み始めた本をすべて最後まで読もうとすると、読書は面倒なものになってしまう。  ほとんどの本は導入部に言いたいことが要約されているし、自分にぴったりと合う本は めったにない。だから、面白くないと思っているにもかかわらず、読み始めた本を必ず最 後まで読もうとするのは、苦行になりかねない。退屈で、充実感も味わえず、何より時間 の無駄だ。  また、本は最後まで読むべきもの、という考えに縛られていると、次の本を手に取る意 欲が薄れてしまう。「アメリカ人の半数は読書の習慣がない」という世論調査の結果があ るが、その大きな理由はこれだと私は考えている。  もちろん、それはとても残念なことだ。私の知っている賢い大たちは皆、貪欲な読書家 だ。そして彼ら自身も、みんな口を揃えて、「私の知っている賢い大は皆、貪欲な読書家だ」 と言う。例外はほとんどない。  一方で、「良書を読まない大は、本を読めない大と何も変わらない」と作家のマークー トウェインは言った。現在、市販されている英語で書かれた書籍は400万冊以上ある。 自分が確実に楽しめると確信している本、つまり同じ著者、同じジャンル、同じテーマの 本だけを選んでいたら、人生を変え得る価値ある数々の本を、食わず嫌いのために見逃す ことになるだろう。  この2つの事実―すなわち、ほとんどの本は最後まで読む必要はないこと、そして一 部の本には人生を変える可能性があることIについて考えれば、読書を最大限に活用す るには、大量の本に触手を伸ばし、合わないと思ったらすぐにやめることが必要であると わかるのではないだろうか。  少しでも面白そうな本があれば、とりあえず読み始めてみよう。どんな本でも構わない。 ほんの少しでも興味をそそられたら、それで十分だ。フィクション、ノンフィクション、 ロマンス、軍事史など、ジャンルを問わず試してみよう。できる限り幅広い本を手に取り、 できる限り多くの新しいアイデアを探求しよう。  同時に、いったん読み始めた本は、厳しくふるいにかけることが必要だ。その本が自分 に合わないと判断したら、すぐに別の本に移る。  この判断は、容赦なく、情け無用で行うべきだ。デートと同じで、10分ほど試してみて、 脈がないと思ったら、(ツピーエンドになる可能性は低い。本を最後まで読み終えられな くても、たとえ最初の数ページで読むのをやめたとしても、恥ずかしさや罪悪感を抱く必 要はない。世の中には良い本が星の数ほどある。新しい本を探そう。  私はこの戦略を採用し始めてから、自分には楽しめないだろうと思っていた本の中に、 素晴らしい名著がたくさんあることを知った。フィクションは好きではなかったが、とり あえず10冊小説に挑戦してみたところ、お気に入りを見つけられた。  歴史書も同様だ。それまではこのジャンルの本に対して高校の退屈な授業の延長のよう な印象を持っていたが、挑戦してみると、夢中になれるテーマをいくつも見つけられた。 他にも、レビューでは低評価だが自分では気に入った本もあれば、高評価でも1ページも 読み進められなかった本もあった。  こうした経験を通して、私は学んだ。自分が何を気に入るかは、試してみなければわか らない。だから、できるだけ多くのものに手を出してみるべきだ。ただし、新しいことに 次々と挑戦するためには、自分に合わないものはすぐに手放さなければならない。  これは、お金の使い方についても当てはまる。 様々なお金の使い方を試し、取捨選択する  ある人にとっては正しいが、別の人にとっては非常識なお金の使い方というものはたく さんある。  海外旅行を生き甲斐にしている人もいれば、どんな理由であれ自宅以外の場所に寝泊ま りするのは耐えられないという人もいる。  流行りのレストランで食事をするのが大好きだという人もいれば、そういうものには興 味がなく、安いピザで十分という人もいる。ファーストクラスの航空券にお金を使うのは 詐欺に遭うみたいなものだと考える人もいれば、4列目より後ろの席に座る勇気のないと いう人もいる。私には、スニーカーを500足以上も所有し、それを喜びにしている友人 がいるが、どうしてもその価値を理解できない。  私は、「好きなものには惜しみなく金を使うべきだ。ただし、不要なものは容赦なく切 り捨てよう」という作家のラミットーセティのアドバイスがとても気に入っている。ラミ ットの場合、服は大好きだが、車には興味がない。だから彼は、金持ちが着るような服を 着て、お金に困っている人が乗るような車に乗っている。  このラミットの好みに同意できないなら、あなたは重要な点に気づいたことになる。  それは、物事の好き嫌いは人それぞれ違うということだ。  誰もが自分なりの特別な「何か」を持っている。その「何か」を見つけるには、大きな 喜びをもたらすものを見つけるまで、様々なものを試し、自分に合わないものを捨てる作 業を続けることだ。  お金の使い方でも同じだ。様々なことを試し、合わないものはすぐにやめればいい。  私は、次のことを強くお勧めする。それは、予算の許す範囲でできる限り多くの種類の お金の使い方を試し、自分に合わないと思ったものは素早く、躊躇なくやめることだ。  食事、旅行、服、スポーツイベント、体験など、何でもいいので、新しいことにお金を 使ってみよう。ただし、もしそれによって喜びを感じられないのなら、すぐにやめること。 面白くないと思った本を、途中で読むのをやめるのと同じだ。  これを十分に繰り返していくと、消去法で、自分がお金を使うにふさわしい何かが見つ かる。  それらには、以前にはお金を使う対象だとは思っていなかったようなことも含まれるは ずだ。また、喜びを感じられないものにお金を使うのをやめることで、幸せな気分になれ るものに費やせる十分なお金も残るだろう。  こうして様々なものにお金を使ってみることで、自分に合ったお金の使い方のシステム を築きやすくなる。  何かを試すときに使う金額は、必ずしも大きくなくてもいい。たとえば、新しい食べ物 に10ドル、特別な楽しみのために50ドル、いつもよりちょっと値段の高い靴を買うなどだ。  アルバートーアインシュタインやフランシスークリックは、生まれながらにして自分の 専門分野の細部を熟知していたわけではない。そんな人は誰もいない。彼らは大量の論文 を精査し、重要ではないと思うものにはすぐに見切りをつけた。  これはお金を使ううえでも役に立つ戦略だ。どんなものにお金を使えば幸せになれるか は人それぞれだ。無数の物事を試し、自分に合わないものはバッサリと切り捨てていくこ とで、やがて自分に合ったものが見つかるのだ。  できる限り幅広いものを試し、できる限り厳しくそれらを絞り込むことだ。 自分にとって幸せな「お金の使い道」の見つけ方  ここで、自分にとっての特別な「何か」を見つける際に理解しておくべき、重要なポイ ントをいくつか紹介しよう。 1.視野を広げれば、「何か」は必ず見つかる  もし、自分にとって特別な「何か」が見つからないなら、あなたはお金の罠にかかり、 お金に支配されている可能性が高い。お金を貯めることばかり考え、お金を使うことで得 られる潜在的な価値の大きさに気づいていないのだ。だから、お金を人生に喜びをもたら す道具とみなせなくなっている。  「どんな食べ物も好きではない。食事に心から満足したことは一度もない」と言う人に出 会ったら、あなたはその人は美味しい食べ物を知らないだけだと思うだろう。  お金も同様だ。映画『了不1・ゲーム』には、つお金で幸せは買えない”と言う人は、 お金を持っていない」というセリフがある。私はこう言い換えたい。つお金で幸せは買え ない”と言う人は、まだ自分の幸せを見つけていない」。もっと視野を広くして、自分に 合うものを探してみるべきだ。  それは、物質的なものである必要はない。お金を誰かに寄付したり、自立の手段として 使ったりすること(すなわち、貯蓄すること)も、あなたにとって特別なお金の使い方に なるかもしれない。十分に努力さえすれば、誰でもそれを見つけられるはずだ。 2。高価な物を買えば幸せになれるわけではない  一般的に、高価な品を買うほど、大きな喜びが得られると考えられている。たしかに、 その通りになるケースもあるだろう。だが、そうならない場合も多い。  価格を満足感の尺度にしてしまうと、「ブランド品にプレミアム価格がつけられる理由は、 品質よりも一貫性を示すことにある」という、ビジネス史が示す重要な教訓を見落として しまうかもしれない。  1850年以前のアメリカ人の暮らしの大きな特徴は、ほとんどの大が生まれ故郷から 数十キロ以上離れることなく生涯を終えていたことだ。生活は地元中心だった。地元で採 れた食べ物を食べ、地元で伐採した木材で家を建て、服は地元の裁縫師が縫っていた。誰 もが、自分の着ている服をつくった人のことを知っていた。それが自分自身であることも 珍しくなかった。  こうした状況は、産業革命と南北戦争によって大きく変わった。突如として大勢の人々 や兵士が移動するようになり、鉄道によってそれ以前には考えられないほど遠くへ、速く、 物資が輸送されるようになった。  経済学者のロバート・J・ゴードンは著書『American GrowthJ〔邦題「アメリカ経済 成長の終焉」日経BP〕の中でこう記している。  「アメリカが着実に都市化し、実質所得が上昇するにつれて、食料や衣料が家庭でつくら れる割合は激減した。(中略)アメリカ人男性の多くは、南北戦争中に北軍兵士として初 めて缶詰食品を体験した」  缶詰食品の流通は、人類史上最大の革新のひとつだった。しかし、それは問題も引き起 こした。消費者は初めて、食料の生産者とのつながりを失ってしまったのだ。  それまでは、食べ物の質が良くなければ、それをつくった自分の責任だと納得するか、 あるいは地元の商店に直接文句を言えた。しかし、缶詰は数十社もの製造元から供給され ていた。消費者には、それがどの製造元によってつくられたものなのかがわからなかった。 説明責任がないため、質はお粗末なものだった。1869年の(Iパーズーウィークリー 誌にはこう記されている。  「都市の住民は、常に質の悪い缶詰の肉を買う危険にさらされている。業者は悪徳で、一 般人は良い品を見抜くための知識がない」  消費者は、誰を信頼すればいいのかがわからなかったのだ。  この問題を解決したのが、ウィリアムーアンダーウッド社だった。アンダーウッド社は、 数十社ある缶詰肉サプライヤーのうちの1社だった。缶詰肉の質が一定でないという評判 があることを知った同社は、消費者にとってわかりやすい赤い悪魔のロゴを考案し、「悪 魔の烙印を押されているが、神に相応しい美味しさ」というキャッチフレーズを添えた。  このロゴは、従来の対面での商取引にあった信頼性を再現するものだった。国のどの地 域にいても、悪魔のロゴを見た消費者は、特定の企業が品質基準に基づいて製造した製品 を手に入れられる。だから、アンダーウッド社の缶詰肉に喜んで高いお金を払った。そう すれば、得体のしれない缶詰を買わなくて済むからだ。  1867年、アンダーウッド社はこのロゴをワシントンD.C.に持ち込み、合衆国連邦 初となる商標を申請した。これは多くの点で、アメリカ初のブランドと呼べるものだった。  私がここで伝えたいのは、ブランドとは一貫性を示すためのものだということだ。  マクドナルドは最高級の(ンバーガーをつくっているわけではない。だが消費者は、デ トロイトのマクドナルドの(ンバーガーが、デンマークのマクドナルドの(ンバーガーと 同じ味であることを知っている。  ブランドの価値はそこにある。そして多くの場合、だからこそブランドにはプレミアム 価格がついているのだ。  逆に言えば、現代経済において、プレミアム価格は製品の品質とは切り離して考えるぺ き場合もあるということだ。ブランド品を買う消費者は、必ずしもその品質に対してでは なく、一貫性にお金を払っているのだ。  価格が高いからといって必ずしも質が良いわけではないことを理解すれば、様々なお金 の使い方を試す必要性がさらに高まるはずだ。私は、有名な五つ星レストランで食べたも のよりも、地元の名もない小さな店で食べた7ドルのブリトーのほうが美味しいと感じた ことがある。100ドル以上するTシャツよりも、杤一ドルのTシャツのほうが質が良いと 感じたこともある。  ブランドの魅力を取り払い、自分が最も幸せになれるものに集中してみよう。様々なも のを試してみれば、新たな発見をするチャンスが広がるはずだ。 3.大切なのは「何を買うか」より「何を買わないか」  自分に合わないものをすぐに切り捨てるスキルを養わない限り、様々な新しいことに挑 戦してもうまくいかない。最初のページを読んだだけで眠くなってしまうような退屈な本 を、最後まで読み切るのが無駄なのと同じことだ。  現代の消費行動において危険なことの1つは、広告で宣伝されているもの、人気がある もの、高価なものを買えば気に入るはずだという思い込みだ。たしかに、実際に気に入る こともあるだろう。だがもしかしたら、それは広告効果に騙されているのかもしれない。  自分に合わない支出をすぐにやめることは、お金に関するスキルの中でも特に見落とさ れがちだ。このスキルを身につけるには、「周りの人たちが楽しんでいても、それが自分 にとって良いものだとは隕らない」と考え、そのことを恥ずかしく思わない、強い自立心 が求められる。  広告に影響を受けやすい人ほど、自らの人生に満足していないのではないだろうか。自 分がどんなものを好きなのかを自分自身で見つけられていないからこそ、誰かにそれを教 えてもらいたいと望んでいるのだ。  その解決策は、何を買うべきかを考えることよりも、自分に合わないものを拒むことだ。 これは、マーケティングに騙されるのとは正反対のことである。  自然界では、機能していないものが淘汰され、機能するものが選択される「進化」とい う強力な力が作用している。これは、お金の使い方にも当てはまる。幅広い物事を試すた めには、同時に厳しい取捨選択作業を行わなければならない。  作家のナシームータレブは、こう述べている。  「嫌なことをしてお金を得るより、お金のために嫌なことはしないときっぱりと断ったと きのほうが良い気分になれると理解したとき、あなたは真に豊かになれる」  同じく、価値を感じられないものにお金を使うことよりも、そうしたものにお金を使わ なかったときのほうが良い気分になれると理解できたとき、あなたは賢くお金を使えるよ うになる。  「あれやこれやにお金を使ってみた。だけど自分には合わなかった」と言える経験が増え るほど、あなたは自分が正しい道を歩んでいると確信できるのだ。 4.新しいことへの挑戦は、それ自体が大きな価値となる  人は、年齢を重ねるにつれて時間の流れを早く感じる。9歳の頃は、夏休みが永遠に続 くように感じた。だが、60代の10年間はあっという間に過ぎてしまう。  なぜこのようなことが起こるのかを説明する1つの理論は、時間の認識は、ある期間に 形成された、新しく、意外性のある記憶の数に影響されるというものだ。  たとえば、同じ道を20年間通勤し続けるという単調な生活は、変化に乏しいため時間の 経過が速く感じられる。一方、子どもの日常には、初めてのサマーキャンプを体験したり、 初めて宇宙の広大さを学んだりと、生涯記憶に残るような新鮮な驚きに溢れている。  単調さは時間を加速させ、変化は時間を遅らせる。お金を使うのも同じだ。今まで試し たことのない新しい体験や製品にお金を使うことは、それ以外では得られないような興奮 をもたらす。  たとえその買い物が自分に合わなかったとしても、新しいものを試すことで得られる記 憶や知識は、何年も同じ経験をひたすら繰り返す単調さよりも、はるかに刺激的なものに なる。  多様性は、人生の予想できない変化からもあなたを守ってくれる。知恵に満ちた名言の 数々で知られる司祭のアントニー・デーメロはこう語っている。  「千の花の香りを楽しむことを学べば、1つの花にしがみついたり、それが手に入らなく て苦しんだりすることはなくなる」   お金では買えないもの  ある司祭から、忘れられない話を聞いたことがある。  この司祭は数十年間、病院で死にゆく患者に対して最後の儀式を執り行 ってきた。そのため、人々が愛する人に別れを告げる様子を間近で見続け てきた。  親の最期の時が近づくと、子どもたちは絶望感を抱えて司祭のもとを訪 れる。自分の人生において計り知れないほど大きな存在だった親に、どう 別れを告げればいいのか? この想いを。親にどう伝えればいいのだろ  司祭は子どもたちに、一人ずつ部屋に入り、天国に旅立とうとしている 親に、一番感謝していることを1つだけ伝えるようにと助言するのだとい  「問題を多く抱えていた家庭、ぎくしゃくした親子関係にあった家庭では、 子どもは自分にお金をかけてくれたことに対して親に感謝することが多い。 大学に行かせてくれてありがとう。家族を養ってくれてありがとう。車を 買ってくれてありがとう、などだ」  続けて彼は言った。  「一方、しっかりとした親子関係を築いていた家族の場合、子どもたちは いつも同じことを言う。  それは、私を信じてくれてありがとう、だ」    子どもが本当に望むもの  こんな話を聞いたことがある。  ある父親が、毎週息子とゲームをした。息子に10セント硬貨と5セント 硬貨を渡し、どちらかを選ばせるのだ。  息子は毎回5セント硬貨を選んだ。  彼の弟は、10セント硬貨のほうが価値があるのに、と不思議がった。  すると彼はこう答えた。  「でも、10セント硬貨を選んだら、父さんはこのゲームをやめてしまうか もしれないだろう?」  子どもや友人、隣人、パートナーなどのために使えるお金を持っている 幸運な人は、覚えておいてほしいIあなたを愛している人たちは、あな          たのお金よりもむしろ、ぢなたの愛や気持ちを欲しがっているのだという          こ‘とを‘。     ご  レ、             上    。・  ▽’・         〈{次章では、お金亠子ど。もについて掘う下げていこう。   十  <           & 一                            I                          。一                 ゛”       ・ ”        一I  I     ’一         ”I                   I       ’I                  ’                           い”’f                      S       一                                                        一                                                            冫                                            ・           −                            一                                                                    一            ―  当時、世界一の大富豪だった実業家のジョン・D・ロックフェラーが、あるとき、ニュ ーヨーク市のウォルドルフーアストリアーホテルを訪れた。自宅を改装中だったので、仮 住まいが必要だったのだ。  彼はホテルの係員に、空いている中で一番安い部屋を用意するよう求めた。係員は「口 ックフェラー様、もっと良い部屋をご用意できます。息子さんが当ホテルに宿泊されると きは、いつもプレジデンシャルースイートをご利用になります」と言った。  ロックフェラーはこう答えた。  「私は息子とは違う。私には、息子と違って金持ちの父親はいないんだ」  お金と子どもの管理は本当に難しいものだ。これは、ロックフェラーのような超富裕層 に限った話ではない。18歳から34歳までの子を持つアメリカ人の親の約6割近くが、過去 1年間に子どもを経済的に支援している。中流階級の家庭は、毎週のお小遣いや、子ど もの大学進学時にどれだけ経済的支援をするか、遺産相続など、様々な問題に頭を悩ませ ている。  だがお金についての他の多くの問題と同様、これは表計算シート上で解決できるような、 数字の問題だけではない。そこには人間心理や感情が複雑に絡み合っている。お金と子ど もの問題は、実はあらゆる経済的な問題の中でも、最も感情に関わるものかもしれない。 私は、子どもとお金の問題について、まったく感情的にならない親に会ったことがない。 子どもに与えすぎると、向上心や野心を奪う  子どもとお金に関する問題の中でもとりわけ難しいのが、親として子どもを甘やかさず、 かつどうやって子どもを経済的に支援するかというバランスだ。  投資家のチャーリー・マンガーは、ある裕福な友人から、莫大な財産を残すと子どもた ちの意欲や向上心が損なわれるのではないかと尋ねられたことがある。  「もちろんそうなるだろう」とマンガーは言った。「だが、それでもそうしなければなら ない」  「なぜ?」友人は尋ねた。  「お金を渡さなければ、嫌われるからだ」  概してマンガーの言う通りだ。富裕層は子どもへの遺産相続について考えるときに、次 の2つの選択肢のうちどちらかを選ばなければならなくなる。  遺産を相続させて子どもたちの自立心を台無しにするか、遺産を与えないことで家族内 に軋轢を生じさせるかだ。  投資家のウォーレンーバフェットは、富裕層は「福祉社会は危険だ」とよく口にすると 言っていた。フードスタンプや失業手当に頼る、社会に甘える世代を生み出してしまうと いうのだ。  同時にバフェットは、こう指摘している。  「だがそんなことを言う富裕層たちも、子どもたちにフードスタンプ以上のもの、つまり  一生食べていけるだけの財産を遺している。富裕層の子どもたちには、福祉担当者の代わ りに、信託基金担当者がいる。フードスタンプをもらう代わりに、保有する株式や債券か ら配当金を受け取っている」  もちろん例外もある。  しかし、そのような例外、つまり裕福な子どもが遺産を相続しても向上心や野心を持ち 続けるのは、その子どもが特別な特性を持っていたからであり、必ずしも親が賢明な決断 をしたからではない。  もし18歳のビルーゲイツが親から10億ドルの遺産を相続していたとしても、彼の野心は 揺るがなかっただろう。スティーブージョブズやイーロンーマスクも同様だ。マークーザ ッカーバーグは22歳のときにフェイスブックに10億ドルの買収話を持ちかけられたが、即 座に断っている。検討すらしなかった。  とはいえ、こうした人は稀だ。たいていの人は、不安に突き動かされなければ、必死に 働こうとはしない。 子どもへの厳しい教えは響く? ↓むしろ恨まれる  私の友人である投資家のクリスーデイビスは裕福な家庭で育った。彼の祖父は元手の5 万ドルを10億ドル近くに増やしたことで知られる伝説の投資家、シェルビー・デイビスだ。 グリスは幼い頃、家族から、「自力で成功するチャンスを奪うことになるから、遺産は一 切相続させるつもりはない」と言われていた。  グリスは今、冗談を言う。  「少しくらい自力で成功するチャンスを奪われてもいいから、遺産を相続させて欲しかっ たね」  グリスにとって、こうした状況で投資家として自力で成功をつかみ取るのは、簡単なこ とではなかった。  難しいのは、親が豊かなライフスタイルを送りながら、子どもたちにはそれとは違う、 もっと質素なライフスタイルを送るよう求めるのは危険だということだ。  親としては、子どもに質素な生活を送ってほしい、それを通して徳や勤勉さ、敬意を学 んで欲しいという思いがあるのかもしれない。だがその意図に反して、子どもはこうした 親の方針に対して、まったく別のもの、すなわち恨みを抱いてしまうかもしれない。  極端な例を挙げよう。親が飛行機でファーストクラスの座席に乗り、子どもにはエコノ ミークラスの座席に座らせて、「私と同じくらい努力すれば、いつかはファーストクラス に座れるようになるよ」というメッセージを伝えようとしたとする。だが子どもはそれを、 「私のほうがお前よりも人間として価値がある。お前が辛い思いをするのを見るのが楽し い」というメッセージとして受け取ってしまうかもしれない。  世界一の大富豪と呼ばれた実業家のコーネリアスーヴァンダービルトは、あるとき息子 のビリーに禁煙を命じた。「わかりました」とビリーは言い、手にしていた葉巻を海に投 げ捨てた。するとコーネリアスはポケットに手を伸ばして葉巻を取り出すと、それに火を つけて一服し、ビリーの顔に煙を吹きかけたという。  思わず笑ってしまうようなエピソードだが、親が自分で実践していないのに、子どもに 勤勉さや倹約を教え込もうとすると、これと同じように威圧的に言い聞かせる場面が生ま れるものだ。  私の親友からこんな話も聞いた。子どもの頃に家族でスキー旅行に行ったとき、祖父は こう言ったという。  「リフト券を買ってほしいなら、まずは一度自分で山に登ってこい」  孫たちがその経験から学んだ教訓は、勤勉さや美徳ではなく、「おじいちゃんは最低」 ということだけだった。  子どもに人生の厳しさを教えようとする場合、度を超すと、甘やかしすぎるのと同じく らい有害になり得る。  どの家庭にもそれぞれのやり方がある。だが私の経験上、親と子どもが同居している限 り、物質的に同レベルの生活を送ることになる。だからこそ親は、ライフスタイルを慎重 に選ぶ必要がある。  「私が豊かな生活をしているのは、それだけの努力をしてきたからだ。君はまだ私のよう に稼いでいない」というメッセージよりも、「一緒に協力して何かをすることで勤勉さの 価値を学ぼう」と伝えるほうが、はるかに効果的だ。  模範を示して導くべきであり、恥をかかせて教えるべきではない。 親のライフスタイルは、子の失望の種にも幸福の土台にもなる  親子のライフスタイルについて、もう1つ注意点がある。  親が選ぶライフスタイルは、子どもが「どんな生活が普通か」という感覚を幼いうちに 形づくってしまうということだ。  あなたにある程度の可処分所得があり、子どもが小さいうちに高級車を買ったとする。 その後、子どもが将来幼稚園の先生になり、大衆車しか買えなかったら、子どもは恥ずか しいと思うだろうか? 親に比べて人生に成功していないと思うだろうか? 自分が生ま れ育ったようなライフスタイルと比べてプレッシャーを感じ、好きではないが高収入の仕 事を選ぽうとするのだろうか? 今日、子どもたちに豊かな生活をさせてあげたいという 親の願いは、結果的に、彼らの将来の失望の種になるのだろうか?  親の暮らしぶりとの比較−つまり、親が築き上げた人生と同等以上の生活ができてい るかどうかという感覚は、多くの人にとって幸福感の重要な要素になる。作家のジェニフ アー・ブレヘニー・ウォレスはこう書いている。  「親子の絆は、子どもの心の健康にとって極めて重要である。子どもが親の高い期待に応 えられないとき、その絆は危険にさらされる」  これは、あなた自身が答えを見つけ出す問題だ。私はそれを評価する立場にない。  それでも、これから伝える点を考慮しながら、慎重にライフスタイルを選択することを お勧めしたい。 私が子どもに宛てた一通の手紙  私は、子どもたちが成長し、安定し、自立したら、子どもとお金に関する方針もそれに 応じて変えるつもりだ。  子どもたちが大きくなったら、自分の資産を彼らの最後の手段であるセーフティネット にしたい。決してこの資産を、子どもたちを甘やかすための道具にはしたくない。  人生を成功させるための鍵は、取り返しのつかないほどの大失敗を避けながら、小さな 失敗を通じて様々な学びをしていくことにある。  私は、子どもたちの人生が破綻するのは防ぎたい。しかし、彼らに私の資産をあてにし てほしくはない。もしそうなったら、子どもたちから努力することへの意欲や、挫折を乗 り越えることから学ぶ機会が奪われてしまうだろう。  私は、子どもたちに宛てた手紙にこう書いた。   厳しい言い方に聞こえるかもしれないが。君たちには人生のある段階で貧しさ  を経験してほしいと思っている。もちろん、過度な苦労をしたり、不幸になった  りしてほしいという意味ではない。限られたわずかなお金で生活するという体験  を実際にしてみなければ、お金の本当の価値がわからないからだ。   ママとパパは。君たちを全力でサポートするし、君たちが様々な経験をするた  めのチャンスの扉を開いてあげたい。でも、君たちを甘やかすつもりはない。   意地悪をLたいわけじゃない。   人は、欲しいものをすべては手に入れられないI。その現実を知ることで、  生きていくために本当に必要なものと、そうではないものを見分けられるように  なる。そうすれば、予算の立て方や貯蓄、持っているもののありがたみを知るこ  とができる。こうした無理なく倹約できる力は、人生の浮き沈みを乗り越えるの  に役立つだろう。 作家のロブーヘンダーソンも、この点に関して次のような印象的な言葉を残している。「親 として目指すべき崇高な目標は、成功する子どもを育てることではなく、自信のある子ど もを育てることだI成功は、あくまでもその副産物であるべきだ」  彼はこう書いている。    私は、社会的地位の上昇を社会全体の優先事項にすべきではないと考えるようにな   った。むしろそれは、家族や安定性、子どもたちの心の安心といった、はるかに重要   なものの副産物であるべきだ。  私は子どもたちに、真の成功とは、一番大切な人から愛されることだと教えている。そ の愛は紛れもなく、お金をどれだけ使つたか、どれだけ資産を持っているかではなく、相 手にどう接するかから生まれる。  私が子どもたちに与えられるお金に関する最も重要なアドバイスは、お金だけでは、人 生で一番大切なものは得られないということだ。どれだけお金があっても、人格や誠実さ、 他者への真の共感の欠如を補うことはできない。  そう考えると、私が子どもたちに教えたいことは明らかだ。自信を持って働く人、信頼 できる友人、良き市民になるために必要な心構えや心理、態度だ。それらは結果的に、子 どもたちが経済的に豊かになることにも役立つだろう。  お金と子どもに関して、私が他に重要だと思っていることを紹介しよう。 1.ウォーレンーパフェツトは、こう言っている。   「がっかりさせたくないと思える人が身近にいることは大切だ」  その最たる例は、子どもを持つことかもしれない。  親は「自分のお金が子どもにどのような影響を与えるのか」についてよく考える。だが 逆に、子どもが親のお金の使い方にどんな影響を与えているかも同じくらい大切だ。  フアイナンシャルアドバイザーのカールーリチャーズは、優れたファイナンシャルアド バイザーについてこう述べている。  「良いアドバイザーは、〃顧客”と”愚かな行動”のあいだに距離をつくる」  つまり大切なのは、顧客が最悪の衝動に負けてしまわないようにすることだ。  がっかりさせたくない子どもがいることは、まさに同じ役割を強力に果たすものになる。 2.子どもは、あなたのお金の使い方を見ている  子どもはどんなときも、親をよく見ているものだ。親がそれに気づいているかどうかは 関係ない。親が物質主義的で、欲しいものは何でも買うような生活をしていたら、子ども もそうなるだろう。  では一方、親が勤勉で良い価値観を持っているなら、子どもはどうなるだろうか?  子どもの政治的信条は親から受け継がれるケースが多いことを示す研究結果がある。ピ ュー研究所の調査によれば、共和党支持者の親を持つ10代の子どもの約8割は、自身も共 和党支持者を自認している・民主党支持者の場合、この割合は約9割になる『  これらの数字で注目すべき点は、親が子どもに、ある政党の長所をかしこまって説明し たりはしていないことだ。その政党の良い点、悪い点などを親が子どもに詳しく説明する ケースはめったにない。  それでも、子どもは親の言動を細かく観察している。親の普段の何気ない言葉や、ニュ ースを見ているときの険しい表情、選挙結果や近所の人の政治的意見にどう反応するかな どをよく見ている。こうした細かな無数の手がかり(親が意図的に示したわけではない) を積み重ねることで、子どもは自らの政治的信念を築いていくのである。  お金に関する考え方もこれに似ている。子どもたちを食卓に座らせて、あなたの経済観 念を細かく説明する必要はない。子どもたちは、すでにそれを知っているからだ。  彼らは幼い頃から、あなたの「そんな余裕はない」とか「これを買ってよかった」とい った言葉を頭の中に記憶してきた。  子どもたちは、あなたが何を大切にしているかを見ている。あなたがどんな無駄遣いを しているかも知っている。あなたが帰宅して配偶者に嬉しそうに昇給したことを報告して いるときの表情や、解雇されたときの怯えた表情を心に刻んでいる。あなたが隣人の新車 を羨ましがっていたことも知っている。あなたと配偶者がお金の使い方について口論して いるのも聞いている。あなたの欲張りな側面にも、倹約家としての側面にも気づいている。  子どもたちは親の言動をこんなふうによく観察していて、大人になる頃には、それが彼 らのお金に対する考え方に大きな影響を与えることになるのだ。 3.最高のお金の使い方を、身をもって子に示す  子どもたちから常に見られていることに気づくと、あらゆる瞬間が親としての見本を示 す機会であることがわかる。  私は子どもたちに、お金は良い人生を送るための道具であることを示したい。お金に関 する極端な不安や貪欲さを見せることで、子どもたちに重荷を背負わせたり、悪しき考え を植えつけたりしたくはない。  家族や健康、友人など、人生で本当に価値あるものを大切にしていれば、見知らぬ他人 に見栄を張るためにお金を使おうとは思わなくなることを、身をもって示したいのだ。  どれだけお金を持っていても、どんなに物質的に豊かなものを所有していても、人間性 に問題があり、共感力に欠け、自分より恵まれていない人に対して優越感を抱いているな ら、人から好かれることはないと示したい。  お金の最高の使い方は、自分の時間を思い通りに過ごし、自由と独立を手に入れ、自分 の選んだ人生を生きるために使うことだということを、私白身の生き方を通して子どもた ちに示したいのだ。 4。お金よりも大切なものを残す  ポリオワクチンの発明者であるジョナスーソークは、人生の主な目的は何かと尋ねられ、 「それは、良い先祖になることだ」と答えた。  これはどんな親にとっても、素晴らしい目標になるのではないだろうか。子どもや孫、 さらにはその先の世代に、世界の仕組みを理解する知識や、大切なものを見極めるための 知恵、自分で重要な決断をするための自立心、リスクを取る勇気、物事を長期的に考える ための慎重さ、そして彼ら自身が良い先祖になるための価値観を残すのだ。  良い先祖になることに、お金はどれくらい関係しているのだろう?  子どもたちに良いものを買ってあげることは? 財産を残すことは?  答えはIほとんど関係ない、である。  親はつい、「お金をかければ、子どもは良い人生を送れるはずだ」と考えてしまう。し かしそれは、心に残る人生の教訓を教えたり、精神的に支えたり、愛情を示したりするこ とを後回しにするための言い訳になりかねない。  子どもたちはあなたのお金を欲しがるかもしれない。しかし、最終的に彼らの心に残る のは、お金では買えない深い価値なのである。  妻と私は、普段は感情に流されずにお金に関する決定をしている。それを誇りにも思っ ている。しかし10年前、初めて持ち家を探したときは違った。  インターネットで良さそうな物件を見つけ、内見をすることにした。出発前、私たちは 軽率な行動は取らないと心に誓った。これは、ただの情報収集だ、と。  車を家の前に停めると、妻は思わず息を呑み、「最高!」と叫んだ。私も同じ気持ちだ った。私たちには生まれてまもない第一子の息子がいた。庭には、子ども用の木のブラン コがあった。完璧だ。  それで決まりだった。強い感情が湧き上がってきて、私たちはそれに抗えなかった。  理想的な世界では、家を買うかどうかの決断は、表計算シート上での冷静な分析に基づ いて行えるはずだ。けれども現実の世界では、そうはいかない。その決断は、家具をどこ に置こうかと想像し、子どもと一緒に過ごすクリスマスの朝を頭に思い浮かべ、友人たち を招いてバーベキューをする夢を描く中で行われる。  入札が成立する前夜、もしあの家を他の誰かに買われてしまったらどう思うかと妻に尋 ねた。「ものすごく落ち込むわ」と彼女は言った。私も同じ気持ちだった。  人生最大の買い物をするのに、こんなに感情に駆られていいのだろうかとも思ったが、 それが現実だった。たいていの人が、同じような経験をするだろう。トースターを買うよ うに家を買う人はいない。  結局、入札は成立した。後悔はまったくなかった。その家は、実際に素晴らしかった。 感情に基づく買い物が、ときに良い結果を生む  人生を変えるような、自分や家族に大きな影響を与え得る決断を、表計算シート上で解 ける問題として扱うべきではない。  なぜなら、表計算シートは、あなたの気持ちを考慮していない。お金に関する大きな決 断では、感情こそが何よりも重要になる場合がある。  重要なのは、感情に基づいて経済的な決定をするのは、無謀なことばかりではないとい うことだ。むしろ、それは極めて重要な意味を持つ場合が多い。  ウォールーストリートージャーナルのジェイソンーツヴァイクは、母親が長年住んでい た家を売却しようとしていたときの経験について書いている『   「この家に特別な愛着はないわ。家自体は好きではなかったし」と毋は私たちに言っ   た。「でも、家族にとって重要な人生の出来事はすべて、この家で過ごした日々の中   で起きた。だから、それを全部忘れ去ったりはできない」  「お子さんとの思い出をお金に換算したら、いくらになりますか?」と尋ねられたら、誰 もが「金額なんてつけられない」と答えるのではないだろうか。しかし、「お子さんとの 思い出をつくつたこの家の適正な市場価格はいくらだと思いますか?」と尋ねられたら、 おそらく金額を出すのはそう難しくはないだろう。  この2つの違いを理解すると、お金に関する様々な決定の理由を説明しやすくなる。  あなたは、次のどちらの方法のほうが、良い配偶者を見つけやすいと思うだろうか?  1つは、相手に求める条件を表計算シートに書き出し、すべての条件を満たす人だけを 検討する方法。もう1つは、偶然の出会いの中で、「この人は良さそう」と心の中でピン と来た相手にアプローチする方法。  最良の決断は、頭と心の交差点で生まれるものなのだろう。理性的な計算と、感情的な 喜びの両方を追求することが、スイートスポットになる。数字を重視しながら、数字を自 分の心の糧にすることが大切なのだ。   一般的に、お金は数学に基づいた分野だとみなされがちだ。そのため、合理性や効率性、 計画性といった視点のみでお金の問題をとらえようとして、結果として失敗してしまう人 は多い。  史上最高のジャズミュージシャンと称されるルイーアームストロングは、良い音楽とは 何かと問われ、こう答えた。  「それが良く聞こえるのなら、それが何なのかなんてどうでもいい。ただ楽しめばいい。 自然に足を踏み鳴らしたくなるものなら、何でも良い音楽だ「  これは、世の中の多くの物事に当てはまる。  あなたは、好きな音楽や好きな食べ物を、どうやって見つけるだろうか? 大好きな家 でつくった思い出の価値を、どんなふうに測るだろうか?  このとき、脳の理性的な部分に頼る必要はない。私たちは、主観的に、感情的にそれら を判断しているし、そうすべきなのだ。それは表計算シート上の数字よりもずっと、あな たが本当に望んでいることが何かを教えてくれる。  お金の問題には、感情が深く関わっている。その事実を受け入れれば、お金の扱い方は もっと楽になる。  それは、数学の問題ではない。予算の範囲内で解決すべき、感情の問題なのだ。  作家のロリー・サザーランドは、「良いアイデアの対極にあるものも、良いアイデアに             〔S〕 なり得る」と書いている。  それを念頭に置いて、小さな支出にこだわることについて考えてみよう。小さな支出に こだわることで、人生が変わることもあれば、完全に時間の無駄になることもあるIそ の事実を、ぜひ理解していただきたい。 小さな支出にこだわるメリット  第30代アメリカ大統領のカルビンークーリッジ〔任期1923〜1929年〕は、倹約 家で有名だった。任期中に210億ドルもの連邦予算を管理したクーリッジは、あるとき                        〔鬯 農務省の全職員に次のようなメッセージを送った。    政府が送付する手紙には1通あたり26セントのコストがかかっています。    コスト削減にご協力ください。    手紙の量を減らしましょう。簡潔な手紙を書きましょう。  クーリッジは手紙を書くことへの(Iドルをさらに高くするために、次のような規則も 導入した。政府職員に対して、鉛筆を一度に1本ずつしか支給しないというものだ。さら に、端の消しゴムの部分しか残らないくらいまで使い切られていない鉛筆は回収され、再 利用された。  あなたはこれを、やりすぎだと思うだろうか?  1925年当時、連邦政府は約58万5000人の職員を雇用していた。もし職員が1人 当たり1日5通の手紙を書き(当時はもちろん電子メールはなく、電話もまだ普及し始め たばかりだった)、コストが1通あたり26セントだとすると、政府全体で年間1億970 0万ドル以上の費用を負担していたことになる。  これは、政府支出が全体で年間約28億ドルだった時代の話だ。つまり、政府支出の約7 パーセントが文書通信費だったことになる。  比較対象として1つ例を挙げるなら、2023年、連邦政府は予算の約10パーセントを 国債の利子の支払いに費やしている。つまり、7パーセントの文書通信費は決して小さな 数字ではない。クーリッジは常軌を逸したレベルの倹約をしようとしていたわけではなか ったのだ。  作家のケビンーケリーはこう書いている。  「小さなことに気を配ろう。登山でも、山の険しさより、靴擦れのために山頂に到達する のを諦める人のほうが多い」                〔105〕  もう一つ極端な例を挙げよう。  あるとき、実業家のジョン・D・ロックフェラーは、工場の責任者に石油缶へのキャッ プのはんだ付け作業の詳細について尋ねた。  「1缶につき、はんだを何滴使っている?」  「40滴です」責任者は答えた。  「38滴で試したことは?」ロックフェラーは尋ねた。  「ない? なら、一度やってみて感想を聞かせてもらえないか?」  38滴ではうまくいかなかった。缶から石油が漏れてしまう。だが、39滴なら問題はなさ そうだった。それが、新たな標準となった。従来の40滴より、1滴少ない。  「あのはんだ1滴で、1年目に2500ドル節約できた」と後にロックフェラーは語った。  「輸出事業はその後も成長し続け、当時の2倍、4倍の規模になった。缶1つにつきI滴 の節約額は着実に増え続け、今では数十万ドルに達している」  今日の価値に換算すると、およそ2000万ドルに相当する額だ。つまり、小さな変化 が大量に積み重なると、莫大な影響につながる場合があるということだ。  ほかにもこんな例を考えてみよう。  1974年頃、住宅は6万ドル程度で購入できた。今では、その家の価値は35万ドルく らいになっているだろう。所有者は間違いなく、大当たりの投資をしたと感じているだろ  しかし、この数字は平均すると年間の利回りは3・75パーセントにすぎない。さらに、 固定資産税は平均して約1パーセントなので、実質的な利回りは年間2・75パーセントに なる。加えて、維持費や修繕費(物件によって大きく異なるが)は、平均して年間で住宅 価値の1〜3パーセント程度必要である。  そう考えると、長期的なリターンはどうなるだろうか?  実質のところ、はるかに少ないことがわかるはずだ。  小さく、軽視してしまいやすい出費も、時間の経過とともに積み重なると、一番目立つ 大きな利益を圧倒するほど大きな額になるのだ。  価格は簡単に計算できる。それは最初に支払う金額であり、最終的に売却する金額であ る。一方、コストの計算は難しい。なぜなら、それは時間の経過とともに少しずつ生じて いくものだからだ。そのため、見逃しやすく、気がつくと大量に積み重なっている。  車やボート、趣味などでも同じだ。タバコを吸うコストは、1箱の値段と、喫煙習慣に 関連する疾患で生じる長期的な医療費の合計と言えるだろう。価格は計算しやすいが、コ ストの計算は一筋縄ではいかないのである。  こんな話を聞いたことがある。ある男性が、同僚の女性がラテを飲んでいるのに気づい た。  「どれくらいの頻度でラテを飲んでるの?」と彼が尋ねると、「毎日よ」と同僚は答えた。  「すごい¶・ 会社員になってから30年間、毎日ラテを飲んでるの? 合計したらすごい金 額になるぞ。1日1杯ラテを飲めば、年間で約1900ドル。もしそのお金を8パーセン トの利回りで投資していれば、今頃25万ドルになっている。フェラーリが1台買える額だ」  同僚は困惑した表情を浮かべ、「あなたはラテを買う?」と男性に尋ねた。  男性は「買わない」と答えた。  「じやあ、あなたのフェラーリはどこにあるの?」  この笑い話から学べることは、どんな人でも(その同僚も、男性も)、注意深く管理し ていれば大金になっていたかもしれない小さな出費をしているということだ。ほんのわず かな努力で、少しの節約を積み重ねていけたはずだ。  投資をしている人が収益率の向上に多大な労力を費やすのは、年間の収益率をたとえO・ Iパーセントでも向上させられれば、時間の経過とともにそれが複利で積み重なり、大金 になるのを知っているからだ。それなのに、手紙代やはんだ付け代、ラテ代といった小さ な出費となると、人はこの論理を忘れてしまいがちだ。  ウォーレンーバフェットは若い頃から複利に取り憑かれていて、現在の出費を、その額 を投資して増やした場合の将来価値と比べていた。  彼の計算では、散髪に3万ドルもかかる。もし今日支払う散髪代を投資して複利で増や した場合、数十年後には3万ドルになっているという意味だ。高価なスーツの将来価値は、 数百万ドルにもなる。この論理に従えば、洗車は割に合わなくなる。車の汚れを落とすの に、数万ドルも支払うことになるからだ。  「50万ドルを、そんなことのために使っていいのだろうか1‐1  バフェットはよく友人にそう話しながら、少額の支出をためらったという。  投資家のクリスーデイビスは、子どもの頃ニューヨークに住んでいたとき、祖父にIド                          (107) ルのホットドッグをねだったときの経験を語っている。  祖父は、もし自らがこれまでに得てきたのと同じ投資収益率で計算すれば、そのIドル のホットドッグは実際には1000ドルの価値があると言ったそうだ(グリスは最近、実 際にそれを計算してみて、祖父が誇張をしていたわけではないと知った。祖父のシェルピ ー・デイピスは、生涯を通して資産を何百倍にも増やしている)。  ケチくさい考えだと思うかもしれないし、もちろん普通の人にはお勧めしない(お腹が 空いたら食べて、切りたいときに髪を切ってほしい)。  それでも、こうは言える。小さな出費がどれだけ早く蓄積され、利益の莫大な損失につ ながるかを理解すれば、世界の見方は変わる。長期的に資産を築くには、大きくて素晴ら しい決断よりも、小さいが着実な決断の積み重ねのほうが重要だと気づくはずだ。  ではここからは、これまでとは反対の視点を紹介しよう。これも、同様に説得力がある と思ってもらえるはずだ。 小さな支出にこだわりすぎるデメリット  歴史家シリルーノースコートーパーキンソンは、「パーキンソンの凡俗法則」と呼ばれ る概念を提唱した。これは、「問題への注目度は、その問題の重要性に反比例する」とい うものだ。  パーキンソンは、この概念を説明するために、「予算1000万ドルの原子炉の建設」「予 算400ドルの従業員用の自転車置き場の設置」「予算20ドルの休憩室の従業員用軽食の 導入」という3つの案件の承認を行う架空の財務委員会をたとえに使った。  委員会は、1000万ドルの原子炉の建設をあっさり承認してしまう。金額が大きすぎ てイメージできず、代案を検討するのも難しく、しかも誰も原子力の専門家ではなかった からだ。  次に自転車置き場の話になると、白熱した議論が交わされた。委員会のメンバーは、自 転車ラックだけで十分かどうか、屋根をつけるなら木製にすべきかアルミ製にすべきかな どについて議論をした。メンバーの多くは自転車置き場に関してある程度の知識や経験が あったからだ。  そして、従業員向けの軽食の導入に至っては、議論全体の3分の2の時間を占めるほど の白熱した議論が交わされた。より身近な話題であり、メンバーは全員、どんなコーヒー やクッキー、チップスが美味しいかについて、こだわりの持論があったからだ。  この現象は、多くの家庭でも見られる。作家のラミットーセティは、経済的な成功にと って重要なのは3万ドルの質問(どの大学に行くべきかなど)なのに、3ドルの質問(こ のラテを買う余裕はあるかなど)ばかりを考える人が多すぎる、と指摘している。  前述のラテの例は、ファイナンシャルアドバイザーがよく苛立ちを覚える問題だ。なぜ なら、毎日のラテを節約すべきかを悩む一方で、学費が払えない大学に通い、収入に見合 わない額の車に乗り、ローンを返済できない家に住んでいる人が多いからだ。彼らは、3 ドルの問題にこだわる一方で、30万ドルの問題には関心を向けようとしない。まさに、「問 題への注目度は、その問題の重要性に反比例する」のである。  この現象が起こる理由の一部は、小さな支出にこだわることで、「私はお金の使い方に ついて考え、実際に行動を起こし、前進している」という感覚が生まれるためではないだ ろうか。その結果、大きな問題を無視しやすくなってしまうのだ。  人は、単に大きな問題を無視している場合はそれを意識できる。しかし、小さな問題を 意識しだすと、大きな問題を自覚しにくくなるのだ。  大多数の人は、以下に示す一握りの支出項目が支出全体の大きな割合を占めている。 ・学費 ・住宅費 ・車両費 ・健康保険代 ・子育て費用  これだけだ。私たちが注目すべきは、こうした大きな支出項目なのだ。それ以外のこと は、誤差の範囲と見なしてもいい。  小さな節約を積み重ねれば、それが大きな金額になることもある。だが同時に、それは もっと大きな問題から注意を逸らすことにもつながりかねない。  この2点は、矛盾していない。良いアイデアの対極にあるものは、良いアイデアになり 得るのだ。どちらも、同じくらい重要である。  お金をうまく扱うには、両極端の態度を同時に取る「パーベル型のアプローチ」が役立 つ。  悲観主義者のように貯蓄し、楽観主義者のように投資する。  最悪を予想し、最善を期待する。今日を生き、明日に備える。  最大の支出をコントロールしなければ、富は築けない。その一方で、小さな支出をまっ たく気にせずに富を増やすのも極めて困難なのだ。    この街は、人々を残酷な足で踏みつぶし、カレー船の奴隷のように扱う。    次にわずかな者だけを選り好みし、可愛がり、幸運の泡に乗せて高く舞い上がらせる。    そして突然、息を吹きかけて泡を消し。落ちていく彼らを見て嘲笑する。                                        (助)       −詩人ジェームズーウェルドソージョソソソ(ニューヨークについて)  人生の多くは強欲と恐怖に支配されている。どれほど成功していても、欲にかられて 「もっと」と多くを求めすぎれば打ち砕かれる。どれほど魅力的に思える機会でも、恐れ にとらわれている者の目には留まらない。  この2つの感情が、お金にまつわる失敗や後悔の根本的な原因になることは多い。強欲 と恐怖は、私たちがお金を使うあらゆる場面に潜んでいる。投資や、市場の好不況のとき だけではない。日々のお金の使い方にも、強欲と恐怖は深く関わっているのだ。  お金を使うには、楽観主義が必要だ。節約には、悲観主義が必要になることが多い。  あるレベルでは、どちらの感情も必要で役に立つ。しかし別のレベルでは、これらは裏 目に出て、危険な負債へと転じ得る。一線を越えたとわかるのは、たいてい手遅れになっ てからだ。  楽観が強欲に変わり、悲観が恐怖に変わるIその転換点を見極めることこそ、人生の 成功の鍵なのだ。  強欲と恐怖は、いつのまにか人の心に忍び寄る。どれだけ倫理観がある大でも、その罠 にはまってしまう。  この2つは、一見すると相反する感情に思えるかもしれない。しかし、その根っこの部 分はつながっている。  無邪気な楽観主義はやがて強欲に変わり、それが自己否定へと転じ、混乱に陥り、最後 には恐怖が生じる。そして、恐怖から学んだはずの教訓は、しばしば次の強欲を招く。こ うして、このサイクルは繰り返されるのである。  強欲と恐怖という2つの感情がどれほど強力かつ危険なものであるかを知るには、まず はそれらを引き起こすこのサイクルを理解しなければならない。  本章では、それを説明しよう。 強欲が生まれるとき  強欲は、ごく無邪気な考えから始まる。  それは、「自分は正しい」という考えだ。  これまで下してきた決断。これから下すだろう決断。今抱いている世界観−。朝起き て鏡を見たとき、「私はこれまで正しい決断をしてきたし、これからもきっとそうだ」と 自分に言い聞かせずに一日を始めるのは難しい。常に自分を疑っていては、何も成し遂げ られないからだ。  過去に勉強や仕事で成功してきたという自負がある人は特にそうだ。これまで自分の意 見や決断を築き上げるために多くの努力をしてきたのだから、「自分は正しい」と考えて しまう。  何年も学校に通い、厳しい試験に合格した。周囲の意地悪にも負けなかった。長い時間 をかけて、様々な重要な問題について真剣に考えてきた。これほどの努力をしたのに、自 分が正しいと言えないはずがない、と。  「自分が正しい」とは、「それに対する正当な報酬が得られるべきだ」という意味でもある。 努力は報われなければならない。それが、世の中の仕組みだ。  自分の見解が正しければ、良い決断ができる。そうすれば、同僚からは称賛され、上司 からは昇進を打診され、身体に良い行動を選択できれば健康にもなれる。自分の考えは正 しく、正しい見解は報われると自らに言い聞かせて、日々を過ごす。  「自分の考えは正しい」 「これまで相当な努力をしてきたのだから、その考えが正しくて当然だ」 「正しい考えを持っていれば、それは報われる」  これらは、とても一般的で、無邪気な考えだ。  しかし、ここから物事が混乱し始める。  実際に「自分は正しい」という考えが報われると、頭の中の扉が開き、妄想が入り込む ようになる。  認められるのは気分がいい。注目されるのも、報酬をもらえるのも気分がいい。これら には中毒性がある。人は「自分は正しい」「うまくやっている」「努力に見合う報いを受け るべきだ」と感じたいIこうして、再び盜{邪気な考え*が芽生え始める。  理性的な世界であれば、私たちは「自分の行動がどの程度報酬に影響を与えたか」を計 算しようとするだろう。ある行動によって何らかの結果が起きた場合、自分ではコントロ ールできない他の無数の要因がその結果に影響を与えた可能性を考えるはずだ。  しかし、現実の世界では、人はそんなふうには考えない。何かをして報酬を得たとき、 それをもたらしたのは自分の行動のおかげだと考えようとする。  「自分の見解は正しく、報酬を受けるに値する。だから当然、自分の行動が報酬をもたら したのだ」というふうに。  さらに周りの大たちは、あなたが報酬を得るのを見て、自分自身が報酬を得たことを想 像し、気持ちを昂らせる。その想像は、あなたへの称賛や注目、あるいは嫉妬や羨望の眼 差しとなる。あなたにとって、それらはすべて心地がよく、「自分の見解や行動が正しか ったから報われた」という考えはさらに強まる。そして、もっとそれを欲しがるようにな る。  大は成功すると、「前も正しかったのだから、今度はさらにそれを推し進めよう」と考 える。  それはおかしな考えではない。ある意味で合理的な分析だ。何かを試して、それが正し いことが証明された。だから、次は前回よりもさらに踏み込んでみようと考える。  また、前に自分の正しさを証明して得られた高揚感は、もう薄れている。だから、今度 はもっと大きな形で自分の正しさを証明したいと考える。  これこそが強欲の重要な側面である。大はこうした理由から、後から考えれば明らかに 過剰だったりおかしかったりする行動を取ってしまう。これは自分の行動が無謀かつ有害 だと知りながら、あえて実行するのとは違うIそれは客観性や正気を失っている人の行 動だ。  このように、無邪気な強欲は、しばしば過去にうまくいったことを熱心に追求するとい う形で現れる。以前と同じことを、前よりもさらに強い欲求をもって繰り返したくなるの だ。  同じ仕事をしながら、以前よりも高い報酬を求める。同じ投資をしながら、今度はレバ レッジをかけようとする。あるいは、新車を買って周りに注目されたことに味をしめ、今 度は新しい時計や服、宝石、家などが買いたくなる。  実際に自分の行動が結果に直接影響しているのであれば、それは問題ないかもしれない Iその行動によって、本当に結果が引き起こされたのであれば。  しかし、以前の行動に再現性がなかったり、以前の結果のうち、自分ではコントロール できない要因によって生じた割合を軽く見たりしている場合、過去にうまくいったことを 前回よりも力を入れて繰り返しても、うまくいかない場合が多い。  あなたは過去の成功が、運や偶然、タイミングの良さによるところが大きかったという 事実を過小評価しているのかもしれない。  さらに、同じやり方をしても、過去にあなたに注目してくれた人たちは、もうそこには いないかもしれない。あなたの成功に熱狂していた人たちも、今ではあなたの話を聞くの に飽きているかもしれない。あなたの貢献に対して報酬を与えてくれた上司も、あなたに さらなる昇給を求められてうんざりしているかもしれない。以前はあなたに注目していた 人たちが、今ではあなたを冷笑しているかもしれない。  こうしてあなたは、世の中はそんなに甘くないと思い知らされることになる。過去にう まくいったことが、突然うまくいかなくなる。「自分は正しい。だからこそ報われるべきだ」 と信じ、以前うまくいったやり方にさらに力を入れるという戦略を取っているあなたは、 窮地に追い込まれる。  強欲が極まると、自分が費やした努力に見合う以上のものを求めるようになる。特に、 自分の行動が必ず報酬につながると過信しているとそうなりやすい。  このときすでに、あなたには恐怖の種が植えられている。 強欲が恐れに変わるとき  強欲が裏目に出て失敗や損失を生んだとき、最初に出る反応は、状況の悪化をチャンス ととらえることだ。特に、自分のスキルや貢献度を客観的にとらえられていない場合はそ うなりやすい。  それまでうまくいっていた戦略が機能しなくなると、自分に反対する人たちの意見を無 視して、さらにその行動を強化しようとする。  成功体験が少ない人の場合、失敗や損失を経験すると、「自分には実力もスキルもない」 と受け止めやすい。しかし、自分のスキルが認められていると勘違いし、強欲になってい る大は、失敗や損失を「新しいチャンス」と解釈しやすくなる。  「会社に昇給を拒否された。これを機に、自分を適切に評価してくれる会社に転職しよう」  「高い品を買ったのに友人が褒めてくれない。これを機に、付き合う大を変えよう」  「誰もこの車に注目してくれなくなった。これを機に、もっと良い車を買うことを検討し よう」  成功体験が少ない大は、まずこのような考え方はしない。過去の自分の行動が成功に直 接つながったのだと確信している大だけが、このように考える。そしてさらに自信を高め、 以前よりも力を入れて行動しようとする。  自分の行動が結果に直結していると過信していると、現実世界から送られてくる貴重な フィードバックを見逃してしまう。アプローチを軌道修正するのではなく、自分のやり方 に固執してしまう。  そして、ひたすらに突き進み続ける。それが称賛に値する姿勢だと考えている。その結 果として自分の正しさが証明されれば、もっと大きな報酬が得られると確信し、この戦略 にさらに注力しようとするだろう。  このときあなたは、断固とした決意を持って前進しているつもりかもしれない。だが、 それは実際には頑固になっているにすぎない。  仏教には「初心」という概念がある。先入観にとらわれず、初心者のように積極的に新 しい何かに挑戦し、学ぼうとする姿勢のことだ。自分の能力への過信は、「初心」の妨げ になる。過去の成功体験は、実績のある戦略と相反するアイデアを探そうとする意欲を失 わせる。これはとても危険である。  平均への回帰〔極端な値が出た後は、次の測定では平均値に近づく値が出やすいという 統計的な現象〕と競争によって、古い戦略が常に陳腐化していくこの世界では、一つの見 解に固執していることは致命的になる。  柔軟な考えを捨てると、フィードバックが入ってこなくなる。初心者や、戦略を手探り で試している人よりも、準備不足になってしまうのだ。  その結果、失敗が続く可能性が高まる。  そして、何度も失敗を繰り返すと、人は自分を被害者とみなすようになる。  あなたは、自分に思っていたほど能力がないかもしれないという可能性を、まだ認めて しなし  あなたは、失敗を友人のせいにする。上司のせいにする。メディアのせいにする。政治 家のせいにする。他人に腹を立てる。自分以外のものなら、なんでもそのせいにする。  この時点で、強欲さは勢いを失っているが、それでもまだあなたは、「自分の力でうま くやった」「自分には能力がある」という思い込みを正し、自分を顧みるようなことはし なし  結果として、あなたはそれまでのやり方を変えることなく、リスクを減らそうとする。  まだ希望は捨てていない。変化の必要性を感じていて、再び軌道に乗れるという自信が ある。  次第に、あなたは自分の行動が過剰だったと認めるようになるが、それでも、まだ自分 が間違っていたとは認めていない。問題は、過剰な行動にあると考えている。行動そのも のは良いことだとも考えている。自分はまだ正しい。まだ報われるに値する。  だから、以前より少しだけ頭を冷やして、同じ行動を続ける。  だが、誤った思い込みは長くは続かない。やがて、行動を続けるのを諦めるようになる。  数日でそうなる場合もあれば、数年かかる場合もある。いずれにしても、それは必ず起 こる。  それは、途中で何かを見落としていたのではないかと疑い始めるポイントでもある。  この時点でも、あなたはまだ自分が間違っていたと気づいていない。自分の間違いを認 めるのは辛い。しかし、「もしかしたら」自分の見解は不完全だったかもしれない、と思 うようになる。  このとき、人はこんなふうに言い始める。  「この1年で多くを学んだ」  「この経験を通して成長できた」  これが正直な意見で、その通りの場合もある。しかしたいていは、「自分はまだ正気を 保っている」と周りに示すための言い訳にすぎない。心の奥底では、自らの考え方や能力 を過信している。  だがやがて、自分が本当に間違っていたと認める瞬間がやってくる。心の中で「自分は 間違っていたのではないだろうか」と問いかける。時には他人に、「私は間違っていた」 と認めたりもする。  あなたはその苦しみに対処するために、現実逃避しようとする。友人に近況を尋ねられ ると、話題を変え、以前まで全力で取り組んでいた何かを否定しようとする。そして「あ れは自分にとってそれほど重要ではなかった」「ちょっとした楽しみにすぎなかった」な どと言う。  しかし、ミスによって暮らしを変えざるを得なくなったとき、現実が目の前に突きつけ られる。家や車を売らざるを得なくなったり、旅行をキャンセルしたり、職場でそれまで よりも狹いスペースの席に移動させられたりしたとき、あなたの過ちが招いた結果は、誰 の目にも明らかになる。  あなたは、恥ずかしいと感じる。そして、恥ずかしさで頭がいっぱいになると、強欲さ が頂点に達していたときと同じように、冷静かつ理性的な視点で問題に向き合えなくなる。  「自分は間違っていたかもしれない」というちょっとした疑念がパニックへと発展する。  普段なら自分のスキルについて話し合えるような人を避け、フィードバックや自分を客 観視する機会を閉ざしてしまう。自分の殼に閉じこもり、恐怖と疑念の悪循環に陥る。  その結果、あなたの思考は、成長からダメージコントロールへとシフトする。もはやチ ャンスや利益について考えなくなる。成功の定義が、何かを成し遂げることではなく、周  りから後れを取らないことに変わる。   これ以上の損失を防ぐものが、魅力的な利益のように見える。そして、リスクや不安の 原因になるものを手放し始める。キャリアを捨てる。車を売る。会社を辞める。降伏した ような気分になる。  強欲だった頃は、自分の行動がすべて利益につながると信じていた。今は、自分の力で は何も利益を生み出せないと感じている。  厄介なのは、今のあなたも、かつてのあなたも、同じように間違っているということだ。 だがその現実には気づいていない。  あなたは、周りを見渡す。  以前は見下していた人たちが、今では自分よりもはるかに高いところにいる。  「一体何が起こったのだろう?」  「なぜ彼らは自分のように苦しんでいないのだろう?」  「彼らは、自分の知らない何かを知っているのだろうか?」  それが、新たな恐怖の種になる。  あなたが成功したとき、周りの人はあなたのやり方を見て、真似しようとした。彼らは、 あなたが自分たちにはない何かを知っているのかもしれないと不思議がっていた。彼らは あなたが得ている報酬を逃したくなかった。  しかし、今度はすべてが逆方向に進み始めた。あなたは、うまくやっている他人を見て、 「彼らは、自分にはない何かを知っているのか?」と不思議に思い始める。  だが、あなたは恐怖にとらわれ、状況を改善するチャンスを探そうとはしない。それど ころか、恐怖に支配され、自分だけが見えない罠にかかるかもしれない、という不安ばか りが頭を占めている。  恐怖が最も大きな害を及ぼすのは、恐怖が恐怖を呼ぶときだ。  かつて強欲だったときは、悪いことなど起こらないと信じ込み、リスクに目を向けよう としなかった。今はその真逆で、恐怖に縛られ、良いことが起こる可能性さえ見えなくな っている。  皮肉にも、混乱こそが新しい方向に進むチャンスの源になることは多い。だがあなたは 今、チャンスのことなどまったく考えていない。これ以上失敗しないようにするにはどう すればいいかという考えにだけ気を取られているからだ。 そして人は、再び強欲になる  やがて、状況は落ち着き始める。周囲も少しずつあなたを責めなくなり、あなた自身も 現実をそのまま受け止められるようになる。そして、新しいリズムを見つけることができ る。多くのものを失ったが、今は物事を冷静に考えられるようになった。  あなたはまず、同じ間違いは二度と繰り返さないと誓う。恐怖で味わった苦しみは、強 欲から得た喜びの何十倍も辛かった。もしこの大失敗から得たものがあるとすれば、それ は将来同じ過ちを繰り返さないという教訓を学んだことだ。  あなたは今、新たな視点を得た。強欲と恐怖の罠に陥ったときに犯した過ちによって、 市場やビジネス、人生と関わっていくための新しい戦略が形づくられた。チャンスが到来 したときにどう行動すべきかも知っている。  あなたは、この新しい視点に自信を持っている。あんなに辛い経験をして賢くなってい ないわけはない。以前は間違っていたが、今の自分は正しい。  自分が正しいなら、それに対する正当な報酬が得られるべきではないか?  努力は報われなければならない。世界はそうできているはずだろう?  だから、朝起きて鏡を見たとき、「自分は正しい判断ができる」と自分に言い聞かせず にはいられない。  だが、これはそう、無邪気な考え方だ。「自分が正しい」と信じる、その思いこそがI。  こうして、私たちは物語が始まった場所に戻るのである。  何が自分を幸せにするかを知るのは難しい。だが、何が自分を不幸にするかを知るのは 簡単だ。これは、人生の重要な真実である。  人生を豊かにするお金の使い方とは何かIこうした難しい問題に直面したときは逆算 で考えてみるといいだろう。  つまり、うまくいくものを探すのではなく、うまくいかないものを減らす。それがおお むね、望ましい答えに近くなる。  進化も同じように作用してきた。自然界では、うまくいかないものは淘汰され、残った ものが生き延びていく傾向がある。  健康についてはどうだろうか。「体に良い食べ物は何か?」という議論は尽きることが ないし、科学的データをもとに「私は完璧な食事を知っている」と言える人はいないだろ  一方、体に悪いものはそれよりもはるかに明確だ。私は、1杯の赤ワインを飲むことが 健康に良いのかどうかはわからない。しかし、タバコが体に良くないのは100パーセン ト間違いないと考えている。  ある少年が、投資家のチャーリー・マンガーに尋ねた。  「僕のような普通の人間が成功するには、どうすればいいのですか?」  マンガーは答えた。  「コカインをやらないこと。踏切を急いで渡らないこと。エイズに感染するあらゆる状況       (喞) を避けること」  成功のためには、まず何を避けるべきかを知ることが重要なのだ。 惨めになるお金の使い方リスト  私はあなたではない。だから、あなたに適したお金の使い方をアドバイスすることはで きない。何があなたを幸せにするかも教えられない。私自身も、まだそれを探している最 中だからだ。人はそれぞれ違い、人生は複雑だ。ただし、惨めな人生につながるものは、 普遍的かつ単純な傾向がある。  この章では、惨めになるお金の使い方、考え方を簡単に紹介しよう。 1.「もう少し上」を追い求め続ける  もう少し収入を増やし、もう少し良い家に住み、もう少しお金を使えるようになれば満 足できると自分に言い聞かせる。今自分が属している社会経済的階層が、以前は「そこに 辿り着けば幸福が手に入る」と夢見ていた場所だという事実を忘れてI。 2.自立ではなく、ステータスにお金を使う  幸せとは、「自分の時間を好きなように使える」という目に見えない価値ではなく、物 質的な豊かさであり、大勢の見知らぬ人に見栄を張ることにあると思い込む。 3.お金(を稼ぎ、使い、貯めること)を、自分のアイデンティティの中心にする  お金を道具に人生を築くことよりも、お金自体について考えることに時間を多く費やす。 4.収入の大半を使い込む  結果としてあなたは、上司や銀行員など、他人の判断に身を委ねざるを得なくなる。彼 らは、基本的にあなたの幸せのことなど考えてくれない。 5。「もっとお金があれば、あらゆる問題を解決できる」と空想する  「もう少しお金があれば、毎朝笑顔で目覚められる。もっと人から好かれ、尊敬され、友 人が増え、良い人間関係が築ける。恐怖や不安、疑念、混乱もすぺて消える」と信じる。 6.お金は、悪やエゴの根源だと考える  これは、「お金があればあらゆる問題を解決できる」と信じるのと同じくらい危険だ。  お金は素晴らしい道具であり、自立や喜びを与えてくれる。お金とは、人類が何千年も かけて築いたシステムだ。人生を快適に、楽しく、知恵に満ちたものにする方法を模索し てきた成果でもある。  無数の先人が積み重ねてきたものに対して、「自分の時間や関心を向ける価値はない」 と信じて生きるのは、実に悲劇的なことである。 7。極端な節約をし、自分の経済力に見合った豊かな暮らしを拒否する  お金の唯一の目的は銀行口座に貯め込むことだと考える。お金をより良い生活をするた めの道具とはみなさない。お金を増やすこと自体を趣味にする。 8.成功はすべて自分の努力の賜物であり、失敗はすべて不運のせいだと思い込む  一方で、他人を評価するときは、失敗はすべてその人の誤った決断のせいであり、成功 はすべて運のおかげと考える。共感よりも自尊心を優先させる。  このような考え方をしていると、「人生では、自分にコントロールできることとできな いことがある」という現実を認識できなくなる。 9.他人の表面的な部分だけを見て成功を羨む  他人の車や家、服、宝石、SNSアカウントなどに、その人の幸福度が現れていると思 い込む。「あの大は物質的に豊かだから、人間関係や健康、道徳心、知性、人生全体の満 足度も良いに違いない」と考える。 10.ある買い物によって生じるコストを無視する  隠れた社会的、感情的コストや、周囲の期待から生じるコストを無視する。その買い物 が他人から見た自分の印象にどう影響するかも無視する。それが、次に何かを買うときの ハードルを上げていること(これは隠れた負債である)も無視する。 11.「将来、後悔するかもしれない」ということを考えない  刹那的な楽しさに夢中になったり、長期的な視点にこだわりすぎたりしていると、結局 は人生を振り返ったとき、一体何を考えていたんだろうと疑問に思うようになる。 り一。純資産の額を自分や他人の価値と結びつける  お金を、人生の成功度合いを測る絶対的な物差しにする。しかも、外見の豊かさだけを 見て、その人がどれだけお金を持っているかを正確に把握できると思い込む。 13.お金に関する決断を、単なる数字の計算としてとらえる  感情や思い入れ、魂を満たす欲求を無視し、幸せになることよりも、表計算シートを幸 せにすることに関心を向ける。 14.他人のアドバイスやライフスタイルに振り回される  世間やマーケティングの情報に振り回されて、欲しいもの、買うものを決める。自分に とって何が最善なのかを決めるのに、見知らぬ人を含む他人の意見に頼る。必要なもの、 求めるものは人によって違うことを理解しようとしない。 15.知っている中で、最も成功している人と同じ生活を夢見る  こういう考えをしていると、たとえ思いがけないほどの成功をつかんでも、物足りない と感じるようになる。いつまで経っても満ち足りた気持ちにはなれない。 16.収入よりも早く期待を膨らませる  過度な期待を持つと、物事が順調に良くなっても、感謝の気持ちを持てない。良くなる 現実を当然だと思い、さらに上を求めるばかりで一向に幸せを感じられない。 17.不要なものを手に入れるために、必要なものを危険にさらす  人生にたいした影響を与えない昇給を得るために家族や友人との関係を犠牲にしようと したり、本当は誰からも注目されていない新車を買うために睡眠を削って遅くまで働いた りする。 18。高級品を持っていると周りから注目を集められると思い込む  その注目を、自分への称賛だと考える。実際には、周りの人は単に高級品に注目してい るだけだということに気づかない。 19。自分の考えを過信する  新しいことは何も試さない。成長し、適応し、思考を変えようとする衝動に逆らう。  他の視点にはまったく興味を持たない。お金についても自分が知っていることだけがす べてだと思い込む。その考えを脅かす情報に出合ったら、全力でそれに反論する。  お金を宗教のようなものとみなし、疑問や好奇心よりも、ただひたすらに既存の考えを 信じようとする。新しい考えや発見よりも、決められた方法に従うことを優先させる。  こうした考えを持っていれば、お金と幸せな関係はつくれない。  次章では、私がどうやってそれを避けようとしてきたかを紹介させてほしい。                                         〔110〕  現代を代表する俳優の一人であるケビンーコスナーが、以前こんな話を語っていた。  コスナーには友人がいた。コスナーは誰とは名言していないが、話の内容から、それが 作家のマイケルーブレイクであるのはほぼ間違いない。当時、ブレイクは長年執筆活動を 続けていたが、鳴かず飛ばずの状況が続いていた。  「彼に職を得てもらいたくて、いろんな仕事を紹介した」とコスナーは語った。  「でも紹介先からの報告は、いつも「彼は周りの人を苛立たせている」というものばかり だった」  その友人は、コスナーに自分を作家として業界に売り込んで欲しいと頼んだ。  コスナーは友人に率直に言った。  「どんな作家も、最新作がそれまでの最高傑作だと思っているものだ。君の作品も、君が 思っているほどはうまく書けていないのかもしれない」  それからしばらく経ったある日、友人がコスナーに電話をかけてきた。  「寝る場所がないんだ。君の家に泊まってもいいか?」  彼はホームレスになっていた。 「それで、彼は数か月のあいだ僕の家で生活したんだ」とコスナーは語った。その間ずつ と、友人は猛烈に執筆を続けていた。  「彼は毎晩書いていた。そして、いつもこう言うんだ。「今日書いたものを読んでくれな いか?」 つて」  「でも、僕は断った」コスナーはその友人を、尊敬し、学び合う仕事仲間というより、哀 れむべき野良猫のようにみなしていたようだ。  「すると彼は僕の3歳の娘に、毎晩自分の書いたものを読み聞かせ始めた。しぴれを切ら した妻が「あの人にここから出ていってもらって」と言った。僕は『そうだな。そうしよ う』と答えた」  友人は去っていった。紆余曲折の後、彼はアリゾナの中華料理店で皿洗いの仕事を始め た。  数か月後、友人からコスナーに電話があった。  「ところで君は、僕が書いたものを一度でも読んだことがあるのか?」  読んだことはない、とコスナーは正直に答えた。  申し訳ないと思ったコスナーは、まだホームレス同然の生活をしている友人に、寝袋を 送った。  後日、友人が再び電話をかけてきた。  「僕が書いたものを読んでくれた?」  うんざりしたコスナーは、ついに折れて彼の作品を読むことを承諾した。  そして、「やっと読んだよ」とコスナーは友人に告げた。それは、『ダンスーウィズーウ ルブズ』という小説だった。  コスナーは、この作品を自らの製作、監督、主演によって映画化した。映画は大ヒット になった。アカデミー賞で7部門を受賞し、コスナーを一躍スターの座に押し上げた。  人生では、幸運がどこからやってくるかはわからない。  それについて、これから詳しく見ていこう。 シンプルーイズ・ベスト  母によると、私は3歳の頃からIセント硬貨を数え始めたそうだ。私は、他のものは数 えたくなかった。数えたかったのはお金だけだ。  チャーリー・マンガーによれば、若者にお金のことを教えると、すぐに理解する者と、 まったく理解しない者に分かれるのだという。  そこまで白黒はっきりしているとも思わないが、自分の人生を振り返ると、私は”すぐ に理解した側”だったのかもしれない。  10代で初めて給料をもらって以来、私は必ず稼いだお金の1割以上の額を貯蓄と投資に 回してきた。それが正しいと思えたからだ。誰かに教えられたわけではないし、難しいと も感じなかった。それは、ごく当たり前のことのように思えた。  妻と私はあまりお金を使わない。その必要があまりないからだ。私たちはとても快適な 生活を送っているが、自分たちにとって大切で楽しいことをするのに、たいしたお金はか からない。(イキングやガーデュング、読書、執筆、愛犬との長い散歩、子どもたちとの 充実した時間などだ。収入は若い頃に比べて大幅に増えたが、私たちが楽しんでいること は変わっていない。  たとえ貧しかったとしても、私たちは今と同じようにお互いに愛情を感じているだろう。 実際、貧しかったときも今と変わらず、愛情に満ちた生活をしていた。  私たちは長年貯蓄したお金を自立のために使ってきた。そのことがどれほど人生を充実 させてくれたかは、言葉では言い表せない。  妻は専業主婦になり、私は自分が興味のある仕事だけを選んでそれ以外は断るようにな った。これも、自立を大切にしてきたからだ。収入に影響する決断ではあったが、お金を 稼ぐのを拒否したというより、時間を買ったという感覚のほうが強い。  私の唯一の経済的目標は、毎晩、家族が無事であり、明日も好きなことを、好きなとき に、好きな人と、好きなだけできるという安心感を持って、穏やかに眠りにつくことだ。  株式市場を上回る資産運用をすることには特に魅力を感じないし、近所の人に見栄を張 りたいと思ったこともない。それらは外部的なベンチマークだと思える。自分がうまくや っているかどうかより、見知らぬ誰かより優れているかどうかが基準になっている。  私にとって、それは無意味なゲームだ。私にとってお金がもたらす最高の投資収益率は 自立であり、それに匹敵するものはない。  私たち夫婦の家計はとてもシンプルだ。  妻と私は大学時代に出会い、結婚する前から家計をひとつにしていた。だが、お金の話 はほとんどしない。その必要があまりないからだ。  予算も立てないし、表計算シートで細かく資産を管理したりもしない。綿密な戦略を練 ることもないし、恣意的な目標を定めることもない。  純資産は、家、現金、インデックスファンド、私が取締役を務めるマーカルーグループ 社の株式だけ。借金はまったくない。  欲しいものがあれば何でも買うが、あまり物欲もない。収入が少なかったときも、多く なってからも、それは変わらなかった。  収入に余裕ができてから、様々なライフスタイルやお金の使い方を試してきたので、今 の暮らしが、貯蓄を増やすために楽しみを犠牲にしたものではないと確信している。  もちろん、これまでの歩みは完璧ではなかった。投資に失敗したり、愚かな決断をした りしたことはあるし、多くの親と同じく、妻も私も子どもたちに正しいお金の価値観を伝 えられているのか確信が持てずにいる。  だが、世の中には様々な生き方があり、完璧な人はいない。「自分はすべて正しい」と 断言できる人などいない。  私自身もそう考え、長年にわたって、何度も考えを変えてきた。考えを変えた経験が教 えてくれた一番の学びは、「これからも自分の考えは変わっていく」という前提を忘れな いことだ。  お金がいかに厄介で複雑なものかを受け入れたとき、人は、必要最低限のほどよいシン プルさを大切にできるようになる。  私は長い時間をかけて、自分の家計に関する考え方の基本になる、いくつかのシンプル な方針を思いついた。それらは以下の通りである。 ・収入以上のお金は使わない ・「静かな複利」を実践する ・お金は道具であり、支配されてはいけない ・人は、他人のことをたいして気にかけていない ・自立こそ富である ・健康こそ富である ・良い先祖になることを目指す ・家族を愛する  これで十分だ。必要なことは揃っている。  では、ケピンーコスナーの話に戻ろう。 「お金では買えないもの」が人生を豊かにする  ベンジャミンーフランクリンは、「正直は最良の美徳だ」という名言を残したと言われ                                   (V) ることが多い。だが彼は、正確には、「正直は最良の策だ」と言ったのだ。  正直さこそが、長い目で見てあなたを助け、最高の立場に導き、最高の収入をもたらし てくれるのである。  これは「優しさ」にも当てはまる。  誰に対しても親切にすべき理由は2つある。1つは道徳的な理由、もう1つは利己的な 理由だ。  道徳的な理由は明白だ。思いやりのある人間なら、当然、他人に親切にすべきだ。利己 的な理由は、他人に親切にすべきなのは、「情けは人の為ならず」だからだ。普段から大 に親切にしているからこそ、いざ自分が誰かの助けが必要になったときに、手を差し伸べ てもらえる。  ケピンーコスナーのエピソードは、「人生では誰に助けられるかわからない」「成功して いるように見えない大こそ、本物の知恵を持っている場合がある」ことを物語る好例であ る。  世界は不平等だ1これまでも、そしてこれからもそうだろう。大によって能力も不平 等で、それ自体は良いことなのかもしれない。  だが、「富=能力、知恵」と反射的に結びつけ、絶対視するのは危険である。  私たちは幸運にも、多くの機会や物質的な豊かさに恵まれた裕福な世界に生きている。 だが同時に、特定の服装やライフスタイル、収入を得ている人だけが注目に値する、とい う危険な思い込みも容易に持てるようになった。  だから、最後にお金についてもう1つ提案をさせてほしい。  それは、「人は幸運を得るほど、他人に優しくすべき」というものだ。  お金を持つと、自分の好きなように生活しやすくなる一方で、他人がどんな人間である か、その本質を見えにくくし、相手を軽んじてしまうことがある。  もしあなたが幸運にも、豊かな時代の豊かな国に生まれ、世界について学んだり、自分 の望むように生きられる環境で暮らしているのなら、それは膨大な数の先人が積み重ねた 努力や知恵のおかげなのである。その幸運はあなた一人の力で得たものではない。だから こそ、人とのつながりや心の豊かさを大切にしてほしい。  お金はそれらをより豊かにすることはできる。けれども、お金自体が素晴らしい人生を 築くことはない。そのことを忘れないようにしよう。  そして、あなたとは違う決断をして、違う結果を得ている人たちも、あなたと同じくら い賢く、面白く、洞察力に富み、価値ある存在であることを理解しよう。  彼らは、自分にとって意味のあることをして、複雑な世界で自分の道を見つけようとし ている。あなたも同じように、自分にとって意味のあることをして、複雑な世界で自分の 道を見つけようとしているのである。  そして、私たちは出発点に戻る。  十分な情報があれば、あらゆる行動は意味をなす。  誰もがシンプルな生活を求めて、自分自身の道を探しているのだ。 謝辞  どの本もそうであるように、本書も私を支えてくれた数え切れないほどの方々のおかげ で実現した。全員の名前を挙げることはできないので、特に大きな支えをくれた人のみを 紹介させてほしい。  揺るぎない愛とサポートをくれたグレッチェンとマイルス、リース。  誰よりも先に私に声をかけてくれたプライアンーリチャーズ。  そうする必要はなかったのに私に賭けてくれたクレイグーシャピロ。  見返りを求めずに私を助けてくれたジェナーアブドウ。  本書を完成に導いてくれたノアーシュワルツバーグ、モリー・クリック、エイドリアン・ ザック(イム。  私を励まし、導き、支えてくれたクレイグーピアース。  絶え間ないフィードバックと励ましをくれた、クリスーヒル、ダグーボーンパート、マ イケルーアントネッリ、デヴィッドーセンラをはじめとする多くの人たち。  全員に、心からの感謝を。